「やっぱり一緒でないとあかんねん」豊中市立南桜塚小学校訪問記(前編)

訪問から早5ヶ月が経ってしまったのですが、FOXプロジェクトというインクルーシブ教育の活動の一環で2023年2月20日、大阪府豊中市立南桜塚小学校を訪れました。豊中市のインクルーシブ教育の先進的な取り組みは全国的に知られているかと思います。その中でも南桜塚小学校はメディアにも取り上げられることが多いので、知っている方も多いかもしれません。医療的ケアが必要な重い障害のある子や、全盲の子たちも一緒の教室でほとんどの時間を過ごし、学んでいます。一体現場はどうなっているのでしょうか。

 

この日は、朝から一つ授業を見せていただいた後、学校内部を見学、その後お昼ご飯をみんなで食べて、午後は校長の橋本直樹先生にお話しをお伺いする、というスケジュールでした。結論めいたことを先に言ってしまいますが、校内全体にはなんともいえない温かさと穏やかさが溢れていました。その温かさは、学校の先生を含めた職員の方たちからだけではなく、障害のあるなしにかかわらず、子どもたち一人ひとりから感じ取れるものでした。900人近くの児童を抱える大きな学校ですが、重い障害のある子どもたちも通常級で一緒に学ぶということの積極的な意味を存分に味わいました。一方で、ここまでの実践が実現するまでには現場の先生方、保護者、地域の方達の活動の歴史の背景があります。そうした背景も含めて、前編・後編と分けてまとめておこうと思います。前編は見学当日の様子、後編は豊中市のインクルーシブ教育の50年以上にわたる歴史についてまとめました。

 

みなさく食堂という学級目標(4年生の授業風景)

午前中は阪本珠生先生による4年生の授業を見学。見学といっても、先生がどんどん話し合いの中に私たちを入れてくれます。一緒に授業を受けているようでとても楽しく、あっという間に時間が過ぎていきました。

まず、見学者の私たちが挨拶をすると、子どもたちにいろいろな質問をしていいことになりました。まず目についたのは黒板の上に大きく掲げられた「みなさく食堂」のおしながき。「これなぁに?」と聞いたら、みんな口々に教えてくれました。

 

 

「みなさく食堂」は、自分たちのクラスを自分たちでつくっていくために、4年4組みんなで話し合って決めてきた学級目標とのこと。「みなさく」とは南桜塚の略称(南桜→みなさく)です。その一つひとつがメニューのようになっています。

「ラーメン定食」は間違ったことをしたらラーメンが冷めないうちにあやまること。「てんぷら定食」は天ぷらの衣のように優しさで包みこもう、「すし定食」は、ネタとシャリがぎゅっとなっているように、友だちとの距離を近づけて仲を深めよう、「うどん定食」は、うどんのコシが良いほど美味いみたいにみんなで成長しよう、「ボンカレー」は、みんな頑張ったね、おつかれさま、「とろ〜りチーズピザ」は、うれしい気持ちや悲しい気持ちをみんなで分けあって、チーズのように心がつながろうとのこと。

最近増えた「ともだちの素」という調味料は、友だちから仲間になるために大切な成分が入っています。それは、「話し合い」「対話」「少々のけんか」しかし「かけすぎは注意」で、「それぞれのメニューにお好みでちょうどいいくらいにかけたらいい」のだそうです。クラスの仲が深まっていくにつれて、「友だち」や「仲間」について考えていると、思いついたそうです。最後に単品メニューの「ニャムニャムチキン」は、やったことないことも苦手なことも5年生に向けて挑戦してみたら、それが好きになってやみつきになる(なぜ?笑)。

 

 

そして、この日の4年4組の授業はとても印象深いものでした。というのも、この4年生全体で取り組んできた障害理解教育では、「#みなさくふつうアップデート!」と題して、学校のふつう・あたりまえを問うことから、自分たちの学校をよりよくしていこうと、取り組んできたのだそうです。そんな学びの様子を教えてもらいながら、より深く考える一時間でした。

 

阪本先生
「ところで2学期は、4年生のみんなで、学校のなかにある「ふつう」や「あたりまえ」について考えてみることにしました。そこで、クラスでアップデートしようと思っていたことはなんでしたか?」

