生活科・総合的な学習 (その4:伊那小・中質疑応答)〜私たちの教育のルーツをたどる(20)

昨年2月に伊那小学校を訪問させていただきました。そのご縁でわたしたちのLearning Creator’s Lab(LCL)で武田先生にお話をお伺いすることが叶ったのですが、この内容をLCLで留めておくにはあまりにもったいなく、今回その内容を4回に分けてご紹介したいと思います。今回はその第4回目(その1、その2、その3はこちらから)。伊那小学校校長、伊那中学校校長を歴任され、現在信濃教育会会長をされている武田育夫会長、馬淵勝己先生(元伊那小研究主任、現豊科東小校長)、佐々木英明先生(元伊那小研究主任、現麻績小校長)、保科潔先生(元伊那中教頭、現穂高東中教頭)にLCLのメンバーが質問をしました。この内容もなかなか興味深かったので、共有します。

 

***

「ヤギを飼っているらしい」とか、通知表がない、チャイムがない、ということで、探究する学びを実践したい先生たちの中で、知るひとぞ知る長野県伊那市立伊那小学校。昭和31年から従来の通知表が廃止されました。1998年の学習指導要領が「総合的な時間」を設定するよりもはるか前の1978年から40年以上子どもの意欲や発想に基盤を置く総合学習実践を行っており、毎年教師と子どもたちが探究するテーマを決め、3年間にわたってゆっくりと深く学んでいきます。

***

 

【伊那小学校で先生はどのように学んでいるの?】

 

(回答者)
武田育夫先生(伊那小学校・中学校校長を経て信濃教育会会長)
馬淵勝己先生(元伊那小研究主任、現豊科東小校長)
佐々木英明先生(元伊那小研究主任、現麻績小校長)
保科潔先生(元伊那中教頭、現穂高東中教頭)

 

Q: 今日教えていただいたような伊那小の価値観はまず学校内でどのように共有されていますか。伊那小に赴任する先生もさまざまな価値観の人がいると思うのですが。

 

武田先生:昭和53年から伊那小では総合学習を始めましたが、総合学習推進派と教科学習のどちらを重視・優先させるかという激論は記録にも残っており、研究会、職員会は喧々諤々でした。今でもこうした価値観の違いはあると思います。この辺は佐々木先生にお話しいただきたい。佐々木先生は中学校の先生を経て、伊那小の1年生を担任することになりました。大きな価値観の変化が求められたと思います。当時どんな感じでしたでしょうか。

 

佐々木先生:そうですね。同じ地域の学校とはいっても、中学校と小学校では大きく違います。当然小学校のことについては当初何も分かりませんでした。どうして良いかな、と思ったのですが、そのときに支えてくれたのが学校の職員、とくに「学年研」というものでした。「学年研」は同じ学年(4クラス前後)の先生で一緒に朝から晩まで過ごすことが多く、プライベートなことも全て話す関係になります。人のクラスのことも自分のクラスのことも考えます。その中で伊那小の総合活動を一緒に考えるため、伊那小の先生は入れ替わるけれども、繋がっていくのだと思います。

 

武田先生:私も伊那小のシステムとして、とても優れていると思うのは「学年研」の仕組みです。伊那小学校には「学年研」の部屋があって、職員室には誰も来ないんです。この学年の中のコミュニティで議論され、愚痴も聞き合う、喧嘩もする、という仲になります。

 

Q: 最後まで馴染めない先生はいたりしますか‥‥‥?

 

武田先生:それはいますね。子どもの中に自分をさらけ出せない、少し距離を置かざるを得ない人はいます。そうなると自分のやりたいことが先に出てしまって、子どもたちの求めが見えないことも。やはり先生によってクラスの活動に差は出ると思いますが、この辺、馬淵先生はいかがでしょうか。

 

馬淵先生:担任として3年、教頭として3年伊那小にいました。このことについてはどの先生が優れていて、どの先生が劣っているという話ではないということです。そうではなくその先生の個性をどう発揮させていくのか、限られた伊那小の生活がいかにその先生のキャリアに寄与していくか、ということを考えていました。それは職員もみんな分かっているんですよね。だからみんなで(なかなか馴染めない先生については)重なる部分や、良いところを見出そうとしていきます。

 

