私はずっと「自分が何者か」という問いを真剣に持たずにきたような気がします。「持たずに済んできたんだよ」という人もいるかもしれません。いずれにせよ、その問いがとっても苦手でした。自分が優しいか意地悪かどうかということもよくわかりません。実際に優しい気持ちになることももちろんあるけれども、とても意地悪になることもあります。女性らしいのか男勝りなのかもよく分かりません。「ワーママ」「駐在妻」など、さまざまな言われ方をしてきましたが、どれもしっくりきませんでした。今も学校の先生でもないし、研究者でもないのに教育に関わっていて、自分は一体何者なのだろうと思っています。そこに名前をつけたくなくもあります。自分に述語をつけることについては、ずっとモヤモヤしてきたし、今でも抵抗感があります。
以前、ブログでも纏めたフッサールが言うところによると、私たちは「経験する主体」です。しかし、世界をどこまで認識できているかというと大変心もとありません。そもそも認識する「私」とは一体何なのでしょうか。私はどんなときに私をどう認識するのでしょう?フッサールは「私(自我・ego)」が見えるのは、日常「こうすればこうなるはず」という安定した計算式が成り立たないような出来事に出くわしたときだと言いました。
たとえば「妻はこうあるべき」と思っている通りに物事が進んでいれば、私は戸惑うことはありません。でも、仮に夫が「あなたは妻ではない」と言ったとしたら、私は驚くでしょう。そうした感情を抱える時に「経験する主体」である「私」が少し見えるような気がします。私が「出来事」の積み重ねによって揺らされ、同時にさまざまな感情が湧いてくることによって、「自我(ego)」が意識されるようになるということには、実感があります。
そして、過去の「妻」経験と現在の「妻」経験はバラバラに存在しているのではなく、なんらかの形で「私」に結びついています。時間が推移すると「私」は変化するように見えますが、時間の変化や出会した経験に依存しない「ほんとうのわたし」なんて存在するのでしょうか。(詳細は元のブログに)「わたし」ってなんだろう、「存在」ってなんだろう、そんなことを哲学登山の桐田啓介シェルパに話していたところ、テーマとして提案されたのが「自認とアイデンティティ」、そして課題として示されたのが以下の4つの本でした。
E.H.エリクソン『アイデンティティとライフサイクル』西平直・中島由恵訳
デリダ『声と現象』林好雄訳
フーコー『言説の領界』槙改康之訳
バトラー『ジェンダー・トラブル 新装版』竹村和子訳、青土社
哲学登山のサポートに感謝しつつ、振り返りで本を読み直したり、推薦された本、もしくは提案図書にかかわらず、少し広範囲に読んでみたものもあるので、いつものように自分の経験に引きつけつつ、メモとして残していきたいと思います。
【「私」を示す言葉が多すぎ!問題】
先ほど「自我(ego)」や「アイデンティティ」という言葉が出てきましたが、そもそも「自我」と「私」の関係性はどのようなものなのでしょう。だんだん混乱してきたときに、東畑開人さんの本をきっかけに河合隼雄『ユング心理学入門』をかなり久しぶりに読み直しました。併せて読んだユングの『分析心理学セミナー1925』の以下の左図[1]分かりやすいと思ったので、これらの本を元に言葉使いを整理してみます[2]。
『ユング心理学』において河合隼雄はプシュケー(Psyche)を「意識的なものも無意識的なものも含めた全ての心的過程の全体」と説明しています。そして、図の真ん中にある個人(individual)が個性化のプロセスを経て、無意識と意識の領域の統合をしたものを「Self(自己)としました。Self(自己)は外の世界(Outer World)と内的世界(Inner World)を繋ぎ止める中心[3]です。 日頃外に見せている部分であるペルソナやエゴ(自我[4])とは別に、無意識の領域では個人的無意識に関連の深い影[5](シャドウ)や、さらにそれよりもより深い層の集合的無意識の中にある元型(アニマ・アニムス)があると考えています。(集合的無意識には本ブログでは踏み込みません)。
河合隼雄はこんなふうに書いています。
