home > Blog > 藤原 さと > よい授業とは? 主体的・対話的で深い学びとは?

 

藤原さとです。

だいぶ日が長くなってきましたね。私は日が短いのが嫌いなので、日が暮れるのが遅くなるのを毎日実感する二月は好きな月でもあります。

さて、海外の学校を含めて授業を見学する機会はもともと多かったのですが、昨年くらいから探究学習、総合学習の授業見学や授業講評の機会が増えてきました。今日はどんな視点で授業を拝見しているのか、少しまとめておきたいと思います。

 

【その1:探究的なカリキュラムとして成立しているか?】

 

まず「探究する学び」として、探究の時間、総合的な学習の時間やその他の単元を見る場合は、私の場合、こちらのブログに書いてある通り、まず「探究的な学び」としての基本形が整っているかを確認しています。

探究と探究でないものを分かつものは?―這い回る経験主義に陥らないための考察と整理

https://kotaenonai.org/blog/satolog/3279/

 

「探究」という言葉は非常にトリッキーで、子どもも大人も基本的に「思考」そのものは探究的、つまりクルクルと回転しているので、そういう意味では全ての授業は「探究的」と言って良いようなところがあります。例えば、「嫌だなぁ、、」と計算問題を解いていても、その子は同時に「放課後何して遊ぼうかなぁ、、。昨日友達と喧嘩して嫌だったなぁ、どうやって仲直りしよう」などと同時にクルクル考えていたりします。つまり「探究的な学び」というのはなんていうことはない、人間の自然な学び方そのものなわけで、逆に言えば、そうした人間の自然な思考回路にカリキュラムも合わせてしまったらいいのではないか?という提案でしかありません。

 

とはいっても、クラスの40名がそれぞれてんでばらばらに別のことを考えていてはいけない時、現実的に学習指導要領に応じてある単元をある一定の時間で学ばなければならないとき、一つの方向に学級を引っ張っていかなければならないことがあります。また、子どもたちに協働することの意味を感じてもらいたいとき、もしくは授業や子どもの学びを評価しなければならない、保護者や上司に授業の「意味」を伝えなければならない場合もそうです。

そういったときに、以下のようなことをみています。

 


1)探究の始点はどうなっているか?

探究とは子どもたちがある時点で興味をもち、その単元中夢中になって取り組める仕掛けができているか。子どもたちがどのような問いや仮説、モヤモヤやワクワクを持つだろうと設計しているか?を確認しています。

国際バカロレアに初等教育プログラム※では良い探究として、以下のような4つの条件が規定されていますが、分かりやすいのでご紹介します。私たちもプログラムの設計でずっと使っているものです。

 

A)魅力的である (Engaging)
面白くなければ探究でありません。子どもの興味を引き出す題材(材)を扱うこと

B)関連性がある (Relevant)
児童の先行知識や経験、現在の状況と繋がっている題材を扱い、「これは学ぶ意義がある」と子どもが認識すること

C)やりがいがある (Challenging)
すでにできることではなく、コンフォートゾーンを少し超えたくらいの努力が必要なものに子どもは夢中になります。

D)意義深い(Significant)

学ぶ意義・意味があるか? 少なくともなんのためにこの授業をやっているのかが明確である必要があります。

 

ここでよくあるのが、「目立つ授業をしたい」もしくは「この教材を使いたい」というのが先に立ってしまっているケースです。小学生の子どもにビジネスの手法を学ばせたり、バーチャルリアリティ(VR)のような目新しい機械、もしくは新しいインターネットアプリを使ったりする時、またいわゆる著名人を呼ぶとき、それをやってはいけない、というのではなく、だからこそ子どもの経験との連続性や興味関心に寄り添うことが必要になってきます。逆にいうと、目立つものを使わずとも、良い授業の組み立てはいくらでも可能です。

 

 

2)探究の軸がしっかり取られているか?

次に、探究の軸がしっかりとれているのかは、非常に大事です。たとえば、企業でプロジェクトをする場合も、そのプロジェクトの軸取りは必須です。つまり「私たちは何をしているのか?」が明確でないと、メンバーのモチベーションが続かず、空中分解してしまいます。経営でもミッションやビジョンと言いますが、この辺がはっきりしていない、もしくは一緒に働く人が共有していないと、こちらもしっかりと力をあわせることができません。研究も「良い問い」「良い仮説」をたてられれば、それだけで論文は8割できたようなものだと学生時代に言われたことがあります。これは実際の授業づくりでもおなじことが言えます。

 

そして一旦軸がとれると、みんなが学習の初期時点でどこにいたのかを確認します。テストでもエッセイを書くのでも、ディスカッションをして振り返るのでも大丈夫ですが、ログをきちんと取っておくことです。これができていれば、探究・総合の単元を実施後、どれだけ子どもたちが変化したかをみとることができます。その変化が授業作成者の評価ともなります。こうした設計部分は工学的な側面もあるのですが、工学的であるがゆえに、いろいろな手法を知っていることで対応できる部分です。また、「軸をとる」ということですがあくまでカリキュラム作成上に有効、ということです。自然な状態だと、人間はある軸で考えていたかと思うと次の軸に飛び移ったり、いくつの軸が現れたり立ち消えたりしているものです。軸をとるのが大事になるのは「人に何かを説明したい」「人と一緒に負荷のかかることを実現したい」という時になります。