ところで、伊那小は学年研究が中心なので、学年で関係性が閉じてしまうのかと思われがちですが、実は学年間のやりとりもたくさんあります。それはそういう態度がベースにあるからかもしれないと思います。伊那小だと、こういう先生じゃなきゃいけない、というものがあるのではなく「はじめに子どもありき」というそこに向かっていくということくらいで、あとはそれぞれの先生の個性が発揮されていきます。伊那小に来たばかりのときは批判ばかりしていた人がその後研究の中核に入っていく、というのはよくあることです。また、夏休みになると新任職員が「伊那小を斬る!」という場があって、こんなのではいけないのではないか、などと発表するような機会があって、意外と風通しがいいと思います。

 

Q:異動のある公立の学校でも伊那小の理念がどうして継承されているのか、ある先生がいきなり新しい方針を持ち出して変わってしまうことはないのでしょうか。またいろいろな先生がいるなかで、いい関係をつくるヒントはどうでしょうか?

 

武田先生:ひとつは伊那小が公開しているのが大きいと思います。毎年2月にやりますが、多い時には全国から2000人集まります。通常でも500、600はきますので、伊那小がこういうことをやっている、ということが定着してしまっているので、それをひっくり返せる校長はきっと長野県にはもはやいないでしょう(笑)。

 

もう一つは、伊那小学校が求めていることが、永遠のテーマだからだと思います。私たちの研究のテーマ「内から育つ」はもう20年変わっていないのですが、「子どもってどういう存在なんだろう」「子どもはどのように学ぶのだろう」「教師と子どもはどんな関係があるのだろう」「教育ってなんなのだろう」ということが毎年リセットして問い直されます。研究の積み重ねということはあまり考えていません。じゃあ、30年やってきて何か成果があるの?と言われるとなんと答えていいのかわからないけれども、永遠のテーマをずっとやっているということが大きいと思います。伊那中学校ははじまったばかりなので、まだわからない、まだ怪しいですね。伊那中学校をどのようにするかというときに理念を大切にしてほしいとは思っています。

 

【どのように保護者やコミュニティと繋がっていますか】

 

Q: こういった学びをコミュニティや保護者に説明するのは難しいと思うのですが。

 

武田先生:実際に難しいところは多いです。「内から育つ」ということの理解のベースが違うときはなかなか分かり合えないことはあります。(教育学を学んだ)先生たちでも理解はそう簡単ではないものですから。もちろん県からの理解が得られないこともありました。ただ、実は今は地元の保護者からの批判はまずありません。なぜなら、伊那小の総合学習が入ってからもう50年近く経ち、当時の総合学習を経験した子どもたちが親になっているからです。その良さをわかっているので、「何を飼うの?」などとむしろ発破をかけられます。結局見方が変わる、というのは具体例があることで変わることができるのだと思います。

 

だとすると変わるきっかけは「子どものすがた」ではないでしょうか。「こんな風に変わるんだ!」という。基本的には理屈で伊那小の学びを理解してもらうことは難しいと思っているので、だからこそ毎年2月の公開研究で、みんなに生徒の成長を見てもらうのです。そして、そこで批判をうけながら私たちも成長していく。先生たちも子どもたちが本気になって打ち込んで変わっていく姿を見るから、これをやりたいな、という人たちが出てきます。一方で、教科の学習をやっていた先生がいきなり切り替えるのが難しい、ということも分かります。

 

Q:私は北海道で地域おこし協力隊として活動しています。先生方が地域にある材だとか、学習のタネをどのように見つけたり、繋がっていくのかがとても気になりました。

 

馬淵先生:それこそ積み上げた歴史があるなぁ、と思っています。このことについてはこの方に聞けば、キーパーソンになってくださるんではないかな、というのはあります。しかし、そういう人たちをリストアップして、窓口はこの人だ、とまとめてしまうことではありません。私たちが大事にしているのは、担任としてはその人との信頼関係をどう結ぶかというところで、そこが一番の勝負どころとなります。なので、その方と何度も対話したり、足繁く通いながら、「あ、この担任は信頼できる」と思ってくださったときに初めて力になってくださる。だからコメ作りはこの人に聞けばいいよ、となったところで、行ってなんでも教えてもらえるか、というとそんなことはない。強い信頼関係をいかに一から築き上げていくかというのが、学校に閉じこもっていない教師、私たちが学校から外に出て、繋がっていくこと。それは信頼関係をどう結ぶか、ということだと思っています。

