明治のキリスト教と教育(その3)―新渡戸稲造と札幌バンドー私たちの教育のルーツをたどる(14)
その1で幕末に宣教師として来日し、初の和英辞典を編集したほか、聖書の翻訳、明治学院大学創立などさまざまな貢献をしたヘボン、そしてその2で同志社を設立した新島襄について触れました。ヘボンたち外国人宣教師たちが拠点にして活動を開始したのは横浜だったので、そこに集まった信徒たちは「横浜バンド」と呼ばれます。また、新島襄の設立した同志社は京都ですが、熊本洋学校出身の若者たち「熊本バンド」が同志社創立期に活躍しました。明治初期のプロテスタントの源流というと、「横浜バンド」「熊本バンド」「札幌バンド」の3つがあると言われますが、今回は、札幌農学校(現北海道大学)教授、第一高等学校(現東京大学教養学部)校長を歴任したほか、キリスト教系の女子高等教育としては最初期にあたる東京女子大学の創設や、貧しい人たちの夜間学校の創設など、さまざまな学校を立ち上げた新渡戸稲造を中心に「札幌バンド」についてまとめておきます。(次回は明治期に多く設立されたミッション系の学校、特に女子教育について書きたいと思います。)
明治時代のキリスト教と教育(その2)新島襄と同志社創立―私たちの教育のルーツをたどる(13)
明治時代のキリスト教と教育(その1)横浜にやってきた宣教師たちと学校―私たちの教育のルーツをたどる(12)
福沢諭吉の回でも少し触れましたが、私の卒業した中学・高校の創立者は福沢諭吉と同じ中津藩出身の武士で福沢諭吉を江戸に呼び、蘭学塾を開き、慶應義塾の原点をつくった人物の甥でした。東京高輪にある頌栄女子学院という学校なのですが、この学校はプロテスタント・キリスト教の学校で明治17年に開校しています。二代目校長は島崎藤村に洗礼を施し、明治女学校を設立した木村熊二です。私の場合、特別に宗教教育を受けたいと思ってこの学校に入ったわけではないのですが(制服が可愛いと思った)、さすがに6年も毎朝礼拝をするような生活をしていると、なんらかの影響は受けるものだと最近になって思うようになりました。私だけではなく、私のように何気なくキリスト教の学校に入学し、なんとなく聖書を読んでいたという人は結構いるのではないかと思います。
「蝶々」「蛍の光」を作ったのは?〜日本近代音楽教育の黎明−私たちの教育のルーツをたどる(11)
森有礼-日本の近代教育制度の骨格をつくった初代文部大臣(後半)―わたしたちの教育のルーツを辿る(10)
森有礼ー日本の近代教育制度の骨格をつくった初代文部大臣(前半)―わたしたちの教育のルーツを辿る(9)
以前吉田松陰と福澤諭吉について書きました。その後、明治の教育はどうなっていったのでしょうか。「日本の教育のルーツを辿る」と思った時、特に探究学習となると、多くの人が考えるように私も大正自由教育にそのヒントがあると当初思いました。しかし、大正自由教育を調べている間に、その萌芽となるものはすべて明治時代にあることに気がつきました。もちろん江戸時代以前の教育のあり方が、明治時代のベースにあるわけですが、日本の近代教育の骨格ができたのはまぎれもなく明治時代です。明治時代が理解できると、大正自由教育がもっとよくわかるし、昭和の戦前戦後に何が起きて、今につながったのかが分かってきます。私たちの今の知識観・学習者観・学びがどのように形成されてきたかということが分かれば、その課題もわかるし、批判的に自分たちを捉えつつ、未来を考えることができます。これからしばらく明治時代についてまとめていこうと考えています。
「東洋経済education × ICT」にインタビュー記事が掲載されました
月刊「信濃教育」9月号に掲載されました「探究する学びと資質・能力の関係〜這い回る経験主義に陥らないために」
代表の藤原が「探究する掲載されました力の関係~這い回る経験主義に陥らないために」というテーマで執筆いたしました。
ご興味がございましたら、ぜひご覧ください。
日本弁理士会「月刊パテント」7月号にポラリスプログラムについての特集が掲載されました
小学生向けの「ポラリス」で2018年に実施した発明授業について日本弁理士会「月刊パテント」にその詳細がでました。AI を用いた特許評価システムを活用し、発明者の「想い」を大事にしたプログラム。特許を取得した参加者もでました。ぜひご覧ください。
https://system.jpaa.or.jp/patent/viewPdf/3819