生活科・総合的な学習 (その2:伊那小学校の実践)〜私たちの教育のルーツをたどる(18)

昨年2月に伊那小学校を訪問させていただきました。そのご縁でわたしたちのLearning Creator’s Lab(LCL)で武田先生にお話をお伺いすることが叶ったのですが、この内容をLCLで留めておくにはあまりにもったいなく、今回その内容を4回に分けてご紹介したいと思います。今回はその第2回目(その1はこちらから)。伊那小学校校長、伊那中学校校長を歴任され、現在信濃教育会会長をされている武田育夫会長の伊那小学校時代の同僚の馬淵勝己先生(元研究主任、豊科東小学校校長)、佐々木英明先生(元研究主任、現麻績小学校校長)に実際にどのような実践が行われているかをお伺いしました。

 

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「ヤギを飼っているらしい」とか、通知表がない、チャイムがない、ということで、探究する学びを実践したい先生たちの中で、知るひとぞ知る長野県伊那市立伊那小学校。昭和31年から従来の通知表が廃止されました。1998年の学習指導要領が「総合的な時間」を設定するよりもはるか前の1978年から40年以上子どもの意欲や発想に基盤を置く総合学習実践を行っており、毎年教師と子どもたちが探究するテーマを決め、3年間にわたってゆっくりと深く学んでいきます。

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【実践その1:馬淵先生の伊那小正組(1-3年)の3年間】

 

当時、研究主任だった馬淵先生はホルスタインを3年飼育しました。この3年間の経過は、以下の表にとてもよく纏まっています。

 

1年生のとき、春に牛との出会いがあって6月に牛を飼おうとなった正組のみんな。6月末に生まれた牝のホルスタインを迎え入れることになりました。9月のお迎えの前にみんなで牛を飼うために、遊び場づくりや小屋づくりなどの準備を始めます。そして、9月から名前を決めたり(正組の名前をとってせいちゃんと名付けました)、餌やり、成長の記録、小屋の改良や冬支度と同時に牛の体の仕組みや生態の学習をはじめます。2年生の1学期から夏休みにかけて、だんだんせいちゃんは大きくなり、9月に人工授精、9ヶ月半ほどの妊娠期間を経て3年生の7月に赤ちゃんが生まれます。仔牛を産んだせいちゃんはお乳がでるので、搾乳し、さまざまな食品を作ります。そして、その年の年末にせいちゃんと仔牛とはお別れ、翌年2月に正組としての3年間を振り返る学習発表となりました。

 

【牛のお迎え、出産、搾乳、食品づくり】

 

たまたま遠足で、牛と出会った子どもたち。牛乳を飼ったら乳搾りができるのではないか、アイスクリームが作れるのではないかと話しはじめ、みんなの話し合いで牛を飼うことが決まった正組。7月には3日間だけ牛を借り受けて、ためしの飼育をします。しかし、小屋をつくろうと柱を立てたところで、牛にぶつかられて容易に柱は倒れてしまいました。子どもたちは倒れない柱をどうやって立てたらいいのでしょうか。

 

また広場もつくっていきます。でも設計図なんてないので、喧嘩が起きます。そこで話し合いをして、折り合いをつけ、役割分担しながら進めます。パレットという木製の台をたくさんもらってつくりますが、はじめのうちは柱に重いパレットそのものを置いて次の柱の位置を決めていましたが、そのうちしんじくん※が「楽な方法見つけたよ!」といってパレットの長さに切った板材をもってきました。これは数学でいうと間接比較の発想ですが、こうやって暮らしのなかで学習の芽ができます。
※本ブログでは児童の名前は仮名とさせていただいています。

 

そして、いよいよ9月に牝のホルスタインがやってきました! 正(せい)組なので、牛の名前を「せいちゃん」として、広場の名前も「もうもうランド」に決めます。

 

冬支度としての風除け、世話の道具づくり、餌小屋、糞混じりの藁を入れる「うんち小屋」もつくります。この「もうもうランド」は子どもたちの生活の場になり、「正ちゃんレストラン」が増設されたり、「うんち小屋」でできた堆肥を畑に運んで餌の牧草を育てたり、変化し、どんどん立派になっていきました。