 

武田先生:伊那小学校の先生に求められる力というか資質というのは通常の学校とはやはりちょっと違っていて、馬淵先生のおっしゃるように、外に出て行って、いろいろな人と関わることであったり、自分を開いて、悩みや困っていることを打ち明けることとか、あるいは段取りを組むことだったり、そういうことが大事で、結局その先生のありようそのものが総合学習になっていくんです。だから悩むし、苦しいんです。でもそのことが子どものなかに息づいてくると、これ以上のよろこびもやりがいもないだろう、という域に入っていきます。

 

【伊那小学校、本当のところ教えて!】

 

Q:通知表がないということですが、具体的にどうされていますか?

 

佐々木先生:はい。通知表はなくて、1学期2学期は保護者懇談会、学年末には120分間の学習発表を見てもらいます。総合について60分、教科の学びについて60分、保護者のいるところで子どもたちが自分の言葉で説明します。3段階、5段階という数字の評価ではなく、言葉(エピソード)で保護者に伝えます。

 

Q:どうやってチャボや牛を飼うと決められるのでしょう?そのスタートや立ち上げのところを教えてください。

 

馬淵先生:伊那小は子どもたちが最終的に決めるということは伊那小の哲学として大事なのですけれども、かといって、教師が何も構想しないわけではなく、教師としてこの子たちとの暮らし、特に4−5月を一緒に過ごす中で、どんな関心ごとがあるのかというものをやっぱり見極めながら、材(ちゃぼ、竹、牛)の構想をしていきます。

 

私自身、牛乳というものを当たり前のように消費者として飲んでいました。そのことについて子どもたちが一から取り組んでいくことは、とても価値あることではないかという思いをぼんやりと抱いていたのですが、たまたま遠足で、肉牛の黒牛と出会った子どもたちの振り返りのなかで、牛を飼ったら乳搾りができるんだとか、アイスクリームを作れるんだと、こう、盛り上がりまして。そしたら男の子がひとり、「じゃあ牛飼ったら牛乳搾れるよ」なんてことをいいだして、「いいねー」なんていう軽いノリで始まって。でもそこから子どもたちが考え、話し合い、決断するまでは、現実も考えながら、長い長い道のりがあります(信州ではこれを熟成といいます)。

 

佐々木先生:私の場合は、はじめは動物を飼うということは想定してなかったのですが、遊び場みたいなものを山でできたらといいなぁ、と思っていたら高学年が先にその活動をはじめてしまったんです。そこでさてどうしようとなり、学年のなかでも話し合いをしたり、そして、遠足のなかで出かけたところに鶏がいて、子どもたちが保育園のときに飼っていた、などの話のなかで鶏に決まりました。

 

武田先生:動物を飼うとは決まっていません。たとえば近所の河原で、いろいろ遊んで基地をつくったり、くるみで料理をしてお菓子大賞のコンテストに優勝したりといろいろあります。子どもたちは出会えば‥‥‥さっき、馬淵先生が言ったんだけど、子どもたちの活動を引っ張っていくのは、「よろこび」とか「かわいい」とか「しんぱい」とかいう情緒なんですよね。だからその出会わせ方もあるけれども、出会ったときの感情をどのように先生が拾って、それを広げていくかという先生側のことはやはり相当大きいですよね。低学年のエネルギーはやっぱり情緒なので、それを上手に引き出して子どもたちのなかに返すことが必要です。それなのに、子どもたちの感じたことと違うところにいるとなかなかこれがエネルギーになっていかない。ただ、高学年になると情緒だけでは、子どもたちもなかなか本気になっていかないので、そこに社会性とか、あるいは自然的なこととか、あるいは論理性とかそんなことがうまく組み込まれてくると活動が深まっていく、というのが伊那小学校の実践から、分かるかと思います。

 

