home > Blog > スタッフブログ > どの情報が正しいの?メディアリテラシーそして大量の情報との向き合い方〜山脇岳志さんインタビュー



緊急事態宣言も解除となり、学校も分散登校が始まりました。とはいえ、まだまだ落ち着かない日々が続いていることと思います。


ところで、今回の新型コロナウイルス関連で、私たちがずっと翻弄されつづけ、悩まされ続けた「情報」。ニュースやSNSで毎日のように流れてきますが、一体何が正しくて、何が間違っているのでしょうか?私たちは何をたよりに判断をしていけばいいのでしょうか? そこで、今年3月末まで朝日新聞の編集委員をされており、4月よりスマートニュース メディア研究所の研究主幹に就任され、メディアリテラシー教育にも携わっていらっしゃる山脇岳志さんに大量の「情報」との向き合い方について、お話いただきました。(聞き手:こたえのない学校代表理事 藤原さと)

 

お話をお伺いした方:

山脇岳志さん スマートニュース メディア研究所 研究主幹

1986年に朝日新聞に入社後、経済部記者、オックスフォード大学客員研究員、ワシントン特派員、論説委員などを経て、グローバルな視点の特集を組む別刷り『GLOBE』の創刊に携わり、編集長に就任。その後、ベルリン自由大学上席研究員を経て、アメリカ総局長となり、トランプ大統領が誕生した2016年の選挙をカバーした。2017年に帰国後は、編集委員として政治経済から教育、文化まで幅広い分野についてコラムを執筆。昨年、「現代アメリカ政治とメディア」(共著、東洋経済新報社)を出版。2020年4月より現職。京都大学大学院総合生存学館特任教授、東京大学公共政策大学院非常勤講師を兼任。


藤原:
4月からスマートニュースで新しいお仕事をスタートされていますが、どのようなお仕事か改めて教えていただけますか?

山脇さん(以下敬称略):当面の私のテーマは3つあります。一つ目は、高校生向けのメディアリテラシー教育の教材を開発すること。二つ目は、日本の世論の分極化についての研究です。アメリカではピュー・リサーチセンターなどの調査機関が政治的な分極化について長年にわたって継続的な調査をしていますが、日本でも客観的な調査ができればと思っています。どういった価値基準で保守やリベラルを定義するかは国によって事情も異なるため難しい面も多く、実際に調査を始めるまでに時間はかかると思います。三つめは、そうした世論や社会の分断とメディアが相互にどうかかわっているのかをも含め、インターネット時代におけるメディアの役割について研究したいと思っています。

藤原:ピューリサーチの分極化についての世論調査は、ビッグデータを解析しているのでしょうか? 

山脇:いえ、今までのところ、伝統的な電話による調査ですね。日本の新聞社の内閣支持率などの世論調査もそうですが、統計的に恣意性が入らないような調査方法を使って抽出された相手に、人間が電話をかけて調査しています。ただ、当然、それにはコストがかかります。日本の新聞社は経営状態が悪化しており、いつまでも頻繁に電話による世論調査ができないかもしれません。最近、大手新聞でも「オートコール」という自動音声をつかった電話調査に切り替えたところもあります。インターネットによる調査は、電話調査よりも、コストが低くおさえられます。しかし、高齢者はあまりネットを使わないことや、関心のある人が調査に答えがちといった偏りが出るという課題もあります。ただ、世界的に電話を使う人が減っているので、いずれさまざまな世論調査で、インターネット調査が主流になっていくのかもしれません。


藤原:昔から、自分の考え方に近い新聞を選んだりすることはもちろんありましたが、夜は家族で一緒にテレビニュースを複数見るなど、世論というものを私たちはもっと共有していたように思います。しかし今はテレビが中心の高齢者世代、ネットしか見ない若手など、人によって触れる情報がバラバラになっています。世論の分断とメディアの役割はどう関係し、変化しているのでしょうか?

