生活科・総合的な学習 (その1:伊那小学校の源流)〜私たちの教育のルーツをたどる(17)

昨年2月に伊那小学校を訪問させていただきました。そのご縁でわたしたちのLearning Creator’s Lab(LCL)で武田先生にお話をお伺いすることが叶ったのですが、この内容をLCLで留めておくにはあまりにもったいなく、今回その内容を4回に分けてご紹介したいと思います。今回はその第1回目。伊那小学校校長、伊那中学校校長を歴任され、現在信濃教育会会長をされている武田育夫会長に伊那小学校の実践のルーツをお伺いしました。

 

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「ヤギを飼っているらしい」とか、通知表がない、チャイムがない、ということで、探究する学びを実践したい先生たちの中で、知るひとぞ知る長野県伊那市立伊那小学校。昭和31年から従来の通知表が廃止されました。1998年の学習指導要領が「総合的な時間」を設定するよりもはるか前の1978年から40年以上子どもの意欲や発想に基盤を置く総合学習実践を行っており、毎年教師と子どもたちが探究するテーマを決め、3年間にわたってゆっくりと深く学んでいきます。

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【信州の教育・伊那小学校の実践のルーツは大正時代にある】

 

以前の訪問のブログでもお伝えした通り、伊那小学校の実践のルーツは信州大学教育学部の前身の長野師範附属小学校の「研究学級」(1918-) にあるのですが、今回はもう少し詳しくみていきます。

 

1900年に小学校令ができ、1903年に教科書が国定制になりましたが、その時に教育の画一化・定型化が進む一方で、大正新教育運動が出てきますが、長野県では2つの流れがでてきました。一つは白樺派の教師たちに代表される「自己を生かす」教育。もう一つは長野師範附属小学校の実践に代表される「児童中心主義」の教育です。白樺派というと、大正期の文壇の中心となった日本近代文学の一派で、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などが代表的な作家です。長野県では東京に次いで雑誌白樺の購読者が多く、その中でも若い小学校の先生が非常に多くいました。白樺派教師たちも「先生も個性を生かす」「子どもも個性を生かす」ことに心を砕きましたが、今現在の生活・総合学習に直接に繋がっているのは、長野師範附属小学校の「児童中心主義」の実践であるとのことです。

 

当時、教科目、教授時間も法によって規定され、教科の選択も分量も配列も国定教科書によって決定され、これでは、教育の内容も形式も規定され、教師の主体的追求が許されないように見えました。長野師範附属小学校の先生たちはこの状況を「教育は行きづまっている」と捉え、「児童の教育は児童にたちかえり、児童のうちに建設されなければならない」と考えるようになります。このときの長野師範附属小学校のリーダーは杉崎瑤先生。「主義主張ではなく子どもに教えられ、従っていこう」と考えます。


淀川茂重先生・杉崎瑢先生 (信州大学附属長野小学校HPより)
https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/education/naga-sho/information/education.html

 

杉崎先生は、附属小学校の自由度を生かして、どんな試みをしても差し支えがないかと父兄に聞いて、同意の得られた児童男女20名のみの研究学級をつくります。この教室には机がなくゴザだけ。そもそも教室が学ぶ場ではなく、休憩場所ととらえ、子どもが心ゆく生活をなすのは「郊外」であるとしました。

 

そして2回目の研究学級の担任だったのが淀川茂重(よどがわもじゅう)先生。研究学級は1年〜6年生までで、淀川先生はずっと担任でした。そしてこの授業はすべて非公開だったのですが、それが信濃教育に『途上』としてまとめて大正8年に掲載され、県内の先生に知られるようになります。『途上』は生活・総合の源流になっていきます。

 

【淀川茂重先生の研究学級の実践】

 

では、具体的に『途上』からみられる淀川茂重先生の6年間の実践はどのようなものだったのでしょう。淀川先生のクラスは、大きく前半(1-3年生)と後半(4-6年生)に分かれて学びのスタイルが変わります。

 

まず前期(1-3年制)は「郊外の学習」。なぜなら、児童生徒の学びの対象となるのは学習の場は教室ではなく「郊外」にこそあるからです。思慮分別の前に遊びに没頭し、“しみじみと”その中に生きることを大切にします。そして、そうした郊外における対象の中で、自己との関係のなかで、理解をしていく。

 

文字の生活も急ぎません。たとえば、田んぼにタニシを拾いに行くと忘れないようにメモをしたいと思います。そのときに「タニシ」と書きたいという気持ちが湧いてはじめて文字を生活に導き込みます。時期的には7月ごろから。つまり、教える内容が先にあるのではなく、「はじめに子どもありき」なのです。

