現象学からみる私(2)ーアイデンティティって何?

前回は、私たちの経験世界がどういうものなのか、世界ってなんだろう、というあたりから間主観性(intersubjectivity)まで私の経験から記述してみました。今回は、もう少し「私」ということに迫っていきたいと思います。

 

ところで今回の哲学登山の講義そのものでは直接扱わなかったのですが、副読本として紹介されていた田口茂著『現象学という思考』を年末に読んでみたらとにかく面白かった。まさに「現象学からみる私」、私のアイデンティティとはなんなのだろう、と考えさせられました。今回はこの本を中心に纏めていきたいと思います。「私」ってなんなのでしょう?「私の本質」なんて掴めるものなのでしょうか。

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現象学からみる私(1)ー「事象そのものへ」の子育て

教育に関する哲学書を輪読していく哲学登山というプログラムをやっていて、前回の「現象と人間」からもう半年経っているのですが、振り返りのブログが滞っておりました。色々読み直したり、新しく読んではいたのですが、少し読み進めてはほかの仕事が入りを繰り返してました。でも、年が明けてようやく少しまとまった時間がとれましたので、いつものように簡単にメモにしておきます。

 

なお、この登山では、フッサール『ブリタニカ草稿』、ハイデガー『存在と時間』、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』の一部を読んでいったのですが、とにかく面白かった!私の経験に照らし合わせても、日常生活的にたしかにそうだと思い当たる部分がとても多く、且つ教育を色々考えるにあたってイメージが大きく膨らみました。まさに「うっわー!!」の連続。そもそも「観る」という営みは、教育においても「みとり」と言われるくらい大切なもの。自分のためのメモではありますが、私の拙いブログが、毎日の授業や子育ての参考になるようなものになっていたら嬉しいです。

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つまり「概念」ってなに?〜ヴィゴツキーに学ぶこと

私が教育活動について入れ込むようになったきっかけは、「概念をベースとした探究(concept-based-inquiry)」との出会いでした。今中学校3年生の娘は当時まだ保育園生で、私は医療・ヘルスケアの仕事をしていました。娘の通う保育園の父母会長にひょんなことからなってしまい、地域の子どもたちと大人が一緒に楽しめるような場をつくることはできないかとリサーチしていたときに、国際バカロレアの初等教育プログラム(PYP)で採用されているリン・エリクソンの概念をベースとした探究の考え方を知ったのです。

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ピアジェに学ぶ“優しい”子どもの「見方・考え方」

昨年FOXプロジェクトという特別支援のプログラムを始めました。ひょんなことから、重度の障がいを持つお子さんをお持ちのお父さんとお話しするようになったことがきっかけです。このプロジェクトについては、どこかできちんと纏めますが、「インクルーシブ」ということを考えたり、日常の「学び」を捉えたりするにあたって、発達心理学の考え方から学ぶことがあまりにも多い。特に昨年の哲学登山「発達と学習」で、シーグラー、ピアジェ、ヴィゴツキー、ブルーナーを読んで新しい視点を得たので、自分でもいくつか本を追加で読みつつ、考えたことをここで書き留めておきたいと思います。今回は前半としてシーグラーとピアジェについてです。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその5:デューイ『民主主義と教育』そして総括

 

さて、「正義」のブログも5つ目、いよいよ最後になります。今回の「哲学登山」テーマは「正義」だったのですが、プログラムとしての目標は「民主的な教育を人々と正当に実践するための考え方を理解する」ことに置きました。つまり「民主的」ということを考えるためには、“自分なりの正義”の理解と感度を持つことが前提条件になる、ということです。でも、「正義」を今の現実社会の中でどのように実践していけばいいのか、ということを考えた場合にはどうしても、「民主主義」ということを考えなければならないし、さらには、「教育」に携わる私たちは、それを「教育」「学校」という文脈で考え続ける必要があります。そして、それを生涯にわたって考え続けたのが、ジョン・デューイです。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその4:サンデルの共通善とアリストテレス

前回、サンデルの本について書きました。ただ、なぜサンデルが共和制に美徳を感じているのか、またアリストテレスを思想の基礎に置いていることは多少わかっても、なぜあれだけリベラル批判をしているのかはわかりません。今回サンデルについてはいくつか読みましたが、圧倒的に面白かったのが、『民主政の不満』でした。この本は、アメリカの建国以来の憲法の判例や政治家の発言をたどりながら、建国当初に大事であった共和主義がいかに衰退し、次第に(彼の批判する)リベラリズムに陥ったのかということについて記述されています。ここから、コミュニタリアンがどのように「善」を考え、「リベラル」を批判しているのかの思想の一端を見ることができるような気がします。また、コミュニタリアニズムの理解のためには、ある程度アリストテレスの理解が必要となってくるため、倫理学としての主著にあたる『ニコマコス倫理学』についてもまとめておきたいと思います。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその3:サンデルのメリトクラシー批判

 

さて、本テーマのブログその1の冒頭に紹介したマイケル・サンデルですが、前回に紹介したロールズの批判者として有名です。1980年代から1990年代にかけて、いわゆる「リベラルーコミュニタリアン論争」がありました。コミュニタリアンは、ロールズの「リベラリズム」では、人びとの「善い生」を可能にする正義は構想できないと批判しました。そしてコミュニタリアンの代表的論客の一人がマイケル・サンデル、ということになります。サンデルといえば、NHKの「ハーバード白熱教室」でご存知の方も多いでしょう。『これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学』もベストセラーになりました。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその2:ロールズ「コーポラティブベンチャー」を教育に応用する

 

前回は「正義」についてプラトンを中心に考えました。今回は、二十世紀最大の政治哲学者と言っても過言ではないジョン・ロールズの思想について「学校」のメタファーを使って考えていきたいと思います。プラトンは「正義」が何かについて非常に明快な示唆を与えました。でも、「どうやったら正義を実現できるのか?」については、複雑な現代に生きる私たちが具体的にすぐ行動を起こせるような、誰にでもわかるような方法(How)を指し示すことはありませんでした。

 

だって、さまざまな欲求を持ち、さまざまな個性・技能・卓越を持つわたしたちが全て幸福になれる世界なんてどうやったら実現するのでしょう?私たちは「家族」内や「職場」内ですら、お互いの価値を認め、いつもハッピーに暮らせるとは限りません。どんなに近しい人であっても、全く同じ主義主張を持つことはありえません。さまざまな考え方を持つ私たちが調和し、一緒に生きていくために、どうしていかなければならないのでしょう。ロールズは、そんなことを『正義論』で考えました。[i]

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公正・正義を教育のめがねで探究するその1:プラトンと正義の歴史

4月にマイケル・サンデルの『実力も運のうち−能力主義は正義か?』という本が出版されました。マイケル・サンデルといえば、NHKの「ハーバード白熱教室」や『これからの正義の話をしよう』などの本で知っている方も多いと思いますが、思想的系譜としては「正義論」の中でも、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者となります。

 

ところで、前回の哲学登山のテーマは「正義」。「正義」という言葉は、日本語では「正義の味方」など、道徳の匂いが強かったり、ときには「融通がきかない」「自己満足」「ええかっこしい」というマイナスのニュアンスを持つこともあります。みなさん、「正義」というと何をイメージするでしょうか。

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