われわれ人間が、この世のなかに適応して生きてゆくためには、外的な環境に対して、適切な態度をとってゆかねばならない。外的環境はつねにわれわれに、そのような態度をとることを要求している。つまり、父親は父親らしく、教師は教師らしく、子供は子供らしく、ある種の期待される行動に合わせて生きてゆかねばならない。そしてこれを怠るときは、われわれは「不適応」のレッテルを貼られてしまう。ーーしかしながら、これらの外的に見えやすく、理解しやすい外界に対する適応の問題に対して、筆者は自分の内界に対する適応の問題も無視できないと考えている。『ユング心理学入門』p194-5
ユングは私たちが日頃漠然と「心」と呼んでいるものを、もう少し明確に定義づける必要を感じて、Psyche(プシュケー)とSoulという言葉を分けました。意識的なものも無意識的なものも含めて、全ての心的過程の全体を指しているものをPsyche(プシュケー)とし、河合隼雄はそれに「心」という漢字を当てました。一方で、集合的無意識の中にある元型(アニマ)に対応する部分は「こころ(Soul)」という平仮名にしました[6]。
河合隼雄氏の訳やユングの言葉使いや分類に関わらず、すくなくとも私たちが日常「私」と呼んでいるときにはさまざまな言葉があること、まずは「私」ということを捉えようとしたときにその中核となるものとして今後「自己(self[7])」という言葉を使っていきたいことと、私たちの中には外側の意識化された世界と、内側の無意識の世界の両方があるというところまでを確認できたらと思います。
【改めてアイデンティティって何?ーE.H.エリクソン】
では、ユングのself(自己)の考え方とアイデンティティはどのような関係性にあるのでしょう?アイデンティティという概念を最初に打ち出したのは、ドイツの精神分析学者のE.H.エリクソン。エリクソンは、フロイトやユングら、当時の精神分析の方法による二人きりの治療的状況の中で証言を基に再構成された個人史としての自我[8]というものを超えて、ego(自我)やself(自己)が歴史的・社会的に開かれて、まとめ上げられていくものとしてのアイデンティティを論じました。
エリクソンは、成長しつつある子どもが生き生きとした現実感を獲得するのは、自分独自の生き方が、自らの属する集団アイデンティティ(group identity)の中で成功した一事例として認められ、その生き方が集団アイデンティティの求める時間=空間やライフプランと一致していると自覚しているときだといいます[9]。自分が歩けるようになったことに気づいた子どもが何度も繰り返してその行為を完成させようとしたときに、フロイトはそれをリビドー的快感による衝動であると理解しましたが、エリクソンはそれだけではなく、この子どもは「歩けるようになった自分」に伴う新しい地位と背丈がその属する文化のライフプランにどのような意味を持つかという点に気がついていると指摘しました。
こうして<身体をきちんと動かせる喜び>と<社会的な承認>が一致することを通じてもたらされた自尊感情がやがて成長して、社会的リアリティの中で明確な位置付けを持った自我に発達しつつあるという関心に変わるとき、エリクソンはその「感覚」を自我アイデンティティ(ego identity)を呼びたい、としました[10]。
だとすると、ユングの図と合わせてみるとこんな感じの図になるでしょうか。(ユングのSelf概念と、エリクソンのSelf概念は考え方はもちろん違うところがあるのですが、敢えて私自身のイメージとして一緒にしてみます。みなさんそれぞれの図を作ってくださっていいと思います。)
【自己斉一性と連続性ーE.H.エリクソン】
更にエリクソンは、自我アイデンティティ(ego identity)は、単に存在している事実以上のことだと言っており、主観的には自我(ego)を統一する秩序としての自己斉一性(self sameness)と連続性(continuity)があるとの「自覚」があることを意味しているといいます。さらに、そうした自我(ego)を統合する秩序がスムーズに動くのは、他者がその意味を保証している場合だと指摘します。確かに、会社員だったころのことを思い出すと、与えられた仕事が自分に合っていると感じられて、周りから承認を得られていたときには、生き生きと働けていたと思います。
