「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)

先週、長野県にある「60年以上通知表のない学校」、伊那小学校を訪れてきました。来月に伊那小学校校長、伊那中学校校長を歴任され、現在信濃教育会会長をされている武田育夫先生と対談の機会をいただいているのですが、その関係で「一度伊那小にいらっしゃりませんか?」とお声がけ頂いたのです。それは、もちろん行きますとも!!

 

伊那小自体は、「ヤギを飼っているらしい」とか、通知表がない、チャイムがない、ということで、探究する学びを実践したい先生たちの中で、知るひとぞ知る学校です。昭和31年から従来の通知票が廃止されました。今は、1・2学期末に保護者との個別懇談会行い、子どもの育ちの姿を直接保護者に伝えています。また学年末には学級ごとに「学習発表会」を行い、1年間の学習の成果を子どもの具体の姿を通して1998年の学習指導要領が「総合的な時間」を設定するよりもはるか前の1978年から40年以上こどもの意欲や発想に基盤を置く総合学習実践を行っており、毎年教師と子どもたちが探究するテーマを決めています。

 

【当日の様子】

 

当日は武田先生を引き合わせてくださった軽井沢風越学園の石山れいか先生(所属は軽井沢西部小学校)に伊那小まで車で連れて行ってもらいました。そんなに空気は冷たくないですが、雪がちらほら。伊那小に着いたのですが、待ち合わせには少し早かったので、車の中でおしゃべりしながら待っていると、子どもたちがヤギを数頭連れてやってきました。

子どもたちに聞いてみると、「今日はヤギを返しに行く日」とのこと。伊那小は3年間同じクラスで過ごし、一つの総合がなんと「3年間」続きます。このヤギさんたちは、みんなが1年生のころから育てています。その間に赤ちゃんも生まれました。3年間の一区切りがついて、ヤギを返しに行くという非常に稀な日に、稀なタイミングで私たちはヤギさんと子どもたちに遭遇したことになります。担任の加室先生がそこにいらしたので、色々聞いたのですが、返しに行くヤギの牧場は「グリーンファーム」という地域の方のところで、なんとこれから片道2時間を歩き、山を登って返しに行くそうです。ちょうどお話を聞いた時、朝10時でしたが、学校に3時に戻る予定。どうやって連れて行くのかも子どもたちが判断します。先生は、そのままヤギも歩かせていいかもしれないと思いましたが、子どもたちはヤギの爪を守りたいと、ヤギを連れてきた時につくったトロッコに乗せて行くことになっていました。(3年孝組)

 

その後、教頭の池上先生の案内で教室を見せていただきます。二年生の仁組では、ポニー「ガリバー」を飼っています。当初、ウサギかポニーか迷ったそうですが、ウサギは夜行性だから活動が広がらないと、ポニーに決まりました。蓼科の牧場から譲ってもらえることになり、小さなお家を建てました。一年三ヶ月経ち、引き馬もできるようになっています。

もう一つの2年生のクラス、勇組ではチャボを飼っていました。教室に入ると、クラスの雰囲気がしんとしています。実はみんなで大切に育てていたチャボが今朝死んでしまいました。もともと弱かったチャボだったそうで、クラスにはチャボを守ってあげたいと、教室内にビニールで囲った家や遊び場をつくり、ダンボールで止まり木まで作っていました。壁には、卵がひよこになった時の様子、ケージにネズミが入ってしまい、最終的に駆除することになった様子、たまごがたくさん生まれてそれを食べて美味しかった時のはちきれんばかりの笑顔の写真がありました。ネズミのポスターには「ネズミさんは悪くない」「ネズミだって生きている」という言葉があって、みんながいかに葛藤したかが伺えます。チャボは教壇のはじっこの椅子でタオルをかけられて目を閉じていました。周りに数名の子どもたちが座り込み、触れたり撫でたりするでもなく、横にじっとついていました。

実は、私自身は昨年度の研究紀要「内から育つ」を読んだ時にチャボの話がとても印象に残って、『探究する学びをつくる』に書かせていただいていました。勇組のみんなが一年生の時の記録です。