Q:私の娘はこの4月から伊那小学校に1年生で通いはじめましたが、毎日学級通信をくれて、子どもたちの名前が入ったエピソードをこんなに時間かけて書いてくれて、驚いたりしています。あとは学校でなにやってきたの?と聞くと、必ず外で遊んで帰ってきているんですね。座っていることほどんどないんじゃないかな。でもそれが、ありがたくて。近所のお母さんたちも「伊那にようこそ!」という感じが強いです。ところで、伊那小学校の総合は3年で一区切りですが、公立の先生はローテーションがあるはずで、途中で抜けることはあるのでしょうか。その時その総合学習はどうなってしまうのでしょうか。

 

馬淵先生:長野県の教員ですから、ローテーションはあります。3−5年くらいで転勤というのが多いのですが、長い先生もいます。でも総合は子どもたちが決めていきます。なので、そのまま続くところもあれば、変わるケースもあります。子どもたちと新しい担任が新しい材を発掘していくということもありますね。3年間の暮らしなので、いろいろなパターンがあります。

 

Q:伊那小の生徒たちが大きくなったときに、こんな違いがある、というようなことがあれば教えてください。

 

武田先生:たしかにそこは難しいところで、仮に大人になってこうなったから、それは伊那小の学びのおかげだ、というようなことは言い切らないのですが、たとえば保科先生、今伊那中ですが、伊那小から来た子たちはどうですか?

 

保科先生:そうですね。伊那小から来た子たちはいい意味で生意気で、人に媚びないですね。自分の主張がはっきりしています。思い切って表現するし、それを伊那中の先生も受け止めます。

 

武田先生:僕の経験でいくと、いわゆる教科の学びではほとんど差が出ないけれども、何かを任せてみてやらせたときに大きな違いが出ます。そうやって思った時に、伊那小を出た子たちを生かしていくのは、子どもたちの問題ではなく、(なにを学力と捉えるかということを含め)私たち教師の問題なのかと思いますね。

 

 

 

【さいごに】

 

こうして伊那小学校・伊那中学校の事例を中心に歴史、学び、学校運営についてお話を伺ってきました。伊那の実践というと、どうしても「通知表がない」「チャイムがない」など特異な学びのスタイルと、その素晴らしさに目がいってしまって、「うちの学校では出来ないのではないか」と思ってしまうかもしれません。でも、武田先生が「信州の教育でそんなに知られていないけれども大事なこと」として、「信州の教師たちは気概があるというか戦うんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 

そもそも「日本の教育のルーツを辿る」というテーマで書き始めようと思ったきっかけは、東京ドルトン学園の荒木先生に「大正自由教育がそもそも文部省や各都道府県の教育行政担当者からの指導によるものではなく、在野の教育者や現場の教師が主体となった教育運動として展開されていったものであること」を教えてもらったことにありました。

 

もちろん国が築き上げてきたもの、国の仕組みに私たちは見えないところで大変助けられているわけですが、同時に今の教育がさまざまな側面で制度疲労をおこし、問題を抱えているのも事実です。そうしたときに「既存のあたりまえと戦っていく」ということも忘れてはならないのだと感じる日となりました。今の子どもたちも将来大きな時代のうねりの中で、そうした「いままでのあたりまえ」と戦う場面は出てくるでしょう。そうしたときに、さまざまな困難の中、戦うことで守ってきたり、勝ち取ってきたものの多い信州の教育に私たちが学べることは多いと思うのです。

 

武田先生、馬淵先生、小林先生、保科先生、そしてわたしたちを信州の教育につなげてくださった石山先生、本当にありがとうございました!

 

 

<関連ブログ>

生活科・総合的な学習 (その1:伊那小学校の源流)〜私たちの教育のルーツをたどる(17)

生活科・総合的な学習 (その2:伊那小学校の実践)〜私たちの教育のルーツをたどる(18)

生活科・総合的な学習 (その3:伊那小・中の学校経営)〜私たちの教育のルーツをたどる(19)

生活科・総合的な学習 (その4:伊那小・中質疑応答)〜私たちの教育のルーツをたどる(20)

「60年間通知表のない」伊那小学校訪問(後半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(5)

「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)

 

<私たちについて>

こたえのない学校HP

https://kotaenonai.org/

こたえのない学校ブログ

https://kotaenonai.org/blog/

Learning Creator’s Lab – こたえのない学校の教育者向けプログラム

こちらをクリック→Learning Creators Lab

Facebook ページ →https://www.facebook.com/kotaenonai.org