山脇:「フィルターバブル」という言葉があります。アメリカの市民活動家のイーライ・パリサーが2011年に生み出した言葉です。フェイスブックなどのソーシャルメディアや、グーグルなどの検索エンジンで、自分がみたい情報しかみえなくなる現象を指しますユーザーがよくクリックする情報が記憶され、その人に「最適化」されたニュースが表示される結果、その人に入る情報が狭くなります。ユーザーは「バブル(泡)」のような閉じた空間にとらわれてしまっているわけです。

こうした現象を引き起こすのが、ソーシャルメディアなどのアルゴリズムです。アルゴリズムとは、コンピューター処理の基本で、いわば「手続き」のこと。ソーシャルメディアでいえば、何を優先して画面に表示するかを決める仕組みです。アルゴリズムは、ユーザーの志向を分類・記憶し、そうしたデータに基づき、ニュースも表示されます。

保守的な人には保守系のメディアの記事が表示されやすくなり、リベラルな人にはリベラル的な記事が表示されやすくなります。ソーシャルメディアを使うたびに、志向が似た友人やメディアの情報に囲まれやすくなります。

私は2019年に、ある会議で、スマートニュース会長の鈴木健さんに会ったのですが、そのとき、「アメリカで深刻化している分極化をなんとかしたい」と真面目に話すことにびっくりした記憶があります。アメリカで暮らしていたとき、アメリカ人からは分極化の懸念の声をよく聞きましたが、日本の起業家が、アメリカの分極化を緩和したいと考え、実際に手を打っていることに驚いたのです。スマートニュースはアメリカ進出にあたり、政治ニュースについては、保守層とリベラル層、どちらのユーザーに対しても、保守層が好みそうなニュースとリベラル層が好みそうなニュースの両方が表示されるような仕組みにしました。それが、意外に受け入れられた面があるようで、アメリカのユーザー数が伸びています。

ただ、トランプ大統領は、ニューヨークタイムズやワシントンポストのような有力紙や、CNNのようなテレビを「フェイクニュース」と攻撃を続けており、トランプ支持派と、反トランプの人々との分断はますます激しくなっています。



藤原:日本でも政治家が大手メディアへの不信感もあるのか、ツイッターやインスタグラムなどの直接配信を多用していますね。

 

山脇:世界的にもメディアに対する信頼は低下傾向にあると思います。メディア側にも誤報や思い込みに基づく報道が繰り返されてきたという問題はあります。同時にフェイスブックやツイッター、インスタグラム、ブログも含め、様々な発信手段が発達し、一人ひとりがメディアになれるという大きな環境の変化が背景にあると思います。

かつてメディアは重要な情報の流通をほぼ独占していたがために、大きな力を持ち得たのですが、今は、全くそういう状況ではありません。無数のプレイヤーから発信され、インターネット上で無料で流れる情報は、偽の情報もまじる一方、良質の情報も流れています。まさに「玉石混交」です。そんな中で、伝統的なメディアはしっかりした調査に基づく情報を出すことで、信頼を高めていく必要があります。

メディアに求められているクオリティは、ネット普及前よりも、むしろ格段に上がっています。しかし、販売や広告収入の減少による経営悪化や、絶えざる批判にさらされていることもあってか、日本では、マスコミの就職人気は、かつてより大幅に下がっています。伝統的なメディアに求められる記事のクオリティーは上がる一方で、人材の確保に苦労するという「二重苦」に直面しているように思います。メディアは信用できないから、直接、発信者とつながりたい。そう思う人が増えている中で、政治家なども、直接、有権者とつながれるツイッターなどの発信を増やすことになっていると思います。

 

藤原:トランプ氏もまさに、ツイッターを利用して、2016年の大統領選で勝利しました。

山脇:トランプ氏のソーシャルメディア利用は巧みでした。ツイッターは、大統領選でもトランプ氏への支持固めに大いに役立ちましたし、当選後もツイッターで重要な政策を出すことも多かったわけです。「ツイッター大統領」ともいわれてきて、今では、8000万人を超えるフォロワーがいます。