エリクソンのいうとおり、自分が自分であると思えるためには、自分自身のSelf samenessの感覚をスタートとして、連続した一つの存在だと自認できていないと、混乱してしまいそうです。こうした安定した自己斉一性(self sameness)と連続性(continuity)の自覚が失われるのはどういう時でしょうか。一つには、自分独自の生き方が、自らの属する集団アイデンティティ(group identity)の中で成功した一事例として認められていない場合、もしくはそのようなgroup identityが概念として世の中に存在しない場合、もしくは概念としてあったとしても社会的に否定的に捉えられている場合です。
実は、私は4年前に離婚してしまいました。当時心理的にも経済的にも全く準備ができておらず、それなりに大変だったのですが、月日も経ってやっと物事を整理して考えられるようになりました。正直混乱していると人にも説明できないものです。当時中学生だった娘がどう思っているかも気になっていました。両方の意味で今まで理由がない限り、オープンに話さないできました。ただ、本ブログは「自分ごととして考える」がテーマですので書かない訳にもいきません。よい機会だと思ってこの経験を振り返りながら書いていきたいと思います。
さて、私が起こした混乱はどういうものだったのでしょう。一つには、ミクロなところで「妻」や「家族」というグループアイデンティティと私の関係が大きく揺らされたということでしょう。自己斉一性(self sameness)と連続性(continuity)について自信がなくなってしまいました。そしてもう一つは、「離婚した」という事柄に対する社会の受け止めが必ずしもポジティブではないのではないかと恐れました。たしかにその数年前からうまくいっていない感じはあり、自分が見えるようになればなるほど溝が深まっていく感じが止められなかったので、今思えば自然な流れだと思います。しかし、私の実家は宗教的規範の強い家だったこともあって、離婚は私にとって人間関係の失敗、人生の失敗ともいえるインパクトがありました。
【マイノリティの気持ちが少しわかる】
しかし、離婚の経験によって見えてくる世界がありました。一つは世の中の法律や制度が、お金のある人には優しく、貧困層には限りなく冷たいと言うことです。たとえば、離婚時の法定財産分与では、夫婦の財産は原則として1/2ずつに分けられることになっています。しかし、貯金も不動産もなければゼロからの再出発です(借金は引きずらなくて構いませんが、連帯保証など問題となるケースもあります)。養育費も支払者の所得に応じて決まるので、たとえば妻が親権をとった場合、元夫に収入がなければほとんど養育費はもらえません。逆に言えば、所得が高く、財産も多い夫婦の離婚の場合、金銭の問題は貧困家庭ほど大きくありません。さらに、妻に職歴や学歴があれば次の仕事を探すこともできるかもしれませんが、そうでなければ再就職は極めて困難です。妻の学歴や職歴はその親の家庭環境に影響を受けます。さらに裕福な人の親は裕福だったりしますので、離婚後も住む場所やちょっとしたお小遣いなどで実家から金銭面のサポートを受けている場合も多い。こうして、貧困家庭の離婚はさらに厳しく、裕福な家庭の離婚はそれほどの影響を受けません。虐待や病気などの要素が複合的に絡むとそれは悲惨なことになります。こうして貧困は連鎖するのだと、心の底から思わされました[11]。
このように同じ「シングルマザー」であっても、100人いれば100人が違う状況に置かれます。私の場合、少なくとも金銭面ではかなり恵まれた離婚をしたことになります。当初大変だったとはいえ、ある程度の貯蓄があり、不安定ですが仕事があり、私も娘も健康の問題を抱えていませんでした。マイノリティの問題は重なっていきます。障がいのある人たち、病気、トラウマのある人、民族的マイノリティ、その他社会的に差別を受けてきた人たちは貧困の問題に直面するケースも多い。
ego(自我)やself(自己)は歴史的・社会的に開かれて、まとめ上げられていくのであれば、社会に順応し、社会が承認するアイデンティティ(グループアイデンティティ)と噛み合っているマジョリティの人たちに対し、マイノリティの人たちにとってはその噛み合わせが著しく悪いわけですから「生きづらい」非常にアンフェアな状態に置かれることになります。だとすると、もっと多くの人たちが本当は、自分のなかの斉一性と連続性を認めていくego identityとgroup identityが噛み合わせられるはずなのに、現代においてもまだまだ社会側の準備がマジョリティ側に偏重していること。だとしたら、その「生きづらさ」に対してはなにかしていかなければならないのだと思うようになりました。