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6月に産直市場の動物コーナーのチャボの小屋で餌をあげたことをきっかけに、何人かの子どもたちがチャボを飼いたい、と言い出したそうだ。7月に6羽のチャボのひよこを迎え入れたが、汚れたひよこを綺麗にしようと水で洗ったところ弱ってしまって、大慌てで孵卵器で温めるなどのハプニングなどがあった。夏休みを経て、様々な話し合いをしながら最終的にクラスとしてチャボを譲り受けることを決定した。そのあともチャボが脱走し、教室中が排泄物だらけになったり、元気のなくなってきたチャボのために獣医を呼んだりした。どのようにしたらもっと上手に飼えるのかと、自発的に調べたり、様々な合意形成しながら子どもたちは成長していく
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伊那小の総合は一年では終わりません。一年目の「出会い」二年目の「展開」を経て、三年目の「暮らし」につながってきます。

2年生のもう一つのクラス智組もヤギを1年生の時から飼っています。ともがき広場というファームのような場所があるのですが、行った時にちょうどクラスのみんながヤギに餌をあげているところでした。みんな口々に「白ちゃんはあとから来たのに強い」「あの茶色い子はすごく気が荒い」など教えてくれます。「ミルクって飲むことあるの?」と聞いたら「うん!」とのこと。「おいしい?」と聞いたら微妙な表情でした(笑)。自分たちで搾乳して、煮沸して飲んだそうです。

 

次には調理室を案内してもらいました。みたらしだんご、醤油せんべい、きなこもち、豆腐、さまざまなものを作っています。3年忠組。一年生の時は市販の大豆を鉢で育て、2、3年生で自分たちで育てた大豆を畑で育てたとのこと。自分たちで育てた大豆は醤油にして、発酵させます。今日は、醤油や自分たちで育てた大豆を使ってレシピを調べ、作っていました。石山先生によると、豆腐を作っていたグループに何度目なのか聞いたら、五回くらい挑戦したけどまだ成功していない、と返事が返ってきたとのこと。

見学していた時に、おせんべいを作っているグループがありました。見学後、校長先生と教頭先生にお話を伺っていたら、なんと、その子どもたちがやってきて、出来上がった醤油せんべいを私たちにプレゼントしてくれました。お世辞ではなく、染み入るように美味しかった。きちんと手でつくられたものは違います。

3年文組は「湧き水の森」をテーマに学んでいました。流れてくるゴミを受け止めるゴミトラップを作ったり、「水のゆくえ」といって、水路をずっと歩いたりしている様子、森さんの掃除でとれた木を使って焼き栗を作っている様子などが掲示されています。湧き水は経ケ岳から、水路を通じて太平洋まで流れて行くそうです。当日は、「湧水の森の本」を作っていました。時代ですね。一人一台のiPadで文章を作成していました。

 

一年生正組は二人で一羽の合鴨を飼っています。中庭があり、教室を出たところすぐに小屋があって、鴨を見ていたら、子どもたちがわーっと戻ってきました。子どもたちは一瞬でどの鴨か見分けがつき、どの鴨とどの鴨が後尾したのかも把握しているそうです。

一年生のもう一つのクラス毅組は羊(ききちゃん)を飼っています。今、中庭で飼っていますが、来年からともがき広場に移るため、家を作っていました。本格的なものです。釘が曲がっていたり、何本も打ちつけていますが、なんとか羊を飼うことができそうです。

1年生の剛組は「ダンボール」がテーマ。休み時間で子どもたちの様子は見れなかったのですが、紀要をみると、6月に公園に探検に行った時に、「みんなが楽しめる滑り台つくれそう」という一言から、「木とかでつくればいいんじゃない」「でも、木って切れないよ」となり、「ダンボール」を材とした探究が始まったようです。ダンボールはお風呂にも、ロボットにも、エレベータ、ソファー、トンネル、様々な形に姿を変えるダンボール。10月には階段を使った滑り台もできました。でも課題はダンボールをガムテープでとめてもすぐ外れてしまうこと。無心に直しては遊び、遊んでは直すを繰り返す子どもたち。先生も一緒になって遊びます。2年目、3年目になったらどのように展開し、「暮らし」になっていくのでしょうか。とても楽しみです。

