非暴力で平和を求めるとは?―ミャンマーで起きていること

先週、ミャンマー軍がクーデター後に設置した「国家統治評議会」はアウン・サン・スー・チー氏の率いるNLD=国民民主連盟の元議員らへの死刑を執行する方針を強調しました。ミャンマーでは、30年以上死刑は執行されたことがないとのこと。日本でも在日ミャンマー人の人たちによって抗議集会が開かれました。本当に恐ろしいことです。

 

私は2012年から2014年まで足掛け3年間ミャンマーにおける医療プロジェクトに携わっていました。そのときに保健省の皆さんや、現地病院の医師、放射線技師、医療系NGOの方たちと一緒に乳がんの早期発見ができるような体制をつくるために協力してきました。その過程で、民間企業や学生さんたちとの交流も増えていきました。数年プロジェクトをご一緒するなかで、彼らが来日したときには一緒に鎌倉に行ったり、私たちが出張に行ったときには、少し足を伸ばして遺跡や寺院に連れていってくれたり、楽しい思い出がいっぱいできました。

 

さて、ミャンマーの「市民不服従運動(CDM)」をご存知でしょうか。ミャンマーは、2021年2月におきた軍のクーデター後、ミャンマー国軍に対し民主派の市民たちが、職務ボイコット運動を始めました。この活動はノルウェーのオスロ大の教授らにより今年のノーベル平和賞候補に推薦されています。教授のKristian Stokke氏は、その推薦理由を「CDM参加者は逮捕、拷問、死の危険を冒しているが、民族や宗教、性別の違いを超えて、ストライキ、平和なデモ、非暴力的抵抗を通じて自由のために戦うことを選択した」としました。そのCDMをクーデター直後に率先して始めたのが、医師たち医療関係者です。

 

一見教育とは関係が薄いのかもしれませんが、武力による対抗ではなく、あくまで平和的解決を諦めないミャンマーの人たちから学ぶことはあまりに多い。ミャンマーで国立病院の医師といえば、エリート中のエリートでした。非常に恵まれた裕福な生活をし、皆から尊敬され、誇りを持って仕事に従事していました。そんな彼らが給料の受け取りを拒否し、命の危険を冒してでも立ち上がったCDM。コロナが蔓延した時期、病院に所属できないため、目の前で亡くなっていく人たちに十分な治療を施せなかったことは、専門職としてどれだけ辛かったことでしょう。

 

平和な環境にいる私たちはつい「苦しむ人を助けたいのであれば、病院に戻って診療したらいいのではないか」と思ってしまいがちですが、医師たちは、長らく続く軍事政権の下で国民皆保険が崩壊し、医療の発展が遅れたことを忘れていません。だから、ここで軍に靡くと、ミャンマーの未来がないと知っているのです。街中でボランティアとして可能な限り診療・投薬したり、私立病院で診たりしながら、平和な日常が戻ってくるのを辛抱強く待っています。市民たちもそんな医療従事者にエールを送ります。

 

【ミャンマーで起きたクーデター、その背景】

 

ミャンマーはもともと金やルビーなどの宝石が取れる豊かな国でした。しかし1886年に英領インドに編入され、1937年にはイギリスの自治領になってしまいます。しかし1942年にアウン・サン将軍がビルマ独立義勇軍を率いて、イギリス軍を駆逐します。このとき日本はアウン・サン将軍と一緒に戦ったにもかかわらず、軍政を布き、第二次大戦ではビルマは日本兵がほとんど死亡したインパール作戦の舞台になりました。その後、1962年に軍事クーデターを起こし、ネ・ウィン将軍が1988年まで軍事独裁体制を布きました。その後民主化運動がおきますが、結局弾圧され、アウン・サン・スー・チーは1989年に自宅軟禁となりました。

 

しかし、2007年にテイン・セインが首相に就任してから新憲法案についての国民投票が実施・可決されるなど、民主化が少しずつ進むようになります。2009年にテイン・セインは軍籍を離脱し、新憲法による総選挙が行われ2011年に大統領に就任します。アウン・サン・スー・チーの軟禁が解除され、多くの政治犯が釈放されました。私がミャンマーで仕事をしていた2012年から2014年にかけて、こうした民主化の空気に国は覆われ、アメリカやEUなどから外資がどんどん入ってきて、国民は自由を謳歌していました。数ヶ月空けて出張に行くたびに、車が増え、みんなが携帯を持つようになり、新しい建物がどんどん建っていっていました。国全体が明るい雰囲気に包まれ、音をたてながら変化していくのを肌で感じ取っていました。

 

2013年ヤンゴン(筆者撮影)

 

しかし2015年、アウン・サン・スー・チーが率いるNLDが圧勝し、続いて2020年にもNLDが勝利すると、2021年2月1日にミャンマー国軍が2020年の総選挙の結果を無効だとしてクーデターを起こし、現在に至ります。上述の不服従運動(CDM)は、まず医療従事者がその先鞭をつけましたが、次に立ち上がったのは、国立の小中高の先生たちでした。そのうち、学生、銀行員、エンジニア、中央銀行、税務署、消防署、森林省、建設省などの職員、民間企業も次々とCDMに加わって大規模なデモに繋がりました。大学生は大学に行かず、子供を持つ親は子供を学校に通わせない形でCDMに参加したといいます。ミャンマーでは民主化されたといっても、国公立の組織は基本的に軍の支配下にあったし、一見民間組織のように見えても、株式の保有などで軍が実質的な支配をしていることが多い。そのためこのような形で抵抗するのです。

