公正・正義を教育のめがねで探究するその5:デューイ『民主主義と教育』そして総括

 

さて、「正義」のブログも5つ目、いよいよ最後になります。今回の「哲学登山」テーマは「正義」だったのですが、プログラムとしての目標は「民主的な教育を人々と正当に実践するための考え方を理解する」ことに置きました。つまり「民主的」ということを考えるためには、“自分なりの正義”の理解と感度を持つことが前提条件になる、ということです。でも、「正義」を今の現実社会の中でどのように実践していけばいいのか、ということを考えた場合にはどうしても、「民主主義」ということを考えなければならないし、さらには、「教育」に携わる私たちは、それを「教育」「学校」という文脈で考え続ける必要があります。そして、それを生涯にわたって考え続けたのが、ジョン・デューイです。

 

「デモクラティックエデュケーション」という言葉がありますが、何が「デモクラティックなのか」ということを考えずに、目の前の手法やフォーマットを安易に使ってしまうことには、危険性があります。何かをクラス内で決定するときに、何でも多数決の投票で決めればいいというものではないでしょう。少なくとも、「教育」としての「民主主義」について私たちはきちんと考えなければなりません。そのためにもデューイの構想した民主主義についてあらためて辿っていきたいと思います。

 

【そもそも民主主義とはなにか】

 

実はデューイは「民主主義」について、一般的な政治学のイメージとは違った非常に個性的な捉え方をしています。『民主主義と教育』という著書自体、哲学の歴史を「教育」のレンズで改めて見直していく、という極めて斬新な挑戦です。『民主主義と教育』には「教育哲学概論」という副題がついており、民主主義の影響を科学における実験方法、生物学における進化論的観念、産業の再編成と結びつけるという試みをしています。ちなみに、デューイ自身、この本について「私の哲学そのものが最も十全に説明された著作」と言っているそうです。(DG 2)

 

デューイの思想は、ダーウインに非常に影響を受けており、社会というものを生物のように捉えているところに特徴があります。それが非常に魅力的であり、「学び」と「民主主義」を考えた場合にとてもしっくりくるのですが、一方で、政治学科出身の私からするとあまりにユニークで、当初戸惑いました。なので、一般的に「民主主義」と言われた時に皆が想像する民主主義についてまず概観してから、デューイのいうところの「民主主義」に入っていきたいと思います。政治学の領域で言われる「民主主義」ついては、宇野重規『民主主義とは何か』がとても分かりやすく、まとまっているので、そこからまとめていきたいと思います。

 

まず、デモクラシーという言葉が生まれたのは、古代ギリシャの時代です。語源のデモクラティアは、人民や民衆を意味するデーモスと、力や支配を意味するクラトスが結びついたものだそうです。(MN36)古代ギリシャ以前にも、メソポタミアなど自己統治としての歴史はありますが、最盛期のアテナイの民主主義の仕組みは非常に洗練されたものでした。基本的に全ての公職が抽選で選ばれ、民会は全ての事柄についての最終的な決定権限を持ちました。

 

古代ギリシャの都市国家には、官僚制や宗教を独占する神官たちがおらず、普通の市民たちが自ら国政を担いました。民会に参加し、公職につき、裁判の陪審員になることは市民にとっても名誉なことでした。(MN41)各地にできたポリスは、紀元前8世紀ごろには1500あったとされ、アクロポリスという丘を中心に、アゴラという広場があり、城壁があって、都市内部と、周辺の田園都市に分かれ、市民は少数の奴隷を用いて農業を行なっていました。(MN47)

 

紀元前510年のクレイステネスの改革により、アテナイの民主主義は完成をみます。旧来の4部族は解体され、全国土を都市部、沿岸部、内陸部とわけ、それぞれを10に分けて、30の区(デーモス)がつくられました。都市部、沿岸部、内陸部ひとつずつを選んだ10部族を設定し、各部族50人の評議員からなる500人の評議会を設置しました。定例民会は年40回もあり、丸一日かけて通ってくる評議員もいたそうです。ソクラテスも評議員をつとめました。アリストテレスは理想的なポリスの人口を5040人としましたが、最盛期のアテナイの人口は4−5万人といいますから、一つの部族がだいたいそのくらいの規模になっていたことになります (MN52-66)