【自分のなかの「生きづらさ」を見つけていく】
実は、私はSelfやIdentityの問題を考えるにあたって、自分のマジョリティ性、マイノリティ性について今年の前半、数ヶ月にわたってずっとパーソナルストーリーを書いていました。人に見せるためではなくあくまで自己分析としてです。(書いた後で教えてもらったのですが、High Tech HighのDE&Iの授業では自分のパーソナルストーリーを書き出し、語ることが大切にされているそうです)そうすると、私が過去になんの葛藤もなかったかというとそうでもないことを思い出してきました。意識の外側に押し込んでしまった経験が意外とあるのです。
たとえば、私は思春期には自分の身体があまり好きになれませんでした。私の身体はお世辞にも女性らしいとは言い難く、凹凸に欠け中性的です。また生理がコンスタントに来ず、数ヶ月に渡って抜けてしまうことがありました。当時はインターネットもなかったので、なかなか調べることもできませんでした。こんな身体では、子どもは産めないし、結婚は無理だろうと思い詰めるようになっていきます。私は自分のことを「女の出来損ない」だと思っていました。実際、高校生の私が必死になって勉強していたのは、一人で稼ぎながら生きていくしかないと思っていたからです。
しかし、そのことについて、ボーヴォワールが『第二の性』でそういうことを思うこと自体、別にあなただけではないよ、と言ってくれています。(これ、高校生の時に読みたかった!)
多くの娘たちが太すぎる足、貧弱すぎたり大きすぎる胸、細すぎる腰、いぼに悩んでいる。あるいは人に言えないなんらかの奇形を心配している[12]。
「どれだけ多くの娘が肉体的に異常だという強迫観念に悩み、正常な身体だという確信を持てずに密かに苦しんでいるかを信じてもらえないだろう。(略)また別の娘は自分は両生具有だと思っていた。また別の娘は自分が不具で、けっして肉体関係をもてないと思い込んでいた。」(シュテーケル『不感症の女』からの引用として)[13]
フロイトは、文化的影響が内面化され永続化されたものを「超自我(superego)、もしくは自我理想(ego ideal)」の機能と規定し[14]、それは環境やその伝統からくる命令や禁止を意味していたといいます[15]。
子どもの超自我は、実際には両親を模範として構築されるのではなく、両親の超自我を模範として構築される。それは同じ内容を引き継ぎ、伝統の担い手となり、このようにして世代から世代へと伝えられてきたあらゆる古くからの価値の担い手となる。人間の社会的行動を理解する上で、超自我を認識することがどれほど大きな助けとなるか、すぐおわかりいただけるだろう。(フロイトからの引用として)[16]
エリクソンは、ego(自我)は中枢にあって自分をまとめる統合機能として生涯にわたって変化し続けるself(自己)に直面するといいます。一方でそのself(自己)はたとえば、過去にこういう職業になりたかった(お嫁さんになりたかった)、将来こんなふうになるかも(先生になるかも)といったさまざまなものが存在し、それが統合されることを望んでいるといいます[17]。エリクソンは、アイデンティティには自己(self)の側面と自我(ego)の側面があるとします[18]。
こんな身体になりたいという理想は私を苦しめました。私の場合、「結婚」以前に「身体」が大問題でした。エリクソンは、身体自我(the body ego)/身体自己(the body self)は観念やイメージとしての自我理想(ego ideal)を持つと言いますが、自我理想はつねに理想的な自己(an ideal self) と比べ続けられるといいます。多くの子どもたちは社会や学校から「成功した社会人像」や「仕事と子育てを両立させる女性像」「健康な両親と子どもが揃った家族像」「異性愛者」などの規範や理想を押し付けられ、要らない苦しみを味わいます。
【荒野のおおかみとしての私】
