公正・正義を教育のめがねで探究するその5:デューイ『民主主義と教育』そして総括

 

さて、「正義」のブログも5つ目、いよいよ最後になります。今回の「哲学登山」テーマは「正義」だったのですが、プログラムとしての目標は「民主的な教育を人々と正当に実践するための考え方を理解する」ことに置きました。つまり「民主的」ということを考えるためには、“自分なりの正義”の理解と感度を持つことが前提条件になる、ということです。でも、「正義」を今の現実社会の中でどのように実践していけばいいのか、ということを考えた場合にはどうしても、「民主主義」ということを考えなければならないし、さらには、「教育」に携わる私たちは、それを「教育」「学校」という文脈で考え続ける必要があります。そして、それを生涯にわたって考え続けたのが、ジョン・デューイです。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその4:サンデルの共通善とアリストテレス

前回、サンデルの本について書きました。ただ、なぜサンデルが共和制に美徳を感じているのか、またアリストテレスを思想の基礎に置いていることは多少わかっても、なぜあれだけリベラル批判をしているのかはわかりません。今回サンデルについてはいくつか読みましたが、圧倒的に面白かったのが、『民主政の不満』でした。この本は、アメリカの建国以来の憲法の判例や政治家の発言をたどりながら、建国当初に大事であった共和主義がいかに衰退し、次第に(彼の批判する)リベラリズムに陥ったのかということについて記述されています。ここから、コミュニタリアンがどのように「善」を考え、「リベラル」を批判しているのかの思想の一端を見ることができるような気がします。また、コミュニタリアニズムの理解のためには、ある程度アリストテレスの理解が必要となってくるため、倫理学としての主著にあたる『ニコマコス倫理学』についてもまとめておきたいと思います。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその3:サンデルのメリトクラシー批判

 

さて、本テーマのブログその1の冒頭に紹介したマイケル・サンデルですが、前回に紹介したロールズの批判者として有名です。1980年代から1990年代にかけて、いわゆる「リベラルーコミュニタリアン論争」がありました。コミュニタリアンは、ロールズの「リベラリズム」では、人びとの「善い生」を可能にする正義は構想できないと批判しました。そしてコミュニタリアンの代表的論客の一人がマイケル・サンデル、ということになります。サンデルといえば、NHKの「ハーバード白熱教室」でご存知の方も多いでしょう。『これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学』もベストセラーになりました。

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公正・正義を教育のめがねで探究するその2:ロールズ「コーポラティブベンチャー」を教育に応用する

 

前回は「正義」についてプラトンを中心に考えました。今回は、二十世紀最大の政治哲学者と言っても過言ではないジョン・ロールズの思想について「学校」のメタファーを使って考えていきたいと思います。プラトンは「正義」が何かについて非常に明快な示唆を与えました。でも、「どうやったら正義を実現できるのか?」については、複雑な現代に生きる私たちが具体的にすぐ行動を起こせるような、誰にでもわかるような方法(How)を指し示すことはありませんでした。

 

だって、さまざまな欲求を持ち、さまざまな個性・技能・卓越を持つわたしたちが全て幸福になれる世界なんてどうやったら実現するのでしょう?私たちは「家族」内や「職場」内ですら、お互いの価値を認め、いつもハッピーに暮らせるとは限りません。どんなに近しい人であっても、全く同じ主義主張を持つことはありえません。さまざまな考え方を持つ私たちが調和し、一緒に生きていくために、どうしていかなければならないのでしょう。ロールズは、そんなことを『正義論』で考えました。[i]

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公正・正義を教育のめがねで探究するその1:プラトンと正義の歴史

4月にマイケル・サンデルの『実力も運のうち−能力主義は正義か?』という本が出版されました。マイケル・サンデルといえば、NHKの「ハーバード白熱教室」や『これからの正義の話をしよう』などの本で知っている方も多いと思いますが、思想的系譜としては「正義論」の中でも、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者となります。

 

ところで、前回の哲学登山のテーマは「正義」。「正義」という言葉は、日本語では「正義の味方」など、道徳の匂いが強かったり、ときには「融通がきかない」「自己満足」「ええかっこしい」というマイナスのニュアンスを持つこともあります。みなさん、「正義」というと何をイメージするでしょうか。

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福澤諭吉が私たちに残してくれたもの〜私たちの教育のルーツを辿る(7)

 