 

Aさん
「2学期にクラスみんなでアップデートしたのは『障害者』という言葉です。」

「みんな一人ひとりに名前があるのに、『障害者』と呼ばれる友だちがいるのは変だなと話し合ったからです。」

「どうやってアップデートしたかというと、障害者っていう言葉を変えないといけないのではなくて、『障害者と呼んでいる人たち』が変わらなければならない、という話になりました。」

 

阪本先生
「他にもグループで、アップデートしてみたいことについても考えてみましたね。どうでしたか?」

 

Bさん
「わたしは時間割が決まっていることをアップデートしようと思いました。」「どのようにアップデートするかというと、時間割で何が好きかなど、アンケートをとったりして自分達で教科をつくることになりました。」

 

Cさん
「水筒の中身をアップデートします。今は水かお茶なんだけど、カルピスとか、健康に良い果物のジュースとか、青汁とか。そのためにできることは、親に聞いてみてOKだったら(変えて)いいと思いました。」

 

Dさん
「安心の場をアップデートしたいと思います。」「今の現状は安心な場ではないと思います。不安に思う人が話せないことがあります。そのためにできることは、ちいさいことでもなんでも言えるようにしたいです。ポスターや張り紙でみんなに呼びかけることです。」

 

阪本先生
「こういうふうに、1学期の終わりには『とろ〜りチーズピザ』ができたよね。しんどいことや、辛い気持ち、嬉しいきもちを語り合うこと。今日E君はおやすみしているけど、(それまでなかなか言えなかった)「これを手伝ってもらいたい」と言えたときのこと。みんなの心に残っていますね。」

 

Fさん
(クラスでアップデートしたことについて)「障害者って言葉がもうなくてもいいんじゃないかと思いました。」

 

Gさん
(先日放送のあったテレビをみて思ったこと)「文科省の人が言っていた支援員の人が障害の子の面倒みたらいいと言っていたけど、担任の先生はみんなも見て、障害のある子も見るんだから、がんばってくれているのにそんな言い方をするのはちょっと嫌だな、と思いました。」「あと、『障害』の『害』が有害の害だから、ひらがなになっていたけど、傷つきにくくはなるけど、意味は一緒だから、(障がいという言葉そのものを)変えてほしいと思いました。」

 

Hさん
「前も言ったけど、障がい、ってひらがなにするのは気にしすぎというか、ちょっと嫌やなって思うし、支援員さんというよりみんなで授業を進めたらいいんじゃないかな、と思いました。」

 

Iさん
「なんで支援員とか先生だけが支援しているんだろう。別に支援員がいなくても子どもたちでできるんじゃないかな。」「そしたら税金もつかわなくてすむし。」

 

クラスのみんな
「おおおー!なるほどー!!」

 

Iさん
「障害がある人と一緒にいるとかそういう出会いはいつになっても必要やし、手助けとかするのは付き合い方のいい勉強にもなるんじゃないかな。」

 

Jさん
「子どもたちで支援し合えば税金がかからないのでは?」「障害のある子でもそうでない子でも大事なこと。」

 

Kさん
「わたしたちのクラスメートだし、わたしたちの学級だから、自分たちで作っていきたい。」

 

Lさん
「自分のことは自分でやりたいよ!」

 

「やっぱり一緒でないとあかんねん」

上記の授業を拝見し、その後いくつかのクラスを回ることができました。給食のときには、嚥下食や胃ろうの準備も同時に行います。豊中市教育委員会学校給食課が給食センターで給食の一部を嚥下食にして配送しています。

 

 

医療的ケアの必要な生徒も一緒に過ごしています。みんな普通に声をかけたり、車椅子を押したりしています。クラスでみんなと一緒にご飯を食べていました。私もある男の子と一緒に給食をいただきました。はじめは目も合わせず、全然話してくれなかったのですが、ミサイルの絵をノートに描いているのをみつけたので、トマホークなどの弾道ミサイル、迎撃ミサイルの話など、聞き齧りの知識で話しかけてみたら、そしたらもう楽しそうに喋る喋る!色々教えてくれました。

 

 