ただ、その「蜜月関係」は大きな変化を迎えています。ミネソタ州で黒人の容疑者が白人の警察官に、膝で首をおさえつけられ死亡した事件をきっかけに、全米でデモが広がりましたが、この事件に対するトランプ氏の投稿について、ツイッターは「暴力の賛美に関するルール違反だ」という注意喚起の表示をつけました。従来は自由な発言を認めていただけに、この方針転換に対して、トランプ氏は激しく怒り、ソーシャルメディアへの保護を弱める大統領令に署名しました。

山脇さんが共著でだされた「現代アメリカ政治とメディア」(東洋経済新報社)に、アメリカのメディアの課題、政治の分極化など詳しく書かれています。


藤原:
政治と有力メディアの対立が聞こえてくる一方、政治とメディアが癒着しているのではないか、という批判もあります。「安倍政権に不利な問題が起きるとその目を散らすために芸能ニュースが利用される」というような陰謀史観的な見方も、ネットに流れていますね。何が本当で、何が嘘なのか、ユーザーとしてはわからない状況です。

 

山脇:さまざまな研究によって、虚偽のニュースのほうが人々に伝播しやすい、ということがわかってきました。また、全く関係ないメディアよりも、自分の信用している人から直接に受け取った情報を信用しやすい、ともいわれています。本当にその情報が正しいかどうかより、「誰から」その情報をもたられたのかが重要視されてしまいます。たしかに信頼する人から得た情報は、たとえ転送されてきたものであっても、つい信用したくなってしまいますよね。でも、新型コロナウイルス感染症の問題でも示されたように、自分の健康や安全にかかわるような重要な問題で虚偽の情報を信じることは、危険です。受け取った情報が正しいのかどうか、いったん立ち止まって、自分で判断する必要があります。

 

藤原:新型コロナに関して私は前職が医療関係だったので、実は割と早い段階で医療関係者から現場の情報を直接受け取っていました。3月の上旬にはブルッキングス研究所がパンデミックのシミュレーションを行い、その予測データをシェアしてもらって愕然としました。とても信じられませんでしたが、いくつかの国でそのまま現実となりました。また前職の上司が厚労省での動きをソーシャルメディアで配信していたり、現場の医師が感染対策をしている様子もリアルタイムで受け取っていました。でも、これはたまたま私が前職で医療に関わっていたからだし、周りの人たちの考えが正しいとも限らない。となると本当に何を信じて良いのかわからなくなることがありました。一方で、私は家族と一緒にいるので昼も夜もご飯をつくらなければならないし、団体の仕事も継続しているとなると一日中ニュースを見て、情報を調べているわけにもいかない。

 

山脇:やはり人は不安な時には、正常ではない判断に陥りがちということはありますね。今回の新型コロナの感染が拡大している中でも、たとえば「新型コロナウイルスは、26度から27度ぐらいの温度で死ぬので、お湯を飲むと良い」という虚偽情報が広がって、僕のところにも送られてきました。身近な人でも信じている人がいました。人の体温よりも低い温度で死ぬのならば、あれほど感染症が広がるはずはありません。しかし、通常の状態であれば冷静な判断できる人でも、大きな不安に包まれている中では、それが難しくなることがあるのは十分ありうることです。その意味でも、メディアリテラシーが重要になってくると思っています。

 

藤原:そもそも「メディアリテラシー」とは、どういう定義の言葉なのでしょうか。

 

山脇: 多義的な言葉で定義が難しいのですが、たとえば、NHKが学校向けに出している動画では、メディアリテラシーには3つの要素がある、と整理されています。

具体的には、①メディアを読み解く力=情報が正しいものかどうか判断する②メディアを活用する力=目的や状況に応じて、どのメディア機器を使えばよいのか、その特徴を知り、使い分けることができる③メディアを通じてコミュニケーションする力=パソコンやスマートフォンなど、メディア機器を通じて上手にコミュニケーションできる、とあります。「多くの情報が手に入る現在、情報化社会とうまくつきあうためには、メディアの情報を読み解き、活用し、上手にコミュニケーションする力が必要です」としています。

