home > Blog > 藤原 さと > “フツウ”ってなに?〜道徳の教科化から考える社会の不寛容と不自由に対する考察


藤原さとです。


あっという間に年末になってしまいました。

私の方では、今年、今までやってきた探究学習をさらに深化させ、より良いものにしたいと考えており、SEL(社会性と情動の学習)のプログラム開発に関わリ始めました。来年から本格的にプログラムもスタートしますが、それに関連して、2年前に学習指導要領が改定され、教科化された学校現場における道徳について、先生方に色々話を聞いていました。成績評価の話もあり、少しまとめておこうと思います。

 

【道徳教育ってなに?なぜ教科化となったの?】


まず、教育基本法第一条ですが、日本の教育は「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家および社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われる」ものと定義されています。


そして、こうした法的枠組みの中で、道徳教育は「人が一生を通じて追求するべき人格形成の根幹に関わるものであり、同時に民主的な国家・社会の持続的発展を根底で支えるものである。」と学習指導要領に記載されています。


過去の学習指導要領では、道徳が他教科に比べて軽んじられる傾向にあったり、読み物の登場人物の心情理解に偏った形式的な指導が行われていることなどの課題があるとのことで、「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い(中略)発達の段階に応じ、答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の自動が自分自身の問題と捉え、向き合う「考える道徳」「議論する道徳」へのづけられた転換を図るものになったそうです。



【道徳教育、これでいいの?】


さて、私自身は上述で掲げられているような指導要領の内容そのものに対して何の異論もないのですが、少し気になるのは、本当にそれが意味合いのある形で子どもたちに届いているのかという部分です。

先月末に発表された日本財団による18歳意識調査の結果です。どの項目においても比較9カ国において大きく差をつけられ、最下位の結果が出ました。


日本財団18歳意識調査 https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/11/wha_pro_eig_97.pdf


こうしたデータは内閣府の調査、OECDの調査でも似た傾向が出ます。例えば、内閣府のデータ(平成26年版 内閣府 子ども・若者白書)だと、自分自身に満足しているかどうかという質問や、憂鬱だと感じるか、うまくいかないことにも取り組むかどうか、などの項目で7カ国比較でやはりダントツの最下位になっています。この結果を学校教育だけのせいにするのは乱暴な議論かもしれませんが、それにしてもあまりの結果ではないでしょうか。


学習指導要領の内容を読んでも、内容自体は決して悪くないし、間違っている訳ではありません。それなのに、こういった国際比較データが出てしまうということは、指導要領の内容そのものではない別の何かがうまくいっていないかもしれないと思うのは私だけなのでしょうか。



【教科としての道徳の歴史】


まず、現役の公立小学校の教師でもありながら道徳の教科書の編成にも関わっているS先生に色々話を聞いたのですが、もともと道徳は、明治時代から修身という授業があったそうです。(ちなみに、明治維新の時に、教育の中心を国学にするか、漢学(儒学)にするか、洋学にするかとなり、各派の主導権争いの末、実学に優れた洋学を主体とするという経緯があったようです)


修身に関しては、明治13年の改正教育令で筆頭教科の位置づけとなり、徳育論争などを経て、明治23年には天皇の勅語としての「教育勅語」の渙発がなされ、概ね儒教思想に基づいたものになります。しかし、昭和20年に太平洋戦争で一旦廃止となります。戦後GHQは特定の宗教を持たない日本が戦時中、死んでも天皇のためにという一つの精神で団結しているように見えた部分を警戒し、道徳的なものは排除されてきましたが、13年間の空白後、昭和33年に道徳として復活します。ただ、日教組による反対運動もあり、現場では、長らく道徳を研究するなんてダメなやつというイメージが今も多少尾をひいている感じがあるそうです。


その「道徳の授業」ですが、今のスタンダードは、お話を読み、お話の主人公の気持ちを考え、自分のことに置き換え、先生が説話する、というのがフォーマットになっていて、形骸化されているとも言われており、それが学習指導要領の改訂の背景にもなっているとのこと。実態はどうなのでしょう?



【道徳の教科化の現状について】


そこで、現場の先生たちに学校現場の道徳について聞いてみました。T先生(公立中学理科教諭)、U先生(公立中学社会科教諭)、H先生(公立小学校教諭)です。若干覆面座談会みたいになってしまいましたが(笑)雰囲気が伝わると思うので、そのまま書いてみます。


(F)道徳の学校現場での状況について教えてもらっていいですか?

