オルタナティブスクールのさきがけ、文化学院を創立した与謝野晶子がスペイン風邪で語ったこと〜私たちの教育のルーツを辿る(8)

投稿日: カテゴリー: ブログ藤原 さと

新型コロナウイルスもデルタ株となって、一層感染力が強くなりました。10代以下の子どもたちにも感染が広まっており、私たちが住んでいる東京は連日5000人以上の新規感染者数を記録しています。二学期ももうすぐ始まる中、本当にこのまま新学期を迎えていいものだろうかと不安な毎日を過ごしています。

そんな中、与謝野晶子がちょうど100年ほど前に大流行したスペイン風邪の時に、政府の対策を批判して書いたものがある、と知人が教えてくれました。デジタル版があったので、早速読んでみたのですが、政府の感染症対策、不平等な社会への批判を痛烈に行なっていることに驚きました。与謝野晶子といえば、『みだれ髪』にみられるような情熱の歌人のイメージがありますが、大正時代に「文化学院」という非常に先進的で個性的な学校の創立メンバーの一人として、人生の後半生は夫の与謝野鉄幹と共に教育に多大な時間を割きました。今日は歌人としてよりは「評論家」「思想家」「教育者」としての与謝野晶子について少し書いておきたいと思います。

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福澤諭吉が私たちに残してくれたもの〜私たちの教育のルーツを辿る(7)

投稿日: カテゴリー: 藤原 さと

 

新学期が始まりました。新しい生徒たちが教室に入ってきて、ワクワクしたり、不安になったり、色々する季節です。こたえのない学校も、Learning Creator’s Lab 本科5期生36名、Schools for Excellence 1期生 24名、合計60名のメンバーと共に、秋から年末に向けての旅に出発しました。わたしもワクワクしたり緊張したりしています。哲学登山などのオープンラボも引き続き実施しますので、今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、今年は日本の近代学校教育としての「探究学習」のルーツを辿りたいと思っています。一方で、そのルーツは直接的には「大正自由教育」に見出すことができるだろうと思ってスタートしたのですが、実は「大正自由教育」を調べていると、結局明治の教育に遡らないとわからない。そうなると明治維新、江戸へ・・とどんどん古い時代に足を踏み入れております。2月に吉田松陰について書いたのですが、今回同時代人の福澤諭吉について少しまとめました。ま、ブログですので、気の向くまま、気がついたことをメモしていきたいと思っています。

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創造性はそだてられるのか?川喜田二郎〜私たちの教育のルーツを辿る(6)

投稿日: カテゴリー: 藤原 さと

 

ある企業さんの「創造性を育てる」というテーマの研究に関わり、昨年秋頃から定期的に一緒に雑談しながら考える時間をいただいています。

 

そんな折、私の知人伊藤洋志さんが最近『イドコロをつくる〜乱世で正気を失わないための暮らし方』という本を出しました。伊藤さんは「モンゴル武者修行」というものをやっています。以前から以下のような文言をホームページで見て、いつか行きたいなぁ、と思っていました。

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「60年間通知表のない」伊那小学校訪問(後半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(5)

投稿日: カテゴリー: 藤原 さと

 

前回のブログで、見学させていただいた伊那小の各教室の様子をお伝えしました。今回は、見学後に伊那小学校福田弘彦校長先生と、信濃教育会会長の武田育夫先生に伊那小の実践がどのように守られ、発展してきたのかをお伺いしましたので、そのことを中心に書いていきたいと思います。

はじめに、福田先生と武田先生について。福田先生は、伊那小の教諭を8年されたのちに、教頭先生を3年、今年伊那小の校長先生になられました。武田先生は、大学卒業後、長野県内中学校教員からスタートし、長野県教育委員会指導主事、主任指導主事など歴任して、波田町立波田中学校教頭、伊那小学校校校長、長野県教育員会教学指導課、伊那中学校校長を経て、信濃教育会会長に就任されました。

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「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)

投稿日: カテゴリー: 藤原 さと

先週、長野県にある「60年以上通知表のない学校」、伊那小学校を訪れてきました。来月に伊那小学校校長、伊那中学校校長を歴任され、現在信濃教育会会長をされている武田育夫先生と対談の機会をいただいているのですが、その関係で「一度伊那小にいらっしゃりませんか?」とお声がけ頂いたのです。それは、もちろん行きますとも!!