午後は、校長室で橋本直樹先生にお話を伺いました。校長室にはこんなテーブルがあって、色々な子が出入りしています。先生の机の前にはソファーもあってそこでお話を伺っていたのですが、ごろごろと横になる子、ゴキブリ飼育ついて熱心に教えてくれる子もいました。うーん・・やっぱりゴキブリは飼いたくないなぁ(笑)。入口の隣には「一人も残さず、最後の一人まで」と紙が貼ってありました。

 

 

そこでいただいたのが、この冊子。34年間中学校の教員として、豊中市の「ともに生き、ともに学ぶ」教育に関わり、その最前線で活動した齊喜慶三さんの講演録です。

 

 

齊喜さんは、自らの教育実践にとどまらず、「障害」を持つ仲間と共に歩む豊中若者の集い実行委員会の顧問として、また、豊中市進路保障委員会事務局「障害」児担当として、市全体の「障害」児教育の要として活動してきました。齊喜さんは残念ながら、2017年に亡くなり、齊喜さんを偲ぶ人たちが、講話の録音を冊子としてまとめました。齊喜さんの語りは、落語で鍛えた話術を駆使し、独自の大阪弁でまくしたてるにぎやかなものだったそうです。この本は外には売っていないものなので、一部ご紹介します。 

 

ひとつは初めて齊喜さんが担任として出会った感音難聴の「カーコ」の物語です。齊喜さんはもともと、大阪芸術大学を卒業したグラフィックデザイナーでした。美術科教諭として赴任した豊中市立第十五中学の担任になった当時、障害のある子はまだ「抜き出し」といって、特別支援教室と通常学級を行ったり来たりしていました。でも、齊喜さんは「僕の授業だから僕のクラスだからここ(原学級※)におります」でいいでしょう、と考えます。カーコの席を一番前にし、各科目の教師には「教壇から動かず、板書きでお尻を見せず、喋るときは、口元を見せるように」とお願いします。

 

齊喜さんは、さまざまな失敗もします。カーコに聴こえるかもと、高額のシンセサイザーを買ってあげたのに、実は聴こえていなかったり、せっかく字幕付きの映画上映を企画したのに、カーコは体育館が暗くなった瞬間に気分が悪くなったり。しかし、あるとき齊喜さんは気がつきます。「カーコの意思を聞いていなかった。」

 

でも、そうした経験を中学校で積んだカーコは無事私立の女子校に進み、バレー部に入り、自分で陸上部を立ち上げます。しかし高校卒業後、カーコは障害者枠での就職を余儀なくされ、障害者差別に出会います。一緒に働いているおばちゃんの悪口は視力4.0のカーコには見えてしまいます。お昼ご飯には一度も誘われませんでした。でもそれから何年かたって、カーコはスキューバダイビングのコーチの免許をとり、そこで知り合った人と結婚します。結婚式で陸上部の友達がカーコに送る歌を歌い始めます。

 

その後、齊喜さんは脳性麻痺のU君、自閉症のI君、発達障害のA君・・とさまざまな生徒たちに出会っていきます。そのころから「『障害』をもつ仲間と共に歩む豊中若者の集い」に参加、豊能地区進路保障協議会※※の事務局長となり、13年間努めます。若者の集いに集まった実行委員の生徒たちと一緒に、豊中市内の歩道をすべて調査し、誰もが街に出かけられる、そんな豊中市にしたいと願って豊中市の歩道調査にも取り組みました。合言葉は、「それでも街に出かけよう!」でした。

 

そんな齊喜さんの言葉、少し抜き書きしておきます。

 