アメリカ在住のジャーナリスト、菅谷明子氏の「メディア・リテラシー」(岩波新書)には、こう短く示されています。

「メディアリテラシーとは、ひと言でいえば、メディアが形作る『現実』を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことである」

NHKの動画もよくまとまっていると思いますが、私はここで指摘されている「クリティカル・シンキング」という言葉がキーワードだと思っています。

日本語で「批判」というと、「非難」に近い意味と取る人もいて、文部科学省も教育の目標として「批判的思考」という言葉をあまり使わないようですが、ここでの「批判」はだれかを「非難」するという意味ではありません。ソーシャルメディアなどで情報を得たときに、それを鵜呑みにしたり、そのまま誰かに転送したりする前に、本当なのだろうかと一歩立ち止まり、その根拠は何なのかなと見つめなおす、というような意味です。

 

「メディアリテラシー」について詳しい法政大学の坂本旬教授は、批判的に考える上で「だいじかな」という手法を提案しています。

 

「だ」れ?   「この情報は誰が発信したのか?」

「い」つ?     「いつ発信されたのか?」

「じ」じつ?   「情報は事実か?参照はあるか?」

「か」んけい? 「自分とどのように関係するか?」

「な」ぜ?     「情報発信の目的は何か?」

 

これをチェックするだけでもだいぶ違うはずです。こうして批判的に考えることで、さっきの「26度のぬるま湯を飲めば」というような虚偽情報に騙されることも少なくなると思います。もっと本質的には、人間は騙されやすく、愚かなところがあるということを自覚する、ということが大事なのではないでしょうか。私自身も自戒しなければなりません。

 

藤原:お話を聞いていて、クリティカルな「態度」と共に、「このニュースは怪しい」「クサイ」と言った身体感覚も必要なのではないかと感じました。学生時代にバックパッカーを経験すると人生にとってプラスだというようなアドバイスを聞いたことがありますが、それは「この人に近づくと危ない」「この地区に入り込むと危ない」というような感覚をリスクぎりぎりの中で養える、ということなのではないかと思います。膨大な量の情報を浴びている時に、全て頭で判断するのは現実的ではないかもしれない。そのときに、身体的な感覚は意外と必要なのかも、と感じました。流れてきた情報に対して「悪意」や「いやらしさ」を嗅ぎ取ることが、批判的思考の第一歩なのかもしれないという気もします。

 

山脇:確かに、「なんだかわからないが何か怪しいぞ」と直感的に感じるのは重要な能力だと思います。コロナ関連では、「○○の赤十字病院の医師によれば・・」というような虚偽情報も流れましたが、シェアする人は善意でシェアしていることが多いわけです。だから厄介なんですね。しかも、情報のすべてが間違いじゃなくて、その中には正しいアドバイスも入っていたりするのです。こういった非常に込み入った状況の中での判断はいちいちチェックすると時間的にも大変になる。そのとき、「これはクサイ」と直感すれば、友達に転送しないようにすることも大事でしょうね。ただ、転送したあと、あれは虚偽情報だったと知らせてくれる人たちもいて、そうした態度は立派だと思います。直感も大事ですが、「クサイ」と感じるかどうかは、学校教育などの場における訓練でも養うことができると思っています。私自身が「メディアリテラシー教育」に取り組みたいと思っている理由の一つです。

 

藤原:発達理論の世界や、イエナプラン、シュタイナーなどの世界ではティーンエイジャーに差し掛かるくらいまでは信頼できる環境に囲まれることで、そうではない社会に出た時の違和感を育てようとします。インターネットには虚偽情報が大量に流通していますが、最初から臭いものに囲まれていると、「クサイ」ものを嗅いだ時に「クサイ」とわからないというのはあるかもしれません。また、小学校から、スマホを持つ子も多く、いきなり虚偽情報に触れるわけですが、どうすればいいのでしょう。