 


【その2:子どもの自律性・自主性が保たれているか?】


さらに、その単元に充分な時間がかけられているのかを見ています。もしくは学校の状況によっては充分な時間数が取れない場合、どこまで行くのか、何を諦めているのかを授業設計者側がはっきり認識できているかを確認しています。

 

授業時間数がすごく少ない場合に一つの探究サイクルすら回せないケースもありますが、最近それでいいのだと思うようになりました。逆に無理に1回回そうとして、駆け足になってしまって、気がついたら子どもたちはとにかく体験をフォアグラのように食べさせられ、自分の考えも熟成していないのに、意見を言わされ、感想文を書かされる・・となったら本末転倒です。そうなるくらいだったら、この単元では「よい刺激」にフォーカスして、あとは手放してしまう、などの判断もできるようになってきます。

 

実はこれは私自身が苦い経験があります。子どものプログラムでも、1探究サイクルを回すことに拘ってしまっていた時がありました。課外のワークショップの場合、保護者も結果や成果を見たがりますし、使える時間が非常に限られています。そのプレッシャーがあって、出来るだけのことをしよう、と詰め込んでしまうのです。

 

また、今年4期目となる長期の教育者研修であるLearning Creator’s Labの1期目も後悔が残っています。つまり、一年目は「この一年のなかでどれだけメンバーの変容を起こすことができるのか?」ということに拘ってしまっていたのです。でも、大人になれば柔軟性が落ちてしまって、変化に時間がかかるケースもあるし、どこのポイントにひっかかって何でぐっと変わるかはわかりません。もちろん、変化してもらいたいという気持ちを持つことは大事なのですが、「自分が持っている時間の中で変化してほしい」というのはエゴ以外のなにものでもありません。その気持ちを数年前に手放したことで、むしろみんなの変化をもっと良くみることができるようになり、経年にわたってのコミュニティ育成に力を入れるようになりました。

 

ところで、昨年、今年と授業見学の機会を頂いた横浜国立大学教育学部附属小学校の総合の授業ですが、そこでは年間の総合の時間70時間を1テーマで過ごします。同校の総合学習では、導入のタイミングで「探索」の時間、つまり、子どもたちが一見遊んでいるとしか思えない、もしくは何もしていないように見えるゆったりとした時間を非常に大事にしています。その時間は次から次へと成果が出るわけではないので、決して見栄えのよい時間ではありません。でも、それが足腰の強さとなって後に効いてきます。同校ではそうした探索の時間を夏休みくらいまで持つことも少なくありません。

 

もちろんそれは「這い回る経験主義」ではなく、教師はある見通しをもって、子どもを待ちます。探索によって、子どもたちの内言が熟したところで、その表情を汲み取りながら、総合探究に柔軟に移行していく。ここでこのプロセスを待てず、教師が我慢できずにひっぱると子どもの自律が崩れます。同校ではこの「探索」の時間をまさに「熟成の時間」と呼び、とても大事にし、先生たちはどこで総合探究に移行するのか、どのような題材で一年間をすごすのかを何度もお互いの授業を見合いながら丁寧に振り返りとディスカッションを重ねています。本当に尊敬する限りです。

 

 

【その3:深い学びとなっているか?】

 

ところで、文科省で「主体的・対話的で深い学び」ということもあって、「何をもって深い授業と言えるんでしょう?」と先生たちに聞かれることがあります。

 

ということで私が授業を見る時に「深いかどうか」を見ているかですが、実はそうでもありません。だいたい「深い」って何なのでしょう?「深い」というとどうしても距離的なイメージを思ってしまうのですが、本当にそうでしょうか?

どちらかというと、私は探究力がどれだけ力強いか、繊細か、そのような探究の力があれば、おのずと学びは深くなるのでは?と考えています。

 

たとえば、硬い岩盤の下に鉱脈があって、そこを掘り当てたいと思えば、力強い高性能の大型ドリルが必要でしょう。一方で、豆腐のことを知りたいときに、ドリルを持ち出せば粉々になってしまって、豆腐を知ることはできなくなってしまいます。そもそも「深い」とは「距離」の問題ではなくて、「深く知る」というのはある感受性を持って対象を理解する、ということであり、そのためには、「(直線的な)深さの距離」よりも「自分の探究」を見つめているほうが近道のように思えます。


「深い学び」というと、何か良い問いがあれば、深まるのかとか、「深い学び」を実現する魔法の手法があるのではないか?というような幻想を抱きがちですが、適切なゴール設定によって、教室をある程度深く引っ張ることは当然できたとしても、そこまでです。最終的には、自分の興味関心を見定め、ある感受性をもって子どもたちも大人も、「自分の探究」というものを使い分けていくことで人生に渡って深い学びを実現していけるのではないでしょうか。