(T)道徳の教科化が決定した2年前から厳しくなっている。僕が教員になった頃は、道徳の時間は教師の裁量に任される雰囲気もあったが、管理職から「35時間順調に進んでいるか?」「全ての“価値”に触れているか?」とチェックが入るようになった。


(U)4月から年度の期間中毎回やったことを記録して、道徳担当(道徳教育推進教師)がチェックするようになった。僕は自分でやりたい手法を試してみて、そのことについて記載したら“価値”をきちんとやりなさい、と指導が入った。


(F)価値って何?
 

(H)「個性」「礼儀」「尊敬」とか?「内容項目」と言われ、小学校では年間20ほど設定されている。 

※参考 道徳の各内容項目の解説 (東京学芸大学)http://www.u-gakugei.ac.jp/~kokoro/komoku/index.html


(F)教科化になって現場で一番変わったと感じるところは?


(T)成績を出さなければならないところと、拘束力が強くなったところ。管理職も責任感を感じるため、結果的に先生が縛られていくところ

(U)そう。それが来年度からいよいよ道徳所見として通知表に書かなければならなくなるので、負担感が大きく増える。ただ、僕の前の学校では、道徳の所見については、道徳教育推進教師が何十パターンか作ってそれをパソコンで選択すれば良いようになっていた。


(F)時間的にももちろんだけど、(道徳の成績評価は)心理的にも負担になりますか?

(T)だから結果として、「いいものにしよう」という以前に「こちらの負担を減らしながらも非難されないものにしよう」という方向性になってしまっている。


(H)評価するとなるとどうしても基準のようなものがあり、それを満たしているかどうかというような目線になってしまう。それが道徳的な価値の押し付けに繋がらなければいいのだけど。


(F)それ、改定で目指している方向と逆になっているということはない?

(H)主発問を出して、先生の体験を語る(説話)、自分ごとに戻す、、というのが道徳の「やり方」となっているが、本音を言うことよりも先生の期待する答えに応じると言う隠れたカリキュラム(Hidden Curriculum)がそこにはある。その流れが変わったようにはあまり感じられない。もちろんこのやり方で真正にできる先生もいると思うけど、そんな力量のある先生、どれだけいるんだろう。


(U)考え、議論する道徳というふうに、今回指導要領に入っているが、結局先生が期待する価値にたどり着くように誘導しているのであれば、文言が変わったとしても実質が変わらない。


(U)指導書があるし、流れるまま、そこで形だけあってもうまくやれるかわからない、そこに問題があるような気がする。ストレスを感じている先生もいると思う。ただでさえ、大変な通知表にさらに道徳所見を書くなんて、かなり負担になっている。また、授業に関していうと、自分の中にある違和感や考えを後回しにして、外の評価と先生が期待することに答えていくと、自分がどんどん小さくなっていってしまう。中3にもなればみんな分かっていて、学校の求めているものに合わせているだけ。道徳の感想はもう似たりよったりのもので、感想を書かせることに意味があるのかわからない。


(F)教室だけでなく、SNSでも人が受け入れにくいと一瞬思うような
意見、例えば「戦争反対」に異議を唱えるなどの考えの中にも大事なことがあるのに、そういうことを言ったらいけないような空気が流れてしまう。でも本当の意味での「安心・安全」はそういう少数派だったり、時には異端と思われる意見も受け入れられることなのかも、と思う。

(T)僕は、自分が知っていて実際に子どもたちが本音を言えるやり方として、現場で使うのに許せるのは哲学対話くらいしかなく、実践していた。哲学対話でも、多数派の意見に流されることもあるが、1年間通じて、楽しく且つ充実していた哲学対話は、アメリカに住んでいた子、香港人の子がいて、彼らが全然空気読まなかった時。とても良かった。彼らがいなかったら、つまらないいい子の話し合いに落ちてしまっていたかもしれない。アメリカ帰りの子なんかは「友達なんて、いらなくない?」みたいなことをいう。そういう本音で語れる場作りが本当に求められていると思う。



【どうしたらよいのか】


こうした一連の話を聞いていて、考えこんでしまいました。本当にこうした道徳のあり方が心を育てることに繋がっているのでしょうか。むしろ子どもの心を潰してしまってはいないでしょうか。