 

また、「おなじことの繰り返し(反復)」の重要性を説きました。同じ場所でも子ども自身が変化発展しつつあるから、子どもたちにとって同一の場所ではなくなります。繰り返しによって、一人ひとりの児童のうちに対象と自己との意味ある関係が育ってきます。遊びも一緒で遊べば遊ぶほど、「遊ぶもの」と「自分」との関係は変わっていきます。

 

4年生から鶏を飼いだします。山から木を切り出し、小屋をつくって餌の必要から米を作り、雛の誕生など飼育に関するすべてを子どもたちが議論しながら進めます。ここではじめて明確な「目的」を持つプロジェクトとなり、「数」の導入が入ります。雛が誕生すれば体重と大きさを測定しなければならないですし、餌をやるにも値段の計算が必要です。そもそも飼育の費用を親から5円、年6分(年利6%)で借ります(1-3年生では直感に基づく事実処理だったものが、鶏の飼育を中心とする数の生活の中で算術は一気に進みます)。

 

さらに、数の概念を学ぶのみならず、児童たちにとって鶏の飼育は自分たちの発育と二重写しとなり、自分ごととして「いのち」そのものを学ぶことになります。

 

5−6年生になると長野市の研究にはいり、長野市の歴史や現在の市民や生活の2方面から社会認識のための総合的調査・研究をしていきます。その基盤になるのがほかでもない4年生までの学習です。


当時の研究学級の写真(武田先生資料より)
※教室の隅にだけ机がある

 

【信州の教師は「研究学級」から何を学んだか】

 

信州生活・総合学習の源流となる「研究学級」当時から100年経っていますが、いまだに現在の信州教育の基盤を支えるものとなっています。信州の教師たちは「研究学級」から主に以下の3つを学ぶと武田先生は仰ります。

 

1)教育は学説や思想ではない。子どもの事実から出発する

学説や思想を否定するのではないが、そこから出発するのではない。子どもの事実・実際からスタートせよ。学説・理論はもちろん支えにはなるが、あくまで子育てはその子とのかかわりの現実の中でしか生まれてこない。

 

2)「学び」は頭だけで起きるのではない。「からだ全体」で学ぶ

「からだ」をつくるということは、「からだ全体」で学ぶということ。大人から見ると無意味とも思える反復こそが、その子の深い理解(信州では如実な理解という)を導く。たとえば、小屋をつくるときの木の匂いやものを測る時の幅感覚、安定・不安定の感覚、友どもたちとのやりとりなどが、言語化されている、されていないに関わらず統合的な理解としてその子の「からだ」に宿っていく。

 

3)子どもの学びは「総合的」である

よくある学校での学びのように「物」を一つひとつの要素に分けて覚えるだけでは「分かった」ことにならない。さまざまな「要素」を足し合わせたところで、その「物」にはならない。「鶏」の要素をいくら積み上げても、生命としての「鶏」を産むことはできない。「鶏」を分かる、といった時、「まるごと分かる」という感覚を得たとき、それは理屈というより「感覚」で分かる。「感じる」という分かり方であり、その「分かる」の感覚を信州では重要視する。「鶏」を生物学的・行動的・分類学的に学んだところで、それは「鶏」の実体ではないからこそ生活と具体から学ぶ。

 

そうして、この信州の教師たちの学びはそのまま伊那小学校に継承され、同校の学校観・子ども観・学習観・教師像に継承されていると仰ります。

 

以下の淀川茂重先生の言葉は、信州大学附属長野小学校の現在の教育理念でもあるとともに、伊那小の子ども観・学習観となっており、伊那小学校の研究テーマはこの20年「内から育つ」で変わりません。

 

児童の教育は、児童にたちかえり児童によって児童のうちに建設されなくてはならない。そとからではない、うちからである。児童のうちから構成されるべきものである。

 

伊那小の子ども観と学校観が端的に現れているのが、伊那小のホームページにも掲載されている大槻武治先生の詩で、この詩は伊那小の先生たちのマインドとして極めて重要なものとなっています。

 

『未完の姿で完結している』

ああでなければならない
こうでなければならないと
いろいろに思いをめぐらしながら子どもを見るとき
子どもは実に不完全なものであり
鍛えて一人前にしなければならないもののようである。
いろいろなとらわれを棄て
柔らかな心で子どもをよく見るとき
そのしぐさのひとつひとつが実におもしろく
はじける生命のあかしとして目に映ってくる。
「生きたい、生きたい」と言い
「伸びたい、伸びたい」と全身で言いながら
子どもは今そこに未完の姿で完結している。