 

2年目にはいると、せいちゃんが大人になり、せいちゃんの赤ちゃん誕生の願いがでてきて、結婚の日を迎えます。みんな大きな雄牛がくると思って緊張したけれども、実際にきたのは獣医さん。注射器のなかに精子が入っていました。獣医さんからはこれが赤ちゃんのもとであり、せいちゃんの体の中にある卵子と一緒になって子どもが産まれると学びます。子どもたちはせいちゃんは注射器と結婚したと喜びます(笑)。仔牛のための小屋、搾乳のための小屋をつくります。そして次の年の7月。約280日間の妊娠期間を経て仔牛が生まれます。名前は「未来」と名付けられました。

 

本格的な搾乳機を借りて、搾乳も行います。乳搾りは朝夕必ず365日休まずやりますので、馬淵先生も自分の本職がなんだか分からなくなるほどだったそうです。取れた乳は、ヨーグルト、牛乳寒天、生キャラメル、アイスクリームなどさまざまな食品になっていきました。

 

【総合学習で培われるのはよろこび、そして情緒】

 

この学びの核となっているのは「よろこび」である、と馬淵先生は言います。来て1ヶ月くらい経ったある日のこと、水換えに来たある児童をせいちゃんはぺろぺろと舐めます。それを見ていたかずとくんは「せいちゃんが舐めるのはお水を替えてくれたから、ありがとうのあいさつだよ」とつぶやきます。こういうところに、馬渕先生は児童のせいちゃんと共に生きる喜び、せいちゃんと心がつながって一体となる喜びを感じると仰ります。

 

また、生徒たちは餌代のためにアルミ缶回収するのですが、協力して集めたアルミの合計計算に2年生のかなこさんは、戸惑っていました。でも、その日は計算がうまくいって「なんかいっしょうけんめいがんばると、とっても楽しくなってきます」と日記に書きました。算数のような教科の学びも、子どもの求めや願いから生まれると、子どもにとって喜びとなるものとなるし、喜びのある学習の連続によって、学校というものが意味のあるものになると馬淵先生は仰ります。

 

しかし「よろこび」ばかりではありません。3年間のせいちゃんとの生活のなかで起きたさまざまなことを振り返るなかで、子どもたちは、一番辛かったことは生まれてきた「未来」との別れだったといいます。親牛のせいちゃんとは3年生の12月末にお別れしましたが、「未来」は雄牛でしたので、7月10日に生まれてから48日間しか子どもたちと一緒に居ることができませんでした。雄牛は数年後に大きくなると食肉になってしまいますが、子どもたちはそのことを知っています。その短い命がきまっている「未来」との別れもしっかり受け入れていくことになりました。こうした「未来」との出会いと別れを子どもたちは語り合い、詩にします。この詩は音楽の先生が曲をつけてくれました。

 

また、実はせいちゃんは搾乳しようとすると足を上げて抵抗し、暴れるようになってしまいました。馬淵先生は、やはり乳牛飼育は本来的には素人の立ち入る領域ではないと言います。暴れないようにするには、鼻環をつけて力で押さえつけるしかなくなりますが、かわいそう。そこで、子どもたちは何度も話し合いを続け、やむを得ず鼻環をつけることを決めました。でも12月にいよいよせいちゃんと別れることになると、ある児童がこんなことを言いました。

 

本当は経済動物っていう、人間が生活していくための牛なのに、ペットみたいに毎日育ててきたから、今になって正ちゃんは暴れていいと思ってしまって、ガンガンみんなを蹴ってしまって、今みたいな鼻環をつけて、痛い生活を何日も続けて、自分だったらいやだから、正ちゃんには優しくしなければよかったって、今になって後悔する。

 

このように、こどもたちはせいちゃんとの暮らしのなかで、「これでよかったのか」「これはせいちゃんのしあわせに繋がっているのか」と問い続け、大きな決断をしていきます。毎日あたりまえのように出てくる牛乳も、その背景にはこんなにも時間と労力がかかるのだと思うようになります。美味しいまずいと頬張っているお肉も「未来」のことを考えると、失われた命があってここにたどり着いているものがあるということがわかる。子どもたちはそんなまなざしで自分のまわりにあるものを見るようになります。