 

ローマ共和政においても、国家は王ではなく、市民にとって公共のものでしたが、だんだんに退廃します。11世紀ごろ北・西部イタリアでコムーネという都市国家が発展し、封建領主と戦い、コンスタンツの和解で自治権を正式に認めさせました。また、はじめは封建社会においては実質的な権力は各地に散らばり、領主が軍事、司法を握り、国王の歳入は直営地からのものが中心でしたが、だんだんに王権が司法権、徴税権を持つようになります。

 

そんな中、イングランドのジョン王によるいき過ぎた課税によって貴族が反乱、1215年、マグナカルタによって、王といえども法のもとで臣民の自由を守ることを約束させられましたが、これは国王の権限を制限したという意味で、憲法史の草分けとも言われます。さらに、17 世紀に王権と議会の対立から内戦がおこり、議会制の共和主義が成立します。この時代にホッブズ、ロックが出てきます。1688-89年には名誉革命によって、議会主権が確立し、議院内閣制がスタートしますが、この時の議会派リーダーの元にいたのが、まさにジョンロックでした。(MN92-94)

 

一方で、フランスはルイ14世のもとで、非常に強い常備軍と官僚制を備えた中央集権国家となっていましたが、徐々に政治が不安定になっていきます。アメリカでは、1776年に「すべての人間は生まれながらにして平等である」「生命、自由、幸福の追求」を人間の不可侵の権利とした独立宣言がなされます。1787年には、世界最古の成文憲法といわれる、アメリカ合衆国憲法が採択されます。[i]

 

アメリカの「デモクラシー」を発見したトクヴィルは、当時の東部イングランドのタウンシップという基礎自治体で出会った人たちの声に驚かされます。いずれの市民も地域の諸問題をよく理解し、政治的見識もみるべきものがあり、政府の力が弱いぶん、学校、道路、病院などについて自分たちでお金を集め、そのための結社を設立して、事業をすすめていました。このタウンシップにおける自治については、その3のブログでも触れた通り、アーレントも『革命について』で書いていますし、私も2014年から2017年にかけてアメリカで住んだ時に同様の経験をしました。地域の教会では医師が貧困層の住民に無償で診察と投薬を行い、学校では地域企業も含め、大々的な寄付活動が行われ、娘が通った公立小学校では年間1500万円ほどが集まっていました。そこから、壊れた遊具の補修や、プリンターのカートリッジ、ロボティックス大会の開催費用などが出されるのです。メガチャーチは、時にエンターテイメント会場となっており、子供のためのサーカスや、ミュージカルなどが無償で解放されていました。学校の生徒たちもさまざまな寄付活動に参加します。この町は自分たちで作り上げるんだ、という文化があり、子どもたちも親の姿やコミュニティを通じて、その感度を育んでいくのですが、非常に感銘を受けたものでした。トクヴィルは、民主主義の本質は人々が自ら統治を行なっていることにあると、言いましたが(MN145)アーレントも指摘したように、そこには「公的幸福」というものがあって、地域社会に参画して貢献するということが楽しく、誇らしいものだと感じることができるのです。

 

(テキサスのメガチャーチのクリスマスに行った時の写真。説教の合間にサーカスやミュージカルなどをやります)

 

さて、アメリカ独立、フランス革命のころ、改革者たちはいずれも法が鍵になると考えました。すべての人民が立法者となり一般意志に基づいた法をつくることが人民主権であるというルソーの考え方は、理想的すぎるとの批判もありますが、議会の民主化につながっていきました。19世紀を通じて、産業革命が進む中、普通選挙に社会は向かいます。貴族だけではなく、中産階級、労働者階級も参政権を持ち、男子普通選挙、男女普通選挙へと変わっていきます。

 