 

 

【伊那小の不易流行】

伊那小での半日。子どもたちの姿から私は、なんだか淡い光のようなものが発せられているようにずっと感じていました。落ち着いた、穏やかな光です。

こうした実践のルーツは1918年(大正7年)に遡ります。当時大正デモクラシーの思想をもつ自由主義的な新教育運動(第1次)が全国各地に広がっており、研究を自由に行うことが許される各師範学校や、私立学校は成城小学校、成蹊小学校、自由学園、明星学園など東京の学校が運動の拠点となっていました。

そんなとき、長野師範学校では、第2回目の研究学級1年生を担当したのが、淀川茂重(よどがわもじゅう)です。この研究学級の理念は「児童の教育は児童にたちかえり、児童によって児童のうちに建設されなければならない。そとからではない、うちからである」というものであり、子どもは一人ひとり内なる力をもち、それは教師が教え込もうとして育つものではない、という信念をもっていました。こうした淀川先生の教えが、伊那小には今でも変わらず残っていると、福田校長先生はおっしゃります。

 

淀川先生は寄稿『途上』の中でゲーテの一節を引用しています。

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子供たちを注意して見ていると、いつかは必ず行うべきあらゆる徳行や力の芽生を認めることができる。そのわがままの中に未来の性格の堅実と剛毅を見、放縦の中に世間の危険を踏破して行く気軽な機知と無造作とを見、しかも、それが総べて毀損せられることなく完全に存在しているのを認めるときには、わたしはいつも「爾もし子供らの一人の如く非ずば」という、教主キリストのあの金言を思い起す。(若きウエルテルの悲み/信州総合学習の源流p18)

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子どもたちの中に「あらゆる徳行や力の芽生」をまさに見届けようとする伊那小。そして、「そのわがままの中に未来の性格の堅実と剛毅を見」とありますが、一年生のクラス名に、「剛」「毅」が入っています。そして、さらに淀川先生が恩師とする長野県師範学校の杉崎瑢先生からもらったとして下記の詩が『途上』の冒頭に載っていますが、私は見学をしながら、ずっと「ああ、本当のこのとおりの学校なんだ」と驚かずにはいられませんでした。

 

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わが佳偶よ、わが美わしき者よ、起ちて出て来たれ

観よ 冬すでにすぎ 雨もやみて はやさりぬ

もろもろの花は地にあらわれ

鳥のさえずる時すでに至り 斑鳩の声

われらの地にきこゆ

無花木の樹はその青き果を赤らめ

葡萄の樹は花さきてその馨しき香気をはなつ

わが佳偶よ、わが美わしき者よ、起ちて出て来たれ

磐間におり 断崖の匿処におる わが鴿よ

われになんじの面を見させよ

なんじの声をきかしめよ

なんじの声は愛らしく

なんじの面はうるわし

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さきほど、「子どもたちから柔らかな光が見える」と書きましたが、これは誇張ではないのです。子どもたちの集まる場、というのは必ず醸し出す空気のようなものがあります。それは時にどんよりしていることもあれば、陽性できらきらしているような時もあります。一方で、「ギラギラ」している時があります。「ギラギラ」と見える時、じつは子どもたちは子どもらしくありません。大抵「大人の目線」を伺い、「大人に褒められることを期待」して、褒められて得意になっています。伊那小にかかわらず、子どもがそのままの姿を認められて伸びやかにしている時、その場は、子どもらしい柔らかい光を放っています。

 

さて、今日は前期となる1年生から3年生までの見学紹介しかできませんでした。見学後、武田先生、福田校長に伊那小が創立以来150年、いかにして変わらずこのような実践を続けてくることができたのかについてお話をお伺いしたので、後半はそちらについて書いてみたいと思います。また後期(4・5・6年生)の教室も見せていただいているので、その一部紹介もしたいと思います。

 

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2021年3月28日(日)に「探究する学びと日本の教育の旅ー信州教育」で信濃教育会武田育夫会長と対談しました。
当日のビデオはこちらからご覧ください。

 

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