「女性」であるということに揺らぎ続けてきた私は、社会に対して、かなり距離を置き続けてきたように思います。私だけが異常で私以外の「その他」が「人間」でした。ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』という本の以下の部分を読んだときには、この「おおかみ」は自分のことだ・・と思わざるを得ませんでした。(私が特別だというのではなく、この本が読まれてきたということ自体、そういう人が他にも多くいるのだろうと思って書いています)
彼が「おおかみ」に対立させて自己の内部で「人間」と呼んでいるもの、それは大部分例の市民協定の凡庸な「人間」にほかならない[19]。
さらに思い出してみると、身体に疑問を持つ前の小さなころから「あなたは変わっている」と言われ続けていました。小学校のころからみんなが興味を持つものに興味をもてなかったり、みんなができることができなかったり、笑いのポイントがどこか私はズレていました。朝に筆箱に6本入っていた鉛筆は毎日のように帰るころにはなくなっていました。全ての音を拾ってしまうため、ざわざわしたところでは先生や友達の言うことが聞き取れず困っていました。算数は嫌いではありませんでしたが、計算の転記の過程で6を9と書き換えてしまったり、+を−にしてしまったりで、正答に辿り着けませんでした。中高生になると、授業でじっと座っていることは耐え難く、朝は起きれずに遅刻ばかりで授業中はずっと寝てました。周りに人が多すぎるだけで疲れ切ってしまい、部活をする体力も予備校に通う気力も残っていませんでした。わたしは「みんな」の観察を続け、「普通」になりたいと心から願い、「みんなと同じように振る舞う」訓練を積み重ねてきました。私は「世間」の外にいつもいました。
私自身、自分に発達特性があると認識したのは、40代もすぎてからのことでした。それまでは、社会的・歴史的に生み出されるさまざまな自我理想のなかで、すったもんだしながら私は私を取りまとめることで必死でした。自分に符合するアイデンティティのカテゴリーを見つけることは、人を少しほっとさせるものです。一方で、私は健康で、虐待のない家庭で育っています。成人するまでは経済的に苦労することはありませんでした。特定の教科におけるテスト勉強も得意でした。個人的な悩みは抱えていましたが、多くの側面ではいわばエスカレーターに乗るように生きてきたのです。私が歩み寄れば、社会におけるほとんどのドアは自動で開きました。でもそうでない人は多い。「自らをその存在として認める」という終わりなき「自認」の旅はすべての人にとってフェアに開かれる社会であって欲しいし、そのような社会を創るために「すべての」人が参画しなければならないと強く思うようになりました。
次回はデリダと「声」について書きたいと思います。
(私は教育活動者の立場から、読書メモとして本ブログを書いています。正確な理解のためには、下に参考図書・資料を掲載し、できるだけ引用元を明記しておりますので、そちらをご確認ください。また明らかな間違いがあれば、こちらよりご連絡ください。)
哲学に関するブログはこちらから
<関連ブログ>
「わたし」ってなんだろう?(1)〜E.H.エリクソンから学ぶアイデンティティ(本ブログ)
「わたし」ってなんだろう(2)〜デリダから学ぶ「声」
「わたし」ってなんだろう?(3)〜フーコーから学ぶ「言説」
「わたしってなんだろう」(4)〜ジュディス・バトラーから学ぶジェンダー(今後掲載)
<参考図書>
『アイデンティティとライフサイクル』エリク・H・エリクソン著 西平直・中島由恵訳 誠信書房
『ユング心理学入門』河合隼雄 培風館
『分析心理学セミナー1925ーユング心理学のはじまり』C.G.ユングほか 河合俊雄監訳 創元社
『決定版第二の性 I,II,III』シモーヌ・ド・ボーヴォワール 『第二の性』を原文で読み直す会訳 河出文庫
『荒野のおおかみ』ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳 新潮文庫
※キャプチャーの画像は、ChatGPTで生成してみました。
<関連して読んだもの>
『娘時代: ある女の回想』シモーヌ・ド・ボーヴォワール 朝吹 登水子訳 紀伊國屋書店
『モスクワの誤解』シモーヌ・ド・ボーヴォワール 井上たか子訳 人文書院
『真のダイバーシティをめざしてー特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』ダイアン・J・グッドマン 出口真紀子監訳、田辺希久訳 上智大学出版