  • 僕は教員三十四年選手なんですけど、「障害」持っている子がいじめられたシーンに一回も出くわしたことがない。これは自信あるんです。ところが、抜き出しとか取り出しとか、別室で指導するようになると、いじめが起こる可能性が出てきますねん。
  • 知的「障害」て、ぼくらもう、嫌悪感です。あんなん、何の「障害」やろと思いますよね。テルオ君は「自閉症」と呼ばれています。彼も判断すれば知的「障害」と呼ばれるかも分からへんけど、頭の回転というか、記憶力がベラボーにいいんです。ー一番正しい言い方は彼は学校の勉強に興味がない。
  • F君は、休み時間に先生らの駐輪場に行って空気抜く係。ー僕も教師やから言うたらあかんけど、きらい。いらんことばっかり言うし。(でも修学旅行でダウン症のTくんに)「Tこれ買うて行け」と言ったら、Tの顔が違うねん。満面の笑みを浮かべて胸に抱くんですよ。ここからFくんは真顔になって。「あのな、Tな。お父さんに買え。これは色違いやからお母さんいっしょ。」ーFはとっても嫌なやつなんですよ。そやけど、Tの満面の笑みを見て真剣な顔で寄ってきた。これはFの良心じゃないですか。
  • 僕が言いたいのは「原学級※」にいることが「障害」を持っている子のためだけじゃなくて、その子がおることでクラスが変わるんですよ。それは山ほど見てきました。
  • できひんで、エエやん。放っといたりいな、と思ったりして。ーそんなに無理してまでこの子に九九覚えさすより、友達と一緒におらしたってくれというのが僕らの願いです。
  • 僕が今持っている二年生の学年は、ちょっとできすぎくらい大人になってやる。それは二人いてる重度と言われる「自閉」の子を支援担なしでずーっと学年で過ごしてやるから。
  • 僕は、学年づくりをするんであれば、子どもに任せるべきというのを、この三十余年で嫌というほど感じました。
  • パニックケアでよくクールダウンと言うんです。時間割に書いてあるねん。おかしい話やな。その子、毎週2時間目になったらヒートアップしよるわけ?ヒートアップさしたのは何ということですよ。

 

実は、この齊喜さんの言葉、阪本先生の授業からも感じ取れたのです。上述のクラスでの発言からも読み取れるかもしれませんが、「ちょっとできすぎなくらい大人」なのです。「その子がおることでクラスが変わる」というのは本当でしょう。障害のある子たちが「障害のない」子たちの足を引っ張るのではなく、むしろ子どもたちがしっかりしてくる。その場面をリアルで確認できたことが、この日の私の最大の収穫となりました。

 

しかし、こうした温かいクラスができるようになるまでは、長い道のりがありました。そんなことについて後編で触れていきたいと思います。

インクルーシブ教育に関するほかのブログはこちらから

FOXプロジェクトのそれぞれのインタビューはこちらから

 

※原学級保障 

大阪の公立小中学校の多くは、通常の学級を「原」学級と呼び、支援学級在籍児童生徒も「原」学級に所属し、出席簿にも50音順に生徒名を書いている。このことを原学級保障という言い方をする。(M)

 

<豊中市のインクルーシブ教育に関するメディアライブラリー>

「誰もが“ひとつの教室”で 大阪・豊中 インクルーシブ教育」  (2023年5月「NHKかんさい熱視線」)

https://youtu.be/Vh-8jzUzBZE

 

【みんな一緒】「なんでわざわざ取材に来るの?当たり前のことやん!」障害ある子もない子も共に学ぶ「インクルーシブ教育」【大阪・豊中市】(2023年6月「おはよう朝日」)

https://www.youtube.com/watch?v=zHZT3g45ngw

 

障がいある人も共に学ぶ「インクルーシブ教育」の方法めぐり異議…『支援学級に在籍して通常学級で学ぶ』か『通常学級に在籍』か (2022年2月「MBSニュース」 )

https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2023/02/093262.shtml

 

ハートネットTV“インクルーシブ教育”を考える(1)障害のある子どもと共に | NHK ハートネットTV

https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/2361/

 

「コトノネ vol.43」株式会社コトノネ生活 (2022/8/19)

https://kotononeya.stores.jp/items/62e776702fc8815ee0e67f72

 


<参考図書>
「齊喜慶三講演録ーやっぱり一緒でないとあかんねん」「障害」児・者の生活と進路を考える会(M)

『インクルーシブ教育の源流ー一九七〇年代の豊中市における原学級保障運動』二見妙子(現代書館)

『障害児の共生教育運動ー養護学校義務化反対をめぐる教育思想』小国喜弘編 (東京大学出版会)

『「共に生きる教育」宣言』堀正嗣 解放出版社

『解放教育読本ーにんげんー実践の研究と展開ー小学校5年編』財団法人解放教育研究所編(明治図書)

『障害児教育の歴史』中村満紀男・荒川智 編著 (明石書店)

 

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