とはいえ、トクヴィルのみたようなコミュニティレベルの民主的実践だけではなく、アメリカにもれっきとした議会制民主主義があるわけですから、その理論を整備し、洗練させることが必要です。その仕事をしたのが、トクヴィルとも親しく盟友だったジョン・スチュワート・ミルでした。ミルは『自由論』において、代議制民主主義を擁護しますが、一方で言論の自由の重要性を再三訴えました。単なる多数決は危険です。少数派の意見のほうが正しく、社会を良い方向に推進する可能性があるから絶対に封じてはいけない、と論じました。こうした議会制民主主義は19世紀に欧米諸国を超えて広がりを見せます。オスマントルコ、オーストリア・ハンガリー帝国、清朝、ロシア帝国、ドイツ帝国が1900年代初頭に解体していきます。日本も明治維新がありましたから、その例外ではありません。

 

【デューイにおける民主主義】

 

「民主的な教育」と言ったときに、私たちは上記のようなイメージを持つため、学校の生徒会長や規則やさまざまな決まり事を「選挙」で選んだり、クラスで何かを決めるときに「多数決」を使用したりします。しかし、デューイは、すこし違った見方をしています。『民主主義と教育』の目的はその序文に「民主主義の成長を科学における実験方法、生物学における進化論的観念、産業の再構成と結びつけ、これらの発展によって示唆される教育の内容と方法上の変化を指摘する」とあります。

 

実際『民主主義と教育』の第一章の題名は「生命に必要なものとしての教育」となっており、生命(ライフ)の更新の話から入っていきます。デューイは生物と無生物の間の最も著しい差異は、生物が更新によって自己を維持すること(MK上11)だといいます。つまり、デューイは、社会を多様な人々の単なる集まりとして考えているのではなく、一つの生命体のように捉えているのです。

 

『民主主義と教育』の発表の約30年後、理論物理学の世界からみるとどうしても理解できない現象が生物の世界にあることを世に知らしめたシュレーディンガーの『生命とは何か』が出版されました。物理の世界には、あらゆるものは秩序だったものから無秩序へ向かうというエントロピー法則があります。しかし、生物体は光合成や、生殖によって、永遠といっていいほど長い期間秩序を失いません。それをシュレーディンガーは「生物体は負のエントロピーを食べている」という言葉で表現しましたが、まさにデューイは社会を、人が死んでも集団の生命が存続する「経験」を食べる生命体のように捉えていたのかもしれません。

 

第1章から、少し引用しておきます。

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生物は生存している限り、自己自身のために周囲のエネルギーを利用しようと努める。生物は光や空気や水分や地中の物質を利用する(略)。生物が成長し続けているかぎり、このように環境を利用することによってそれが獲得するものは、そのときそれが消費するエネルギーを償って余りがある。つまり成長するのである。 (MK上11)

生命(ライフ)とは環境への働きかけを通して、自己を更新していく過程なのである(MK上12)

(ライフを肉体的存在としてだけではなく)個体および種族の経験の全範囲を指すものとして、(略)ライフ(生活)とは慣習、制度、信仰、勝敗、休養、職業を含む。(略)(経験は、生命と同様に)更新による連続という原理があてはまる (MK上12)

最も広い意味での教育は生命のこの社会的連続の手段なのである。(MK上13)

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こうした世界観の中で、デューイは集団的生命の再構成を論じます。その生命維持のためには、「教育、ただ教育だけ」が必要、と訴えます。(MK上14)社会の生命を維持するような共同体の形成のためには、集団として私たちは、「伝達」「通信」によって、目標や抱負を共有する必要があります。

 

しかし、工場労働者のように「目的」を与えられ、機械的に働いているだけではそれは「共同体」ではありません。構成員がそれぞれが「目的」の更新に興味を持ち、自分たちの活動を主体的に調整してはじめて「ほんとうの意味での共同体」となると言います。その活動を支えるのが「通信」です。「通信」によってわたしたちは、拡大された経験を受け取り、態度や行動を変容させていきます。本や手紙、今ならインターネットによってさらに私たちの経験は広がります。こうして身近な人たちばかりだけではなく、時空を超えた人たちと「ともに生活する」過程そのものこそが「教育」なのです(MK上18)