 

国民一人ひとりも、電気や水道などのライフライン関連料金を支払わない形でCDMに参画します。芸能人たちも抗議デモに加わって反抗しました[i]。CDMによって団地から追い出された政府職員に対して、民間人が避難場所を提供したり、食事を提供したりとお互いを支え合いながら、過ごしています。しかし、冒頭のニュースのように国軍の締め付けは激しさを増し、市民生活にも影響が当然出ており、持久戦になっています。暑い夏をどのように乗り切るのでしょう。

 

今、この文章を書いていたら、以下のURLをみつけました。私自身、ミャンマーに最後に訪れてから時間が建ってしまって、今どんなことが起きているのか知りたいので、参加してみようと思います。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000088108.html

 

【時を待ち、耐える】

 

そんなミャンマーで頑張っている友人たちから、ときどき、文章や詩がシェアされます。こういうものを読むときに、マクロのデータからでは分からない、一人ひとりがこの苦しい時をいかに乗り越えようとしているのかという葛藤を感じ取ることができます。以下のものは、ミャンマーの人が、ミャンマーの人たちにエールを送るために書いたものです。(文章は本人のものではありません。何がどのようにして情報が回って、迷惑をかけてしまうか分からないので、少し編集しました。機械翻訳を使い、少し不自然な文体かもしれませんが、意味が通るところを中心に掲載します)

 

***

革命は予想以上に時間がかかり、多くの人々が落ち込んでいます。私がかなり強いと思っていた私の友人の何人かも、実際に落ち込んでるのがわかります。

 

落ち込むと、いつものルーティンをやらなくなります。寝たい時に寝て、食べたい時に食べ、誰とも話さない人もいます。でも、他人のためになにかをすると、イライラはなくなります。気分も落ち込みません。

 

ここで落ち込んだら、再び負けてしまいます。くそ野郎が望むやり方のために、負けてはなりません。彼らは私たちに落ち込ませ、信仰を失わせ、溺れさせて諦めさせたいのです。反乱をやめて、(信念を)捨ててほしいのです。だから落ち込まないで。 落胆しないで。以下、おすすめしたいいくつかのヒントです。

 

1  セルフケアをする

セルフケアとは、十分な睡眠、十分な食事、好きなことをすることです。家が燃やされ、市民が逮捕され殺されているとき、蝶のように幸せになれないことは本当です。でも、もし私たちが惨めに落ち込んだら?あなたが、何も食べずに胃が痛くなったら誰が治療するのですか? あなたが病に苦しんで、ベッドに横たわってしまったら、どうやって反乱を続けるのですか?だからセルフケアが大事なのです。

 

長期戦で軍事独裁政権に対抗し、革命を起こすためには、心身ともに健康であることは非常に重要です。だからこそ、セルフケアを忘れずに。

 

2014年マンダレー近辺 筆者撮影

 

 2 自己開発/個人の育成を行う

自己開発は革命中でも人生にも重要です。多くの人が反乱して困っているときに、自分の利益のために働いて恥ずかしくないのか、と批判する人がいますが、私は状況と理由によって違うと考えます。CDMの参画者は、国に解雇され、給料がもらえないため、食糧問題に直面しています。

 

一部のCDM学生とCDMスタッフは無料の教育訓練に参加しています。まるで彼らはライフスキルを満たしているようです。 Online Federal Schoolsが導入された今、彼らはコンピュータサイエンスと英語の出席が義務付けられています。彼らが一生懸命学んで本当にうれしいです。

 

革命が成功し、国を再建するとき、我々は有能な若者、有能なスタッフとして、必要なスキルを持っていなければならないのです。だからキャパシティアップグレードコースに参加することをお勧めします。家にいながら読んでください。読書に退屈しないで。 読書は自分を向上させる最良の方法の一つです。

 

3  無理せず他人の役に立とうとする

自分自身が困っているとき、無理しないでください。たとえ経済的に助けられなくても、動機づけのスピーチや気遣いはできます。経済的に助けることはできなくても、人を助ける仕事はたくさんあります。

 

(無理せず)革命を継続することが、大切です。集団で反発している時に、セルフケアや自己開発をしたっていいのです。こんなことは、永久に続きません。無常という概念を心に留めてください。このことを心に留めて、セルフケアのルーティンを続けてください。私はできる限り革命の助けとなるすべてのことをします。この悔しい時を乗り切るためにできるだけ多くの人のことを想います。みんなが安全で健康であることを願っています。

 

2014年 マンダレー(筆者撮影)(冒頭の寺院の写真は、2014年バガンにて)

 

ミャンマーで仕事をしていたときに道端でカゴにいっぱい入っている鳥を売っている人をよく見かけました。お金を払って鳥を逃すと功徳を積んだとされるため、それを商売にしていると聞きました。そのことを知った時は、森で飛んでいる鳥たちを捕まえて、カゴに閉じ込めて1羽放すごとにお金をとるなんて、なんということだろうと思ったのです。でも、今は痛いような気持ちでそのことを思い出します。ミャンマーの人たちは、鳥籠の中にうずくまる鳥のように生きてきた時間がとても長かった。鳥に自分たちの姿を重ね合わせていたのでしょう。今、彼らがこんなにも強いことに正直とても驚いています。いつか外に飛べる時の希望を捨てずに、支え合いながら準備をし続けているミャンマーの友たちを心から応援したいと思っています。

 

ミャンマーに平和が訪れますように。

 

[i] https://myanmarjapon.com/serialize/210606

 

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