ウチはウチ、よそはよそでいいんじゃない?

子供って、「みんな○○持ってるから、私にもそれ買って!」とか、「○○ちゃんのお家には、勉強机があるんだよいいな~」とか言いますよね。両親共働きの場合は、「○○ちゃんはウチにすぐ帰れていいな~」とか。もっともっと、色々な制約がある中で過ごしている子もいるでしょう。

そういった、終わりのない子供のリクエストに対して、「ウチはウチ、よそはよそ!」と突き放すことについて、ちょっとためらいがあったりしませんか? なんとなく、論理的な響きを感じないというか・・、説明を放棄しているような感じがするとか。

でも、私、「ウチはウチ、よそはよそ!」で、いいんじゃないかと思っているのです。

たとえば、「みんな○○を持っている」と言ったときに、「ホントにみんななの?」「みんなって誰?」「クラスのみんなというなら、全員に持っていると署名もらってらっしゃい~!!」と問い詰めるのもアリといえば、アリです。

でも、仮に「みんなが○○を持って」いたら、それを買ってあげるのでしょうか。

たぶん、この質問に答えるとき、親側にも何等かのうしろめたさや、申し訳なさを感じているということはありませんか? 「本当は放課後一緒にいてあげて、おやつを一緒に食べて宿題見てあげたいけどできていない」とか、「勉強机の一つでも買ってやりたいけど、そんなスペースない」とか。私の場合、「どうして私には、きょうだいがいないの?」と言われると、やや悲しくなったりもします。

でも、ここで親が伝えるべきメッセージは、「(貴方の要求を満たしてあげられなくて)ごめんなさい。」ではなく、きっと「貴方は貴方、他の子は他の子」・・ですよね?

そしたら、「ウチはウチ、よそはよそ!」でいいんじゃないかと思うのです。

子供のうちは、ゲーム機器だったり、子供部屋だったりしますが、それはそのうち、「素敵な容姿」や「ボーイフレンド・ガールフレンド」になり、大人になると、「学歴」やら「お金」やら「すてきな仕事」やらになったりしていきます。私にはちょっと先(のはず!?)ですが、先になると「健康」とかでしょうか?その時、「私は私、他人は他人」と思えるかどうか。

人との比較をしている限り、いつまでたっても同じことの繰り返しです。どこかで、「自分に在るもの、自分には無いもの」を冷静に見据え、それを受け入れて、そこからどうするか? それだけを考えて一歩一歩歩いていく必要が出てくる時期がくるはずだし、来るべきですよね。

「ウチはウチ、よそはよそ」が「私は私、他人は他人」にならなくてはいけない。

私は、実はこんなこと書いていますが、すぐ人がうらやましくなってくるんです。無いものばかりと凹むことも多く。。自分の持っているものに目がいかないんですね。

でも、そんな時には、最近「ウチはウチ、よそはよそ!!」という母の声がどっかから飛んでくるんです。

ということで、娘が大人になったときに、私の「ウチはウチ、よそはよそ!!」という声がどこかで聞こえてくることを夢見て、この声掛けをしています。

時間が取れるときには、「自分が持っているものは何か?」「他の子が持っていないもので自分が持っているものもあるのではないか?」「持っているもので何か工夫ができないか」なんかも一緒に考えてもいいかと思います。

溢れる欲望のコントロール、大人になってからもなかなか難しいものですが、一歩引いて、立ち止まれるようにしてあげたいです。

ゲーム機

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