 

だとすると、「望ましくない社会」は経験の自由な交流や伝達を妨げる社会です。わたしたちの社会はそのような社会ではなく、十分な交流伝達がなされていて、皆が拡大された経験を受け取り、サステイナブルに変化していく「民主的な社会」にならねばなりません。(MK上160) では「民主的な社会」とはどんな社会なのでしょうか?デューイは以下の2つの要件を提示します。

 

1)ある集団の関心事が(ある一定程度以上)その全成員によって共有されている

2)その集団が他の集団と自由に相互作用している

 

つまり、「民主的な社会」では、全ての成員が等しい条件でその社会の福祉に関与できるように条件が整備され、いろいろな形の共同生活の相互作用を通じてその制度を柔軟に調整し直すことができるようになることが望ましいということになります。そのためには、人々が社会に自ら進んで興味を持つ必要があるし、「混乱を引き起こさないで」社会変化をもたらせるような心の習慣を身につけるような教育が求められます。(MK上160)

 

そして、上の1)2)に「集団」という言葉がありますが、人は産業や学問、宗教、政党、血縁、言語、伝統、道徳などさまざまなもので結びついていて、一人がたくさんの異なった集団に関わります。前述のロールズは『正義論』でさまざまな主義を持つ人たちがいかにして共生する社会を作り上げていくか、を論じましたが、まさにデューイは、非常に動的で生命体的な感覚を持って、少し違う側面から、いかにして同じような社会を作り上げるかを考えていったように思います。

 

たしかに私たちが直面する「民主主義」の問題は、結局のところ他の集団の関心ごとを自分ごとのように考えることができない、またそうした集団と自由に伝達できていないことが大きいように感じます。重い病気を抱えている人や、大変な障害を持っている人たち、貧困にあえぐ人たちのことをどこか遠い世界の出来事のように感じています。一方で、「新型コロナ」「オリンピック開催」に関する議論についても、皆が同じようなマインドをもって関心を持っているかというと非常に疑問だし、難しい政策のことはわかりません。今、世の中は複雑になりすぎ、どんどん専門領域に細分化され、「知らないことはお任せ」という社会になっています。SNSでもアルゴリズムによって「気持ちのいいコンテンツ」だけが目に入ってきます。世界の全体感が全くない中で、違う考え方をもつ「集団」がどのように相互作用していけるのでしょうか。

 

そうしたときに、「小さな社会」である学校や教室における実践によって、お互いのことを理解し、思いやるような気持ちを育てるということこそが、「民主的」社会の形成にとって、必要不可欠である、ということは異論の余地がないでしょう。もう一ついうと、似たような集団だけを教室に入れてしまうのではなく、さまざまな身体的、認知的特性を持ち、社会経済的にもさまざまな子があつまってくるインクルーシブな教室環境によってこそ、真正な教育がやりやすくなる、という考え方もできてくると思います。

 

本来「議会制民主主義」はデューイのいうような「民主的な社会」を実現するための「仕掛け」みたいなものだと思いますが、今現在その機能が十全にはたらいているか、というと全くそうではないのではないでしょうか。そこに必要なのは、「制度」じゃない、「教育」、もっというと「民主的な生き方なんだ」というデューイの強いメッセージがそこにあります。もちろんモンテスキューが見出した「三権分立」のように、今現在においても非常に強力な効力を発揮する「制度」はあります。でも、今の政治学は「議会制民主主義」に足をすくわれ、次の一歩が踏み出せないままモタモタしているように見えます。そこに、目の覚めるような何かを持ってくるような能力は私には、ありません。でも、すくなくとも、本当に私たちの社会をよくするような「教育」について考えることはできるのではないでしょうか。

 

【総括】

 

いよいよ、「正義」に関する私の振り返りブログも終わりに近づきました。プラトン、ロールズ、サンデル、アリストテレス、デューイ、と辿ってきました。今、私の中で「正義」と言われるとイメージするのが「コマ」です。「??」と思われるかもしれませんが、以下のような絵にしてみました。