『女性解放という思想』江原由美子 ちくま学芸文庫
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[1] 『分析心理学セミナー1925-ユング心理学のはじまり」C.G.ユング著 河合俊雄監訳 p133 9図に近いものがネットにあったのでこちらを利用。右側の説明は河合隼雄『ユング心理学入門』をベースに筆者がまとめ、同書の該当ページを付した。
[2] 河合隼雄氏が『ユング心理学入門』を書いた時と、『分析心理学セミナー1925』が翻訳された時期には50年の隔たりがあり、翻訳の仕方などにはズレが生じていると思いますが、本ブログでは『ユング心理学入門』の説明のほうが平易なため、そちらに準じて説明を一旦しておきます。
[3] 『ユング心理学入門』河合隼雄 培風館 p114 意識と無意識の相互関係の間に成立するのが心像(image)、その心像が新しいものを生み出す生命力をもち、「その創造的な面が最も顕著に認められるものが象徴」p121
[4] 『ユング心理学入門』河合隼雄 培風館 p68 「人間が生まれてから成長するに応じて、その意識体系も複雑になるが、それが一貫した統合性を持っていることは重要である。この統合性があるから、われわれは一個の人格として認められ、いわゆる個性というものも感じられる。ユングはこの意識体系の中心として、自我(ego)を考えた。この自我の働きにより、われわれは外界を認識し、それを判断し、対処する方法を見出してゆく。これによって、われわれは、場面場面に応じた適切な行動をとっていく」「この統合性を持つ自我の動きを見出すものがコンプレックス(臨床では連想実験によって見出す)ーその最も典型的なのが心的外傷であるーこのコンプレックスが強大なものとなって自我を脅かす(p69)」そのもっとも劇的な場合が二重人格(p71) 。コンプレックスと自我の同一視(identification)が行きすぎると分裂病(p72)、自身のコンプレックスを外部の何かに投影(projection)する(自分の中の権威に対するコンプレックスが「目上の人はすべて恐ろしい」になってしまう)。ユングは無意識の研究を進めていくうちに、コンプレックスの背後にまだ深い層があると考えるようになってきた(集合的無意識や元型)(p90)
[5] 『ユング心理学入門』河合隼雄 培風館 p101 「影とはーその個人の意識によって生きられなかった反面、その個人が認容しがたいとしている心的内容」
[6] 『ユング心理学入門』河合隼雄 培風館 「ユングはわれわれが漠然と心と呼んでいるものを、もうすこし明確に定義づける必要を漢字、Psycheという言葉とSoul(Seele)という言葉を概念的に区別して用いるようになった。Psycheとは意識的なものも無意識的なものも含めて、全ての心的過程の全体を指しているものであり、これを一応「心」という日本語に置き換えて、今まで用いてきた。これに対して、今はSoulが問題となるが、この意味は後に述べることとして、これを「こころ」と訳すことにする。ここに、「たましい」という言葉を用いなかったのは、これを宗教上の概念として、の霊や魂などと混同されることを恐れるためである(p194) 」「ユングは、われわれは外界に対してのみならず、内的世界に対しても適切な態度をとらねばならないとし、それらの元型として存在する根本態度を考え、外界に対するものをペルソナ、内界に対するものをアニマと呼んだ。ここにいうアニマがユングにとっては、こころと同義語である。つまり、元型として無意識ないに存在する、自分自身の内的な心的過程に対処する様式、内的根本態度を「こころ」と考えるのである。(p196)」「ペルソナとアニマは相補的に働く。男性の場合であれば、そのペルソナはいわゆる男らしいことが期待される。しかし彼の内的な態度は全く相補的であって、弱々しく、非論理的(p196)」「ペルソナを発達させることを怠るひとはとかく外界と摩擦を起こしやすく、他人の感情を害したり、自分の能力をスムースに発現しがたくすることが多い。ペルソナは自分の内的なものに根ざしながらも外的なものに対する役割を演ずるために採用されたもので、社会のなかにスムースに生きていくためには必要なものである。」p200