 

山脇:スマホ一つあれば、小学生であっても情報の渦に投げ込まれる。でもそこに情報を精査して、いちいち教えてくれる人もおらず、一対一で向き合っている状態ですね。本当は、私たちも、小学校や中学校向けのメディアリテラシー教材も作りたいのですが、さきほどご紹介したNHKのものや総務省のホームページに掲載されているものも含めてある程度の教材はあります。また、スマートニュースメディア研究所では、希望する学校に対して、所員が実際に教室に足を運び、メディアリテラシーの実践を行うケースもあります。

今回、私たちが、そうした活動に加えて、高校生向けのメディアリテラシーについての教材を作りたいと思っているのは、高校生にもなると、社会とのつながりがかなり増えているということがあります。

その中で、自分が虚偽情報に騙されないということにとどまらず、マスメディアの役割をどう捉えるべきか、という問題意識も芽生えてきていると思います。メディアを民主主義の基盤の一つと考えるのか、それとも世の中に、もはや必要のないものなのか。独立したメディアがない全体主義国家ではどのような事態が起きているのか。そうしたことへの興味も広がる時期だと思います。現在、高校の先生方のご協力もいただきながら教材作りに取り組んでいます。来年ぐらいに教材ができれば、学校の現場で、関心をもってくださる先生方に授業で使っていただける形になればいいなあと考えているところです。



藤原:「マスコミ」は「マスゴミ」などといわれるなど、何かと叩かれるようになってきましたが、「学校不要論」と少し似ているかもしれませんね。たとえば、「学校」が本当に不要なのかというと、個人的には私は「学校は必要だ」と考えます。だからといって「今の学校でいいですか?」と言われるとそれはNOで、さまざまな改善点があると思います。今回の新型コロナに関しても、専門家会議で話されていることが本当に正しいか正しくないかなどということを、専門知識がなく、日常の仕事に追われる普通の人が判断することは難しい。そういった中で、マスメディアが情報を整理・検証した上で、医療現場にも足を運び、情報のプロとして伝えていく役割は、重要なはずですね。変な情報がたくさん流れている中で、ナビゲートや調査の機能は、なくなって良いとは思わないです。マスメディアは、何らかの形で必要だと思います。

 

山脇:メディアには批判されるべき点が数々あったし、今もあります。どう改善して、どう信頼を取り戻すのかという点が問われています。昨年、イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリ氏にインタビューをしましたが、「AIとバイオテクノロジー、生体認証などの融合により、歴史上初めて、独裁政府が市民すべてを常時追跡できるようになる」と話し、強い危機感を持っていたのが印象的でした。また、人間は常に間違うので、「政府が誤りをおかすことを考慮して政治システムをデザインする必要がある。個人の哲学についても、無謬性を前提にすることは大きな誤りだ」と話していて、共感しました。政府が誤る以上、それを指摘し、改善につなげるのは、独立したメディアの役割です。メディアを支配下に置く独裁体制のもとでは、メディアはそうした機能は果たせなくなります。

それと同時に、私たち一人一人が、虚偽情報やプロパガンダに流されず、自分自身を健全な意味で疑いながら、情報の真偽を見極めていくことが、民主主義を支える大きな基盤となると思います。

メディアリテラシー教育が、これらすべての大きな問題を解決できるわけではありません。しかし、健全な民主主義を支える一助にはなるのではないかと思います。

一言でいうならメディアリテラシーを身につけるとは、「主体性」をもって情報を判断するという態度を身につけるということだと思います。文科省の新学習指導要領にも明示されている「主体的・対話的で深い学び」という流れとも合っているはずです。

藤原:本当にそうですね。またお話をお聞かせください。ありがとうございました!

 

 

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