(私の絵があまりに拙かったので、グラフィッカーのハルこと石橋先生に綺麗にしてもらいました)

 

はじめにみたように、私の「正義」の原点は大学生の時に書いた卒論におけるプラトンの「国家」の「調和」です。でも、「調和」はどうやってこの世の中にもたらすことができるのでしょうか。

 

まず、ロールズの言ったように、一度ベールを被って、自分が何者かを知らない状態となり、ベールをはいだら「お金もなく、大きな病気を抱えており、家族もいない」となった時でも、自分は今の世の中にOKを出せるか?と考えることはとても大事です。また、今回のブログでは触れませんでしたが、パウロ・フレイレが、抑圧された人たちでも、自分の状況を理解し、立ち上がれるように育てていくように活動をし、公正な社会をつくろうとしました。世の中があまりに不公平で不平等だと、社会は安定しません。これはいわば、コマの円盤部分である一部分だけが重かったり軽かったりするような状態です。当然にそうであるとバランスが取れず、スムーズにコマは回りません。

 

一方で、仮に円盤のバランスが良かったとしても、円盤だけあっても仕方がなくて、そこに軸があって、遠心力で上に引っ張られるような動きがあってはじめてコマは回ります。デューイの言ったように、私たちは経験をしつつ、その経験を伝達しながら、社会を再構成していきます。私たちの社会もそんなふうに、いつも動いていて、成長しています。コマが回り続けるためには、さまざまな集団がお互いに対話をし、理解しあって「混乱せずに」社会が進化していく必要があります。アーレントも私たちが「活動」することによって自由を創設できる、と言いました。

 

そして、アリストテレスは、コマを回すにも「目的」が必要だろう、と言いました。目指すところは「幸福」であり「最高善」です。サンデルを含め、コミュニタリアンたちは、そうしたコマの軸がとても大事だと言いました。確かにコマの円盤の傾きばかりに目がいってしまうと、バランスが崩れてしまって回りません。最後にプラトンに戻ってくると、プラトンは「コマが回るのはこういう仕組みだよね」と少し離れたところで教えてくれているように感じます。

 

さて、この絵は当然に不十分ですし、不正確ですらあるかもしれません。私がイメージしたものというだけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。ただ、自分の考えを図式化したり、文章にしたりして、とっておいても悪くはないと思います。みなさんも、もしよかったらこの図に「カント」や「サンデル」や「ルソー」やさまざまな思想家を付け足してみたり、自分で「正義」のイメージをぜひ絵にしてみてください。

 

というわけで、長らく続いた「正義登山」に関する私自身の「リフレクション」。一旦このくらいにしてみようと思います。「え、振り返りにこんなに時間使うの?」と思われるかもしれませんが、私の場合、いわゆるインプットの時間の10倍くらいを「リフレクション」にあてることも多いです。「リフレクション」の時間こそが充実しており、学びを深めることができ、さらに楽しくてしょうがないのです。いや、、、ほんとにこれ、誰が読むんでしょうね(笑)。でも、それでいいのです。

 

ではこの辺で。

 

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<参考図書>

『民主主義と教育の再創造デューイ 研究の未来へ』日本デューイ学会(編)勁草書房(DG)
『民主主義と教育上下』デューイ 松野安男訳 岩波文庫 (MK)
『民主主義とは何か』宇野重規 講談社現代新書 (MN)
『デモクラティック・スクール 力のある学校教育とは何か』M.W.アップル上智大学出版

 

[i] ちなみに、宇野先生の本で『ザ・フェデラリスト』における純粋な民主制(Pure Democracy)と共和政(Republic)が対比されている部分が紹介されていますが、これを執筆したマジソンは、純粋な民主制は市民が直接集まって、政府を運営する国家、共和政は代表制を取り入れた政治体制としたそうです。これは先に紹介したサンデルのようなコミュニタリアンの共和政とも、アーレントの共和政とも、定義が違うため、注意が必要かと思います MN104-5。

 

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