新学期が始まりました。新しい生徒たちが教室に入ってきて、ワクワクしたり、不安になったり、色々する季節です。こたえのない学校も、Learning Creator’s Lab 本科5期生36名、Schools for Excellence 1期生 24名、合計60名のメンバーと共に、秋から年末に向けての旅に出発しました。わたしもワクワクしたり緊張したりしています。哲学登山などのオープンラボも引き続き実施しますので、今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、今年は日本の近代学校教育としての「探究学習」のルーツを辿りたいと思っています。一方で、そのルーツは直接的には「大正自由教育」に見出すことができるだろうと思ってスタートしたのですが、実は「大正自由教育」を調べていると、結局明治の教育に遡らないとわからない。そうなると明治維新、江戸へ・・とどんどん古い時代に足を踏み入れております。2月に吉田松陰について書いたのですが、今回同時代人の福澤諭吉について少しまとめました。ま、ブログですので、気の向くまま、気がついたことをメモしていきたいと思っています。

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創造性はそだてられるのか?川喜田二郎〜私たちの教育のルーツを辿る(6)

 

ある企業さんの「創造性を育てる」というテーマの研究に関わり、昨年秋頃から定期的に一緒に雑談しながら考える時間をいただいています。

 

そんな折、私の知人伊藤洋志さんが最近『イドコロをつくる〜乱世で正気を失わないための暮らし方』という本を出しました。伊藤さんは「モンゴル武者修行」というものをやっています。以前から以下のような文言をホームページで見て、いつか行きたいなぁ、と思っていました。

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「60年間通知表のない」伊那小学校訪問(後半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(5)

 

前回のブログで、見学させていただいた伊那小の各教室の様子をお伝えしました。今回は、見学後に伊那小学校福田弘彦校長先生と、信濃教育会会長の武田育夫先生に伊那小の実践がどのように守られ、発展してきたのかをお伺いしましたので、そのことを中心に書いていきたいと思います。

はじめに、福田先生と武田先生について。福田先生は、伊那小の教諭を8年されたのちに、教頭先生を3年、今年伊那小の校長先生になられました。武田先生は、大学卒業後、長野県内中学校教員からスタートし、長野県教育委員会指導主事、主任指導主事など歴任して、波田町立波田中学校教頭、伊那小学校校校長、長野県教育員会教学指導課、伊那中学校校長を経て、信濃教育会会長に就任されました。

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「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)

先週、長野県にある「60年以上通知表のない学校」、伊那小学校を訪れてきました。来月に伊那小学校校長、伊那中学校校長を歴任され、現在信濃教育会会長をされている武田育夫先生と対談の機会をいただいているのですが、その関係で「一度伊那小にいらっしゃりませんか?」とお声がけ頂いたのです。それは、もちろん行きますとも!!

 

伊那小自体は、「ヤギを飼っているらしい」とか、通知表がない、チャイムがない、ということで、探究する学びを実践したい先生たちの中で、知るひとぞ知る学校です。昭和31年から従来の通知票が廃止されました。今は、1・2学期末に保護者との個別懇談会行い、子どもの育ちの姿を直接保護者に伝えています。また学年末には学級ごとに「学習発表会」を行い、1年間の学習の成果を子どもの具体の姿を通して1998年の学習指導要領が「総合的な時間」を設定するよりもはるか前の1978年から40年以上こどもの意欲や発想に基盤を置く総合学習実践を行っており、毎年教師と子どもたちが探究するテーマを決めています。

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吉田松陰から“教育”について考える〜私たちの教育のルーツを辿る(3)

山口教育フォーラムにて、お話しする機会をいただきました。テーマは「教育の潮目」。バックラウンドがバラバラであっても今教育に関わっている四人がそれぞれ今思う「潮目」について話し合う、というもの。たとえば、都内区立中学の諸戸先生はGIGAスクールの推進によるICTの導入が教育の潮目、と言いました。また東京都小金井市教育長の大隈先生は、「主体的・対話的で深い学び」ならぬ「主体的・協働的な崖登り体験」を提唱しました。軽井沢風越学園理事長の本城さんは、昨年スタートした学校での新しい取り組みを紹介しました。さて、みなさんは今、「学びの潮目」はきていると思いますか?

一方で、日本が過去に経験した「潮目」としては「明治維新」を挙げる人が多いのではないかと思います。そして、山口県といえば、萩の私塾「松下村塾」を起点に多くの幕末の志士たちを精神的に指導した吉田松陰を思い出す人も多いのではないでしょうか。松陰は29歳という若さで亡くなりますが、松下村塾でたった二年余りの間に高杉晋作、久坂玄瑞、明治新政府で活躍した伊藤博文、山縣有朋らを育てます。松下村塾の塾生名簿はないのですが、八十名、九十名くらいいたのではないかと言われています。どんな人だったのか、ちょっと気になり、今回吉田松陰について少し色々読んだので、備忘録として残しておきたいと思います。
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