「わたし」ってなんだろう(4)〜ジュディス・バトラーから学ぶジェンダー

(本ブログは、哲学登山をきっかけに読んだ本の振り返りとなります)

今年の夏、デンマークに行ったとき、オーフスという街にあるジェンダー・ミュージアムを訪れました。本当に行ってよかった。(上の写真はミュージアム内にある多様な性を示したポスターです)

 

常設展(Gender Blender)では、ジェンダーに関する歴史・研究・議論を追いながら、認識を高めるための工夫がされていて、そこには働くことや、ユーモア、身体、品性、政治、アクティビズム、芸術などの観点からさまざまな展示がされていました。1970年代のラディカルフェミニズム[1]の一つ、レッド・ストッキング運動については個別の展示室があります。

(さらに…)

「わたし」ってなんだろう?(3)ー フーコーから学ぶ「言説」

(本ブログは哲学登山の個人的な振り返りになります)

 

今年のオリンピックでは、体操の宮田笙子選手(19)が喫煙・飲酒が確認されたということで、五輪を辞退するというニュースがありました。「ルールだからいけない」という言い方も無くはありませんが、でもそもそもなぜ「未成年の喫煙はよくない」のでしょうか。

 

「教育言説」という言葉があります。たとえば、「子どもの喫煙はよくない」とか「体罰は必要だ」「いじめは根絶されなければならない」というような教育問題に関わるものから、「教育はこうあるべき」というようなものも入るかもしれません。これらの言葉は、一体だれがいつ決めて、なぜみんなそれを「正しい」と思い込むのでしょうか。
(さらに…)

「わたし」ってなんだろう(2)〜デリダから学ぶ「声」 

2021年の2月頃に重度の障がいがある子のお父さんからお声がけをいただいたことをきっかけに、いわゆる障害当事者家族といわれるお父さん・お母さんのお話を聞くようになりました。今は、FOX Projectといって、さまざまな活動もしています。そこで、当初より続けているのが、コアメンバーである坪内博美さん(医療的ケアの必要な重度心身障がいのある14歳の双子(ゆうすけ君・まさき君)の母)、橋場満枝さん(自閉傾向のある広汎性発達障がいの23歳のRay君の母)、あしたかせいこさん(重度知的障がいのある19歳のTaiki君の母)との井戸端会議。何度か一緒に旅行もしています。この2年ほどは毎月一回Zoomでおしゃべりしています。大体2時間から3時間程度喋りっぱなし。また日常的にSNSのグループでもやりとりしています。

(さらに…)

「わたし」ってなんだろう?(1)〜E.H.エリクソンから学ぶアイデンティティ

私はずっと「自分が何者か」という問いを真剣に持たずにきたような気がします。「持たずに済んできたんだよ」という人もいるかもしれません。いずれにせよ、その問いがとっても苦手でした。自分が優しいか意地悪かどうかということもよくわかりません。実際に優しい気持ちになることももちろんあるけれども、とても意地悪になることもあります。女性らしいのか男勝りなのかもよく分かりません。「ワーママ」「駐在妻」など、さまざまな言われ方をしてきましたが、どれもしっくりきませんでした。今も学校の先生でもないし、研究者でもないのに教育に関わっていて、自分は一体何者なのだろうと思っています。そこに名前をつけたくなくもあります。自分に述語をつけることについては、ずっとモヤモヤしてきたし、今でも抵抗感があります。

(さらに…)

地域とともにある教育(1)ー能登被災地訪問

5月15日から17日まで北陸三県(富山県、石川県、福井県)を周り、とくに16日は震災に見舞われた石川県珠洲市に伺いました。きっかけは、Learning Creators’ Lab(LCL本科)の3期生の杉盛さんが珠洲市に勤務され、移住定住の推進において教育の側面からもチャレンジされていたことにあります。現地の方のお話を聞いたり、被災した各地を回ることができましたので、みなさんにも共有したいと思います。

(さらに…)

アートと教育(3)デューイ・民主主義とクラフトマンシップ

シラーカントと読んできた「アートと教育」ですが、デューイで一旦区切りをつけたいと思います。結論から言って、、デューイ、やっぱり面白い!!です。デューイの感覚って民主主義に対する考え方もそうなのですが、芸術(Art)に関しても、教育の観点が根底にあります。そのことによって、アート(芸術)が誰しもに開かれたものになっていきます。カントもシラーももちろん、私たち一人ひとりが「心に自由を持っていい」と言ってくれたわけですが、まだまだ「芸術作品」は一部の才能ある人たちが生み出すものだと考えられていた時代でした。カントは「天才」に関する考察を行い、普遍的で次世代の模範となるような作品を生み出す人たちについて考えました。シラーも自身がドイツではゲーテと並ぶ大詩人と評価されており、子どもの制作する拙い遊び道具までが芸術作品だとは言わなかったかもしれません。

(さらに…)

アートと教育(2)カント『判断力批判』心と身体をフルに使って理想の形を構想しよう!

前回はシラー『人間の美的教育について』を読みながら、人は美的生活によって「自分自身の欲するものに自分自身をつくるということー自分がありたいと思うものである自由を、完全に取りもどす」ことができるということ、そしてそういう自由のために教育がいかに貢献できるだろうか、ということについて考えていきました。

(さらに…)

アートと教育(1)シラー『人間の美的教育について』遊戯衝動は人を美的人間にする?

昨年は『協働する探究のデザイン』を5月に上梓した後、インクルーシブ教育のFox Projectが本格稼働したので、もうてんてこ舞い。活動ばかりで趣味のブログが全然書けない年でした。「活動しなさい」というメッセージだったのだと思っていますが、やっぱり色々読んだり考えたことは記録に残しておきたいもの。ということで新年の決意(!?)ではありますが、今年は頑張って書いていきたいと思います。

(さらに…)

「解放の学力とインクルーシブ教育の源流」豊中市南桜塚小学校訪問記(後編)

前編は、豊中市南桜塚小学校に訪問した時の授業の様子などについてレポートしました。その後校長室で、橋本先生には、豊中市には南桜塚小学校にかかわらず、障害のある子を受け入れしている学校はたくさんあること、自分はこの学校に赴任してまだ1年であり、50年にわたる長い人権教育の流れのなかで、今のようなインクルーシブ教育の形が出来上がってきたことをお伺いしました。また、橋本先生自身、自分自身はもともと人権のことについて詳しかったわけではないが、初任のときからあたりまえのように関わることになった教職員組合活動や「障害」をもつ仲間と共に歩む豊中若者の集いのなかで、徐々に障害のある子の包摂を含めた人権教育に対する理解が進み、熱意をもって取り組むようになったといいます。また、授業を見せていただいた阪本珠生先生も豊中市のインクルーシブ教育の中で育ち、中学校の時には当時全国で初めての全盲の先生に教わりました。

 

(さらに…)

「やっぱり一緒でないとあかんねん」豊中市立南桜塚小学校訪問記(前編)

訪問から早5ヶ月が経ってしまったのですが、FOXプロジェクトというインクルーシブ教育の活動の一環で2023年2月20日、大阪府豊中市立南桜塚小学校を訪れました。豊中市のインクルーシブ教育の先進的な取り組みは全国的に知られているかと思います。その中でも南桜塚小学校はメディアにも取り上げられることが多いので、知っている方も多いかもしれません。医療的ケアが必要な重い障害のある子や、全盲の子たちも一緒の教室でほとんどの時間を過ごし、学んでいます。一体現場はどうなっているのでしょうか。

 

(さらに…)