 

 

【一番大事にしていること:豊かな学びかどうか?】

 

最後に、実は最初から最後まで大事にしていることがあります。それは「豊か」かどうか?という点です。「豊かさ」をそこにいる子どもたちに感じるか、その学校に感じるか、子どもたちを取り巻く環境に感じるか。

 

はじめのうちはなんとなく「豊かだな」「そうでないな」、逆に「貧しいな」と漠然と感じていたのですが、最近「豊かさ」というのは、その場でどれだけ子どもたちが「こころを動かしているか」かどうかだと思い当たるようになりました。

 

つまりどれだけアクティブに動いていたとしても、次から次へとやらされていて、心があまり動いていないケースもあるし、逆にじっとしていても、なにか考えることで頭がいっぱいだったり、感動していたりすることもあります。「アクティブラーニング」という言葉がありますが、活動として、身体的に見える部分で「アクティブ」であることに目が行ってしまって、見えにくいところで本当に「アクティブ」であるかどうかがあまり問われないとおかしな事になります。

 

また、たまにですが外部者である私にすらはっきり分かるほど、グループ学習で大事にされていない子を見かけることがあります。もちろん外部者の目があるため、あからさまな意地悪ではないし、一言も喋らないということでもない、でもなんとも冷たい。大抵それは、「あなたはいてもいなくても構わない」というメッセージを暗にその子に送っています。

 

実は、すべての子が前を向く一斉授業の時にはそういった関係性は分かりにくく、学級でうまくいかない子もそれは目立たないし、ほっとする時間ですらあったかもしれません。でも、協働学習になると良くも悪くもそういったことが顕在化します。可視化の利点がある一方で、辛い子はますます辛くなるかもしれない、それだけになおさら注意が必要なのではないかと思って見ています。

 

今、世の中でも、「あなたはいてもいなくても構わない」というメッセージを受け取って生きている人がたくさんいます。学校は社会の縮図だと考えた時に、そういう感度を学校が増幅させてしまうのであれば、それは「貧しい」とつい思ってしまいます。

 

もちろんその根本原因は家庭を含めた社会にあるのだから、学校にすべてを押し付けるのはおかしい、というのはその通りです。とはいえ、特に都市部でコミュニティがここまで貧弱になってしまって、学校が事実上のセーフティネットになっている現状に鑑みると、子どもたちが子どもたち同士で安全・安心な環境を構築する手助けを教師を含めた大人がどれだけつくっていけるかが一つのチャレンジになっているように思います。

 

冒頭の探究のフレームワークが本当の意味で生きてくるのはこうした「豊かさ」とセットになった時であり、むしろフレームワークなんかより漠然と感じる「豊かさ」のほうが実は重要なのではないでしょうか。

 

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といいつつ、私もまだまだ上手だとは自分では思えず、なかなか苦戦しています。例えば、わたしは教師ではないので、子ども一人ひとりのエピソード把握はそんなに得意ではありません。やはり先生はそこはプロだなぁ、といつも感心しています。また、一回の見学だけで分かることは少なくて、2回3回と同じ授業を見学してはじめてわかってくることも多いですし、カリキュラム設計については実際の作り方を別に聞かないとポイントの把握もできません。また、先日友人が「多様性はきれいごとじゃない」と書いているのを見ましたが、本当にそうで、私も日常では至らないことだらけ。といいつつ、自分にプレッシャーを与えるためにも(笑)こんな感じで見ている、ということを書き留めてみました。

 

「対話」についてはこちらにまとめています。「主体的・対話的で深い学び」とは一体どのような学びなのか。また、来年くらいになると少しは進化したようなことが書けていると嬉しいです。

ということで今日はこの辺で。

 

【おしらせ】

日本における第一線の探究学習の実践リーダーから直接学ぶ、7か月間のインテンシブな実践型研修プログラム、Learning Creators Lab(LCL)本科4期生の募集をスタートしました。

主要な探究理論を学びながら、実際のプログラム開発・実践までを同志となったチームメンバーと共に協働設計によってチャレンジできるプログラム。アルムナイコミュニテイを通じて、将来にわたって良質な実践ができるようにサポートします。合宿もあり、仲間との距離もとても近い7か月。第一次募集締め切りは2月10日(月)です。(多様性を考慮して選定しますが、同内容の場合先着順です)

Learning Creator’s Lab 4期本科
https://xtanqlcl.kotaenonai.org/lcl2020-kokuchi/ 

また、LCL関西も今年初めて実施することになりました!こちらは一泊二日、学級経営とSELがテーマです。ぜひご検討ください。

LCL関西@京都
https://xtanqlcl.kotaenonai.org/news/1249/

 

※Making PYP Happen in the Classroom

https://mtpyph.weebly.com/uploads/9/0/6/9/9069240/mtpyph_doc.pdf

改定前のものですが、こちらを使っていました。

藤原 さと