 

【戦後の信州の教育と批判】

 

しかし、こうした今注目されるような信州の教育は一夜にして作り上げられたものではありませんでしたし、さまざまな批判にもさらされてきました。そのたびに信州の教師たちは「子どもたちに本当に必要な学びとは何か」について議論を戦わせ、選択してきました。

 

そもそも、淀川先生の研究授業のころから、陸軍大将の寺内正毅が「臨時教育会議」で、国民教育の要は教育勅語の精神をいっそう徹底させ、護国の精神に富んだ「忠良なる臣民」を育成するところにあると述べ(1917)、第二次世界大戦に日本は突入していきました。常にこうした児童中心の学びは危機にさらされていたのですが、この時代のことについてはまたの機会に述べるとして、戦後に話を進めます。

 

戦後、GHQの考えもあり、ジョン=デューイなどに代表される「新教育」の導入が検討され、日本全体の話として、大きく2つの学び方の論争が起きます。現在も伊那小で行われているような、「生活経験重視の社会科」を中心とした学習と、読み書きそろばんを系統立て順番に学んでいく「系統主義」主義の対立です。

 

そのときに、信州大学教育学部附属小は昭和45年に低学年全学級において総合学習を展開することを決定しました。今伊那小をはじめとして「生活・総合」で学ばれているように生活や遊びの中からからだ全体で学ぶ学習を選択したのです。これは非常に画期的で重要なことで、ここで学んだ先生たちが特に1970年代に長野県にちらばり「生活・総合」を支え、発展させていったと言います。そのうちの一つが伊那小学校で、昭和53年から「総合学習」を全学年で実施します。

 

当時それほど知られた学校ではなかったのですが、昭和58年(1983年)のNHK「日本の条件」という番組で「教育・何が荒廃しているのか」というテーマで伊那小学校が取り上げられ、犬のポチを飼っていた大槻武治先生(上述の『未完の姿で完結している』の作者)の1年文組が取材されました。当時、校内暴力、偏差値、落ちこぼれ、登校拒否という問題が起きていた中で、この番組によって伊那小は一躍全国に知られることになります。

 

ただ、「どの子にも基礎学力をきちんと獲得させてほしいという親の切実な願いに正面から応えない(小林洋文氏)」「総合という名の動物飼育(竹内隆夫氏)」「中学困るのでは?」などの批判には常に晒されてきたし、今でも「牛や馬を飼っても受験に困るのでは?」と考える人は多いかもしれません。信州のこうした教育に対しての批判はプログラムの中の対話でも扱いましたので、別の記事でまとめておきます。

 

【武田先生の話から感じたこと】

 

子どもの一日は一編の詩である。今日一日が果たして詩足りえたか」という学校観にもあるように伊那小には「詩」が溢れています。「詩」というものはそもそも言葉にならないものと言葉とのあわいに存在するもの。そう考えると、上述の「鶏」の「まるごとの理解」の話としっかり繋がります。淀川先生の中では「分かる・理解」と「詩」は直結しているのです。また「子どもたちは大人の私たちよりさまざまなものが見えており、真正な活動の選択ができる」という子どもへの信頼と尊敬が、子どもたちの「もとめ」を心から信頼する実践にも繋がります。

 

子どもはたとえばある花を見たときに、その花の名前ではなく、そこに漂う匂いや色、生命力、音、花の感情などさまざまなものを読み取っているものです。そして、その観察眼たるや大人を圧倒的に凌駕します。そこに対する尊敬が基底にあれば、不用意に子どもを引っ張ろうなどとは思わないはず。さらに、子どもは本来学びたい存在なのだとしたら、一番自然な「生活」のなかで、その学びへの希求の邪魔をしなければいい、ということになります。信州・伊那の教育のお話をお伺いするたびに、なんと理にかなった教育なのだろうと思うと同時に、淀川先生の教育を深く理解し、それが100年以上に渡って真正に丁寧に継承されてきたことに驚きを隠せません。

 

そして、今回は武田先生のお話を中心に纏めましたが、淀川先生の『途上』は『信州総合学習の源流』という本におさめられています。金言だらけの本ですが、いくつか引用をして、本編は終わりたいと思います。 

 

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子供たちを注意して見ていると、いつかは必ず行うべきあらゆる徳行や力の芽生を認めることができる。そのわがままの中に未来の性格の堅実と剛毅を見、放縦の中に世間の危険を踏破して行く気軽な機智と無造作とを見、しかもそれが総べて毀損せられることなく完全に存在しているのを認める。(略)敬愛なる友よ、わたしは今、われわれと同等でありわれわれ模範として見なければならない子供たちを家来のように扱っている 

