森有礼-日本の近代教育制度の骨格をつくった初代文部大臣(後半)―わたしたちの教育のルーツを辿る(10)

今回は森有礼についての後半です。前半部分をざっとサマリーすると、薩摩に生まれた森は、19歳のときに薩摩藩から派遣された留学生としてイギリスに向かい、ロシアやアメリカでも様々な経験をします。その後日本初の外交官としてアメリカに渡り、米国の政治家、文化人、知識人と積極的に交流。条約改正の仕事などに奔走します。1873年、帰国して欧米式学会の設立をしたいと、福沢諭吉らも社員となる日本発の啓蒙結社「明六社」を立ち上げますが、自由民権運動が加熱するさなかでの言論弾圧で、解散を余儀なくされます。まだこのころ森は20代後半。前半はここまでです。

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森有礼ー日本の近代教育制度の骨格をつくった初代文部大臣(前半)―わたしたちの教育のルーツを辿る(9)

以前吉田松陰福澤諭吉について書きました。その後、明治の教育はどうなっていったのでしょうか。「日本の教育のルーツを辿る」と思った時、特に探究学習となると、多くの人が考えるように私も大正自由教育にそのヒントがあると当初思いました。しかし、大正自由教育を調べている間に、その萌芽となるものはすべて明治時代にあることに気がつきました。もちろん江戸時代以前の教育のあり方が、明治時代のベースにあるわけですが、日本の近代教育の骨格ができたのはまぎれもなく明治時代です。明治時代が理解できると、大正自由教育がもっとよくわかるし、昭和の戦前戦後に何が起きて、今につながったのかが分かってきます。私たちの今の知識観・学習者観・学びがどのように形成されてきたかということが分かれば、その課題もわかるし、批判的に自分たちを捉えつつ、未来を考えることができます。これからしばらく明治時代についてまとめていこうと考えています。

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日本弁理士会「月刊パテント」7月号にポラリスプログラムについての特集が掲載されました

小学生向けの「ポラリス」で2018年に実施した発明授業について日本弁理士会「月刊パテント」にその詳細がでました。AI を用いた特許評価システムを活用し、発明者の「想い」を大事にしたプログラム。特許を取得した参加者もでました。ぜひご覧ください。
https://system.jpaa.or.jp/patent/viewPdf/3819

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