非暴力で平和を求めるとは?―ミャンマーで起きていること

先週、ミャンマー軍がクーデター後に設置した「国家統治評議会」はアウン・サン・スー・チー氏の率いるNLD=国民民主連盟の元議員らへの死刑を執行する方針を強調しました。ミャンマーでは、30年以上死刑は執行されたことがないとのこと。日本でも在日ミャンマー人の人たちによって抗議集会が開かれました。本当に恐ろしいことです。

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儒教が分かると江戸の教育が分かる?(儒教と教育その3)―日本の教育のルーツを辿る(23)

前回、日常使う言葉のなかにも多く存在し、私たちの思考様式の見えないところに深い影響を与える「儒教」の存在について書きました。今回は特に江戸時代に「儒教」がどのように入り、受容されていったのか大きな流れだけ把握しておきたいと思います。

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私たちはなんでこんなに「型」が好きなのか?(儒教と教育その1)〜日本の教育のルーツを辿る (21)

日頃、学校教員、行政、民間教育、保護者など、さまざまな角度から教育にかかわる人たちと「探究する学びの場づくり」をしていますが、とても気になることがあります。それは「探究学習」に対する憧れは強いものの、導入し、実践レベルになるととたんに躓き始めるケースが多いことです。そして、うまく行かないケースの場合、往々にしてあるのが「形」だけの導入です。

 

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