 

牛は牛乳を出して、それをぼくたちが毎日飲んでいるから牛はヒーローだと思う。人間が生きていくために動物たちは命を落として人間の生活に使われている。生活に必要な動物たちだからみんなのヒーローだと思う。

 

こうしていままで見えなかったことが見えるようになり、見逃していたことに目を向けようとする。これまで流していたことを心に留めようとする。「こと」や「もの」の背景にあるものを見ようとする。自分で考えて、判断して、決断して「自らがたどってきたこれまでのいきさつを物語ることができるようになる」。これが3年間の総合学習の肝だと仰ります。

 

【中学校の数学の先生だった佐々木先生の伊那小での6年間】

 

佐々木先生は平成21年から6年間同じ子どもたちを担任しました。それまで中学校で20年間数学を教え、7つのクラスを卒業させた佐々木先生。いきなりの小学校。しかも1年生の担任ということでとても不安なスタートを切りました。言葉にも慣れておらず、入学式で「起立」と言ったら誰も立たないし、保護者の方は笑っている、そんなスタートだったといいます。1年生から3年生まではチャボを飼い、雛を育て、4年生からは「竹」をテーマ(材)に竹林に入っては竹を取ってきて、玩具の制作からはじまり、筍を使った料理などさまざまなものをつくっていきました。

 

佐々木先生のクラスではチャボを飼ったのですが、他のクラスはあひる、かも、烏骨鶏を飼い「鳥学年」と呼ばれたそうです(笑)。8羽の雛を近隣の小学校と養鶏業を営んでいる人から譲り受け、4人1組で1羽のチャボを飼うことにして、チャボと遊んだり、名前をつけたり、段ボールの家や、1羽ずつ過ごせる小屋をつくりました。卵を産むようになったら安心して過ごせる大きな小屋をつくりました。産んだ卵を食べたりしました。2年目には8羽のチャボを孵して、計16羽のチャボとの生活になりました。

 

チャボの健康のために体重測定をしたり、小松菜やクローバー、とうもろこしを育て、自分たちで配合飼料を作ったり。当時、鳥インフルエンザが流行っており、いくつも解決しなければならなければならないことがあったし、チャボの数、体重、小屋の広さや網囲いの長さなど数を学んだり、チャボについて絵本づくりや日記で言語について学んだり、絵や版画、歌ったり、遠足で養鶏場に行ったりしたそうです。年間指導計画のなかで教科の学習内容を把握し、どこでどんな繋がりのある学習ができるのか、取り出して学ばなければならないことをあらかじめ見ておくことはとても重要だったと仰ります。

 

そして、チャボとの暮らしのなかで先生が実感したのは「実生活との関わりの深さが追求意欲や理解と高めること」「実際の経験を通して、数量、図形にかかわる感覚を豊かにすることができること」だったそうです。計画を以下のように作成するものの、実際の学習がこのようになるとは限らないため柔軟に対応していくことが必要とのことでした。

 

たとえば、「長さ」においても、飯田市の動物園でワラビーの赤ちゃんがカラスに連れ去られるという新聞記事に出会ったことから「カラスが最近くるけどチャボが心配だ」「あみがかこいに穴が空いているが、ネズミが心配だ」という話が出て広がっていきました。一人の子どもが「20cmってどのくらいなんだろう?」となり、そこで自分の思う20cmをみんなで表してみるとバラバラ。そこで「長さ」の学習に入ります。そのうちチャボの大きさを測りたいとなり、身長、とさか、肉垂れ、爪を測ってまとめました。測っていくなかで子どもたちは雄と雌でそれらの長さが違うことに気がついていきます。雄のほうが値が大きいこと、雌のほうがワラビーの赤ちゃんより小さいので心配だ、とチャボが連れ去られたらどうしようという心配の声が多く、次の学期ではネズミが入らないように、金網を貼ることにしましたが、30cm物差しではうまく測れず、1mの物差しで測ることになりました。また8羽の雛が生まれた時には、名前をつけるにあたって雄か雌か知りたいと、親のチャボが小さかった時の体重の変化をみるなどしたそうです。いずれにしても「子どもから生まれる疑問をつなげること」「多様な追究方法だけではなく、多様な観点から追究が期待できる学習を経験すること」「子どもの発想に柔軟に対応すること」が教科とのつながりの学びの中で大事だと仰っていました。