[7] 『ユング心理学入門』河合隼雄 培風館 p24 ユングのいうSelf-realization(自己実現):精神の健康は、個人の内的な自然の力とそのひとの実際行動の間に統合性があるときに保たれる。
[8] 『アイデンティティとライフサイクル』1.1 (p2-3) では、フロイトが初めて集団心理について論じた時に、状況に反応されるだけの群衆(masses) のなかの個人と、二人きりの治療的状況のなかで生じた転移・逆転移の証言を基に再構成された個人史の間の大きな隔たりを認識していることが示されている。初期のフロイトは自我の概念を、<生物学的な(内なる)エスEs(=イドid)>と<社会学的な群衆 masses>の間に置いた。そして、人間の不安的な道徳性を説明するために、自我の中の自我理想(ego ideal)、あるいは超自我(superego)を設定する。
[9] 『アイデンティティとライフサイクル』1.1 (p6)
[10]『アイデンティティとライフサイクル』1.1 (p7)
[11] 離婚が貧困に直結する理由はほかにもさまざまあります。児童扶養手当、児童育成手当などもありますが(私も当初対象でした)、年収が250万、300万円と増えてくるとどんどん減額または打ち切りとなっていきます。しかし、このような年収で子育てをやっていけるとは到底思えないようなもので、親などの援助がなければ容易に貧困に陥ります。また、手当をもらうための行政の手続きは煩雑で、私が読んでも何を書いてあるのか分からないものばかり。申請の時には私も役所に足を運んでいました。忙しい多くのシングルマザーにそんなことができるのでしょうか。日本の制度設計は家族や親戚が機能していることが前提なのだと思い知らされました。また、養育費の支払いについても、公正証書を作っておけば、支払いをしてこなかった時には相手の給与や銀行口座を差し押さえることが可能ですが、そのためには弁護士を雇う必要があり、そこにもお金がかかります。これも収入の少ない家庭の離婚の場合、相当難しいと思います。厚生労働省の「平成28年度全国ひとり親世帯等調査」によると養育費を受給している世帯はわずか4世帯に1世帯です。また、私のケースでは私が親権をとりましたが、虐待などがなく、養育費がきちんと支払われ、公正証書で取り決めをしてあると、自ずと共同親権で望ましいと想定されているような状態になります。しかしこうしたケースはかなり少ない上、そうだったとしても、さまざまなことがあって離婚するわけですから、私個人のケースでも共同親権はどうにも受け入れられません。よって、現実が整わないまま、共同親権だけを進めることに対しては、断固反対のスタンスでいます。想像するだけでも恐ろしいです。夫婦別姓に関しては、私の場合は仕事やさまざまな状況から判断して、結婚時の姓「藤原」を引き継ぎました。そうなると私は元の戸籍を抜け、新戸籍をつくりますので、私の戸籍はたった一人私だけの戸籍です(子どもを自分の戸籍に入れる手続きはできます)。夫婦別姓は当然のこととして、これだけ情報管理の技術が進展している中、戸籍制度そのものにも疑問を持っています。つまり、社会は「マジョリティ仕様」なのです。
[12] 『決定版 第二の性II』シモーヌ・ド・ボーヴォワール 河出文庫 p227
[13] 『決定版 第二の性II』シモーヌ・ド・ボーヴォワール 河出文庫 p228
[14] 『アイデンティティとライフサイクル』 (p173) 「超自我」と「自我理想」の違いについては、「超自我」は、系統発生的な歴史と関、より太古的な仕方で徹底的に内面化され、「盲目的」道徳として内的に働くが、「自我理想」はある特定の歴史的時期の理想と結びついており、現実を吟味する自我機能に近いと説明されています。
[15] 『アイデンティティとライフサイクル』 (p172)
[16] 『アイデンティティとライフサイクル』 (p172)
[17] 『アイデンティティとライフサイクル』 (p174)
[18] 『アイデンティティとライフサイクル』 (p174)
[19] 『荒野のおおかみ』ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳 新潮文庫 p96
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