『途上』淀川茂重 ゲーテ『若きウエルテルの悲み』からの引用 p17

 

(淀川先生による子どもたちの記録)
・・・ふわりふわりと降っていた雪もいつしかやんで、黄色い明かりが浮いているような裏庭は出て遊んでいた男子は、霜に傷き雪に破れた蜻蛉を捕った。その弱々しい姿、露に濡れて跳ぼうともしないその姿は見すごしがたく、みんなは、枯れた草をとって来て床をしつらえ、白い息をふきかけて介抱した。思う様に手が届かないからというので、赤十字の旗をたてた病院をこしらえ、楢の実で水を汲んで来て、赤い石の粉を呑ませたけれど、その効もなく、死んでしまった。土を深く掘って埋めた。上へは板のきれをたてて手をあわせた。やがて、教場へはいって勉強にとりかかる。p28

 

ルソーはいいことを訓えていますー子どもはただ経験ばかりで教育をうくべきものであって、言葉でいろんなことを教わってはならぬ。p35

 

いつもいつも心せずして、あたりに慣れてしまうとき、外囲にむける目は、見えなくなってしまうのでありましょう。そして、すべては悉くをわかっているというようなことで、その生命にまで触れようともせずに、片付けようといたしております。(略)至純な謙虚な心もちでいられる人ならば、自然の啓示はつねに讃美のいずみとして、滾々、あたらしいものがあるでありましょう。そうして、生をこの地にうけ、自然のうちに抱擁されるということが、はてしなき感謝であると、しみじみ味得することができましたなら、その時こそは、真実に幸せであり、生きて行ける日のありがたさを、考えることのできるときだと存じます。 p50

 

野に咲く百合の一輪も叩けば悠久に通ずるの門をなすと聞いています。わたくしどもが、郊外にあって、仕事をすすめるにあたりましても、何も、それからそれへと、所をかえて行くということは必要なものではないと思います。同じ場所でも、ふかく暮らしていけば、それで十分であろうと思います。(略)昨年蛙の卵をかえしたものが、また今年もやって見ようとすることは、決して、単なる繰り返しではないと存じます。(略)わたくしどもは郊外に出るにしましても、同じ所を繰り返します。時を異にしても繰り返します。季をひとしくして、一年も二年も三年をも繰り返します。かくて、その地に親炙し如実に理解しようとつとめているものであります。 p85

 

そして、もしか、郊外と自分とがついに一体となり、抱擁とか理解とか通徹とかいうような言葉すらが、却って、疎ましく感ぜられるようになったそのとき、月明らかに風薫り四隣寂莫たるの夜半、そぞろ、幽林を歩んで耳に渓流のいよいよ澄むを聴いたならば、日影はやわらかく地上にそそぎ雲は静かに峯にながるるあした、消え残んの雪を踏みしだいて尋め来し山陰に、はやくも咲ける花の一株を見出したならば、顕われざるに一切を摂理し栄光あらしめたまうみちからを讃迎し景慕することともに、かけまくもかしこけれども貧しきわれをもその洪大無辺の御仕事のうちにお使いくださらば・・とすがらずにはおられなくなるのがあたりまえではありますまいか。 p85

 

児童各自の個性を尊重し、天賦の能力を十分に発揮させ伸展させたいと存じます。 p88

 

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アマゾンなどでも買えますが、在庫がない場合には、信濃教育社にお問い合わせください。
年1回発行の信州の生活科・総合的な学習の時間実践誌である『ふるさとの大地』も特に生活・総合の実践をしたい教師の方にはおすすめです。
http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/book_index.html

 

次回のブログは、武田育夫会長の伊那小学校時代の同僚の馬淵勝巳先生(当時研究主任、現梓川小校長)、佐々木英明先生(当時の授業者、現麻績小校長)に実際にどのような実践が行われているかをお伺いしたことについて纏めています。

 

<関連ブログ>

生活科・総合的な学習 (その1:伊那小学校の源流)〜私たちの教育のルーツをたどる(17)

生活科・総合的な学習 (その2:伊那小学校の実践)〜私たちの教育のルーツをたどる(18)

生活科・総合的な学習 (その3:伊那小・中の学校経営)〜私たちの教育のルーツをたどる(19)

生活科・総合的な学習 (その4:伊那小・中質疑応答)〜私たちの教育のルーツをたどる(20)

「60年間通知表のない」伊那小学校訪問(後半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(5)

「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)

 

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