道徳の教科化については、政府による意向もあったとのことなのですが、上述のS先生によるともともと道徳の研究をやっていた先生たちは、教科化に反対な人が圧倒的に多かったそうです。道徳を教科にしてしまったら、変な道徳ができはしないかと懸念していたとのことで、インタビューをしてみても、結果的にその懸念はある程度あてはまってしまっているようにも思います。


現場の先生たちは、疲弊しています※。道徳を教科化したことで、道徳所見を書かなければならなくなりました※※。平成3年の指導要録から4観点が提示され、すでに各教科(国語、算数、理科、社会など)でそれぞれ「関心・意欲・態度」が小学校3段階、中学校4段階で評価の対象となっています。この評価のために期中の子どもたちの発言などをすべて記録して、評価している先生も少なくないのに、それに加えて、100文字程度の道徳所見、その他総合的な学習の時間(100文字程度)、外国語(100文字程度)、総合所見を加えて、多いと、全部で一人あたり500文字程度の所見を毎学期書きます。クラスには30名から40名の子どもたちがいますから、気が遠くなるような作業量です※※※。そして、先生たちはそれだけ時間をかけて書く通知表に意味合いを感じ取れないわけです。


ところで、今年東京都の小学校の教員採用試験の倍率はとうとう2倍を切り、1.8倍となりました。自治体によって違いますが、特にこの1-2年、私の周りでも公立から私学に異動してしまう先生が後を絶ちません。この秋冬だけでもどれだけの先生から「私学にいく」「声をかけられて迷っている」「辞める」という声を聞いたでしょうか。もともと公立の教師になりたくて、仕事も好きなのに自由度のない職場で我慢に我慢を重ねて、最終的に決断した状況を聞いてしまうと、私も引き止める訳にもいきません。


少し話がずれてしまったように見えるかもしれませんが、こうしたことは「道徳」の現場につながりはしないでしょうか。みんなおかしいと思っているのに、声を上げられない。声を上げると叩かれる。自由論を書いたミルは「凡庸さが人類にとって支配的になるとき、不寛容と停滞を生む」と言いました。“凡庸さ”を“空気を読むこと”と読み替えてもいいと思うのですが、とにかくはみ出ない、存在もしない「普通」をまさに忖度して行動を取るのであれば、不寛容と停滞は避けられないかと感じます。せっかく「考える道徳」「議論する道徳」となったのですから、本当の意味で、支配的な意見に対して声を上げられるようなやり方に変わっていかなければならないのだろうと感じます。


教師でもなんでもない私にできることってなんなのだろうか。考え続けてみたいと思います。


年末なのに少し辛口となってしまいました。今日はこの辺で。

※教員の疲弊ですが、OECD調査で日本の教員の勤務時間は世界最高レベル(中学校教員の週平均労働時間数63時間)です。しかも給特法によって、教員の給与は、残業代は一律4%の上乗せしかされませんので、ほとんどの残業時間を無休で働いていることになります。また、秋の臨時国会で一年単位の変形労働時間制を導入する法案が提案されましたが、コンサルタントとして過去経営改革や再生案件等を担当した個人的な経験から言わせてもらうと、変形労働時間制は体良く残業代なしで働かせたい時の常套手段でもあります。どうしてこのようなことになるのか。怒りに震えます。

※※通知表を出すか出さないかは、本来は校長裁量ですが、ほとんどの学校は通知表を出しています。ちなみに道徳に関しては、「道徳性」の評価はしてはならないことになっており、例えば「思いやりのある子」というような書き方はだめで、事実をベースに記載していくそうです。(結果当たり障りのない評価に落ち着くとのこと)なお、現在道徳はそもそも全ての教科でやるものではあるが、「道徳の授業」としては他教科ではなかなかできないつなぎ目の部分、具体的には「補充、進化、統合」として実施されています。

※※※学年によっても学校によっても違います。総合の時間は3年生から、英語も高学年なので高学年の方が評価の負担が増え、なり手が少ないとのこと。教員採用試験の倍率が下がると、休職者がでた場合の補充は試験に合格できなかった人から臨時採用されていたのですが、その対象者が少なくなり、現場の教員でなんとかカバーしなければならない状態ですが、かなり厳しい状況と聞いています。

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