 

情意面での育ちも見受けられます。ヒナが来た時、子どもたちは持ちたい持ちたいと手のひらに載せましたが、ゆうじさんは怖くてチャボが手に乗る瞬間手を引いてしまって、チャボを落としてしまいました。何度やっても手を開いてしまうのですが、同じクラスの子どもたちが、働きかけてチャボを抱けるようになりました。それから3年後、6年生にゆうじさんが書いた作文。友達への感謝が綴られていました。

 

【竹から学ぶ竹取物語の3年間】

 

高学年(4-6年生)の順組では竹細工に取り組んだといいます。佐々木先生は必要な支援として「竹」からどんな活動を作っていくのかは子どもたちが決めるとして、その少し先は見通しつつも、子どもの求めに応じた支援をしていきました。

 

毎日の理科の時間にみつけたタケノコを観察して、その成長を確認したり、竹を使った製品についてみんなで話し合います。竹籠、竹筒、釣竿、物干し竿、杖、茶せん、竹紙、お盆、竹笛、うちわ、竹こま・・とたくさん出てきます。そして、竹を使ったおもちゃを作ります。空気鉄砲、水鉄砲、竹とんぼなど。そして知的障害の学級と協力し、お友達と一緒にそのイメージを形するべく竹のガチャをつくったりしました。

 

筍料理をつくったり、流しそうめんをやったり、さまざまな竹でつくったものを作成しましたが、3年間の竹はすべて竹林に子どもたちが行って、切り取ってきました。

 

5年の2学期からは1人で作れる竹籠、竹ざるなどにはじまり、徐々に運動会で使う玉入れのカゴ、大玉ころがしの玉などみんなで協力しないと作れないような大物製作へと移行していきます。この3年間は、安易に人から作り方を教えてもらうのではなく、自分たちで本を見ながら作ろうと試み、毎日の工夫の連続の中で、できないと思ったことができるようになった喜びを感じると佐々木先生は仰ります。失敗が許される環境に助けられ、見通しをもって物事を進めることができるようになり、最後までやり遂げようとする粘り強さがも出てくるそうです。

 

また、人との関わりのなかで、感謝する気持ちや、思いやりの気持ちが育まれます。竹の片付けや掃除、人と関わる時の所作なども自分たちで考えて行動できるようになるとのこと。議論を楽しみながら、新しいことを生み出していく、今まで習ったことを使うとこんな新しいことを生み出せるのだという自信をつけた子供たちになっていくと仰っていたのが印象的でした。 

 

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私自身、伊那小学校の授業を拝見し、実践録を読んだりしていましたが、1年単位ではなくこうして3年、6年という流れの中での学びを教えていただけたのは本当に貴重な機会になりました。馬淵先生、佐々木先生ありがとうございました!

 

次回は、武田先生が伊那中学校時代の教頭保科潔先生(現穂高東中教頭)に、どのような学校づくりをされているかをお伺いします。その後武田先生、馬淵先生、佐々木先生、そして、軽井沢風越学園でも連携で2年過ごした石山れいか先生も含めて、学校経営についてお話いただいた内容も纏めてあります。学校づくりは「総合的な学習の時間」に似ていると仰る保科先生。学校管理職、行政のみなさんにはもちろん、一般教員、保護者、民間の方など全ての方に読んでいただきたい内容となっています。引きつづきよろしくお願いします。

 

 

<関連ブログ>

生活科・総合的な学習 (その1:伊那小学校の源流)〜私たちの教育のルーツをたどる(17)

生活科・総合的な学習 (その2:伊那小学校の実践)〜私たちの教育のルーツをたどる(18)

生活科・総合的な学習 (その3:伊那小・中の学校経営)〜私たちの教育のルーツをたどる(19)

生活科・総合的な学習 (その4:伊那小・中質疑応答)〜私たちの教育のルーツをたどる(20)

「60年間通知表のない」伊那小学校訪問(後半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(5)

「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)

 

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