 

伊那小自体は、「ヤギを飼っているらしい」とか、通知表がない、チャイムがない、ということで、探究する学びを実践したい先生たちの中で、知るひとぞ知る学校です。昭和31年から従来の通知票が廃止されました。今は、1・2学期末に保護者との個別懇談会行い、子どもの育ちの姿を直接保護者に伝えています。また学年末には学級ごとに「学習発表会」を行い、1年間の学習の成果を子どもの具体の姿を通して1998年の学習指導要領が「総合的な時間」を設定するよりもはるか前の1978年から40年以上こどもの意欲や発想に基盤を置く総合学習実践を行っており、毎年教師と子どもたちが探究するテーマを決めています。

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吉田松陰から“教育”について考える〜私たちの教育のルーツを辿る(3)

投稿日: カテゴリー: ブログ藤原 さと

山口教育フォーラムにて、お話しする機会をいただきました。テーマは「教育の潮目」。バックラウンドがバラバラであっても今教育に関わっている四人がそれぞれ今思う「潮目」について話し合う、というもの。たとえば、都内区立中学の諸戸先生はGIGAスクールの推進によるICTの導入が教育の潮目、と言いました。また東京都小金井市教育長の大隈先生は、「主体的・対話的で深い学び」ならぬ「主体的・協働的な崖登り体験」を提唱しました。軽井沢風越学園理事長の本城さんは、昨年スタートした学校での新しい取り組みを紹介しました。さて、みなさんは今、「学びの潮目」はきていると思いますか?

一方で、日本が過去に経験した「潮目」としては「明治維新」を挙げる人が多いのではないかと思います。そして、山口県といえば、萩の私塾「松下村塾」を起点に多くの幕末の志士たちを精神的に指導した吉田松陰を思い出す人も多いのではないでしょうか。松陰は29歳という若さで亡くなりますが、松下村塾でたった二年余りの間に高杉晋作、久坂玄瑞、明治新政府で活躍した伊藤博文、山縣有朋らを育てます。松下村塾の塾生名簿はないのですが、八十名、九十名くらいいたのではないかと言われています。どんな人だったのか、ちょっと気になり、今回吉田松陰について少し色々読んだので、備忘録として残しておきたいと思います。
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トットちゃんの学校「トモエ学園」の教育思想が今に伝えること〜私たちの教育のルーツを辿る(2)

投稿日: カテゴリー: 藤原 さと

立春が過ぎ、春らしい陽の光を感じるようになりました。私は、一日が長くなり、春の訪れを感じる二月がとても好きです。緊急事態宣言が再度発令され、思うままに色々なところに行くことは叶いませんが、家の周りを散歩してみたり、少し暖かくなった空気を吸ったりして過ごしたいと思います。

さて、前回のブログ「私たちの教育のルーツを辿る(1)大正自由教育のはじまり」を読んでくれた岡 佑夏さんから、以下のようなメッセージをもらいました。

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小林宗作先生が私の1番尊敬する教育者で、今でも先生の本を読むと涙が溢れてきます。

そんな私がハイテックハイに巡りあった幸運に感謝せずにはいられません。

いつの時代も、時代を動かしたのは情熱と愛であったのだろうと思います。大正明治の時代にこんなに熱く、日本の教育を変えようとした先輩方がいたことを思うと、負けていられないといつも勇気をもらいます。

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私たちの教育のルーツを辿る(1)大正自由教育のはじまり

投稿日: カテゴリー: 藤原 さと

新型コロナウイルスの感染者拡大が止まらず、気持ち的にも落ち着かない日々が続いています。

ちょっと前のブログから時間が空いてしまいました。12月に『探究する学びをつくる』という本を出しまして、その関係もあって、最近オンラインでお話しする機会が増えているのですが、今月の頭にドルトン東京学園の荒木貴之校長よりお声がけをいただき、“「探究」がある学校をつくる −大正自由教育のリバイバルとPBL−”というテーマでお話しさせていただきました。

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