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2019.04.07


藤原さとです。

先月、マインドフルネスを初体験(!?)しました。教えてくださったのは、チベット仏教の僧侶であり、医師でもあるDr. バリー・カーズィン。ダライ・ラマ法王第14世から比丘の戒を受け、医師としても現在も法王を始めとする高僧の方々の医療的ケアを行っているそうです。

正直今までマインドフルネスという言葉にあまりピンと来ておらず、食わず嫌いだったのですが、Dr. バリー・カーズィンのプログラムは昨年から受けてみたいと思って、タイミングを見ていました。ここで教えていただいた「慈悲の瞑想」から学ぶことがとても多く、書き留めておきたいと思います。


【慈悲と苦しみ】

人に優しく、思いやりを持って、というのは小さなころから学校でも家庭でも言われていることだし、できればそうありたい、そういった温かい気持ちの中で幸せに生きたいというのは普通にみんな感じていることでしょう。でも、どうやったらもっと思いやり深くなれるのか、どうやったら自分に対してひどい仕打ちをした人に優しくなれるのか、というようなことを具体的に教えてくれる人はいそうでいないものです。

Dr.バリーは、まず「慈悲」の心は「幸せになるように」「苦しみがなくなる」ことを願う言葉なので「苦しみ」と密接に関係すると言います。なので、「苦しみ」を理解することが重要になりますが、その苦しみは3つのレベルに分けられるとのこと。

1)身体的・心理的苦しみ (粗いレベル)

2)変化の苦しみ (中間のレベル)

3)真実を理解していないことによる苦しみ(微細なレベル)

1)の身体的・心理的な苦しみは、分かりやすいので説明は不要かと思います。2)の変化の苦しみは、自分は良く出来ていると思って良い気分になっていたのに、新たな情報によってそれが違ったことだと突きつけられる、というような日常のことから、近しい人と別れたりするなど様々なものです。これも、私たちは経験があるので、分かりやすいと思います。難しいのは、3)で自分が無知で、真理を知らないことから来ているものとのこと。仏教的に言えば、こうした苦しみは最も深く根源的なもので克服のためには、無知(無明)を克服し、空を認識する智慧を育むことが必要となります。そして、慈悲は私たちを真実への理解、真実に触れることへと近づけてくれるもの、となります。


【空とは何か、意識とは何か】

空を認識する智慧・・とか言われると、それだけでへこたれてしまいそうですが、モノの本質は全て「空」であり、「空」とはモノごとが私たちの頭の中や心の中で作り上げられていることを意味している(「幸せの処方箋」バリー・カーズイン P68)と言われれば、そうかもしれない、って思う人もいるかもしれません。

そもそも私たちは好き勝手に世の中を認識しています。卑近すぎる例で恐縮ですが、私自身アメリカ留学してはじめの2か月間あまりに大変で死にそうになっていたのですが、試験が終わった瞬間、瞬く間に景色が色づいて見えた、という経験があります。自分では認識していなかったけど、たぶん、私のはじめの2か月の視界はかなりグレーがかっていたのでしょう。さらに見えるものならまだしも、日々接する相手が何を考えているかなど、ほとんど妄想といっても過言ではありません。相手もそうだろうと思うと、よくこんな世界でなんとなく辻褄が合ってみんな生きているなぁ、と感心するくらいです。では、そんな混沌とした世界における「真実」「空」とは何なのか。

先の話に戻ると、「苦しみ」と「意識」も関連していて、一番荒いレベルの身体的・心理的苦しみや、変化の苦しみは、意識としても粗い言語や概念※で表され、思考が優位だが、その先のより微細な「苦しみ」のレベルに向かい、「真実」に近づこうとすると、それに合わせて「意識」もより微細なものにしていかなければならない、ということのようです。そして、そのために瞑想が有効、、となります。修行を続ける僧侶たちは、最も微細な意識レベルの「光明」というものを目指すらしいのですが、いずれにしても私たちも無知(無明)という眠りから少しだけでも覚めるための努力はしていくべき、なのでしょう※※。


【慈悲の瞑想】

上述の通り、「慈悲」とは「苦しみがなくなるように」と願うものなのですが、「苦しみ」を理解すると共に、慈悲の心をより広く持つことによって、人はより幸せになるとのことで、当日は色々ある瞑想のうち、「慈悲の瞑想」というものを教えてもらいました。

これは呼吸に意識を向けて、胸のあたりに「慈悲の光」を感じてそれを身体の中から光をどんどん大きくし、部屋へ、街へ、日本へ、世界へ、宇宙へと大きくしていくイメージをもつものでした。

慈悲にも段階というものがあって、第一段階は比較的だれでも持てる子どもに対する母親の慈悲、第二段階が慈悲を親しい人から無関係の人に広げること、最終的には自分の嫌いな人や敵にも広げていく、、というようにだんだんステップアップしていきます。

私自身は、はじめての瞑想ということもあって、やっぱり集中が途切れがちなのと、困ったというか、ショックだったのが慈悲の心があまり大きくならないうちに止まってしまったことでした笑。いずれにしても、この日一番の学びは、私の慈悲の心が貧弱で弱いんだな、思い知ったことと、そもそも「慈悲」が何か、「慈悲の心を育てる」というほうに私の意識が向いたことにあり、非常に有益な一日となりました。


【慈悲の心と教育】

Dr.バリーはこうした思いやりの心を育てるのは、幼稚園からやって良いことだ、と言います。また、慈悲を身につける特別で一番簡単な方法は慈悲ある大人との共同生活から生まれると、教育にマインドフルネス、慈悲、倫理を取り入れていくことを強調しました。

日本では宗教を持つ学校に通うわけでもない限りこうしたことに触れる機会は極めて少ないので、何等かの形であまり特定の宗教にとらわれない形で導入していければよいのに、と感じています。

アメリカではDaniel Goldmanが進展させたSocial Emotional Learning(SEL)の研究が進んでおり、1995年に出版された「Emotional Intelligence」はベストセラーになりました。私が昨年5月に訪れたサンフランシスコのNueva Schoolは、SEL導入の先駆けですし、同じタイミングで訪れ、深いインスピレーションを得たMillennium SchoolでもSELを実践しています(夏にSELの研修をします)。さらにオレゴン州ポートランドでは10の公立高校の内、8校にマインドフルネスのフルクレディットの授業があり、90分3回/週の授業があるそうです。この授業はOrgan Health Science Universityと連携して調査も行っており、自殺が減る、摂食障害に良い影響があるなどの結果が出ているそうです。Dr.バリーもSELのような学びが学校で広まることを願っており、SELにEthicsを加えたSEELというものを今度発表するそうです。

ちなみに、Dr.バリーのワークショップはこちらで受けられます。ティク・ナット・ハンのプラムビレッジ(日本)のほうでも4月28、29で教育者のためのマインドフルネスをやるそうです。

Dr.バリーが最初に仏教に出会ったのは、高校生の頃に鈴木大拙の本を読んだことがきっかけだそうですが、こうして日本にルーツのあるものが海外で先に広まり、逆輸入されないとスタートもできないのかと思うと、ため息が出なくなくもないのですが良いものは良いわけで、日本でも広がるお手伝いができればと思っています。



※ここでいう概念は、どうやら「見えるもの」ということのようです。間違っていたらごめんなさい。概念型探究の世界では、概念は「Con(共に)」「Cept(捕まえる)」ものであり、動的なのですが、もっと静的なもののようです。

※※「空」については、以前のブログで少し触れました。私にとっての「空」は故佐藤初女さん。初女さんの姿と在り方から私は「空」を少しずつ理解するようになっています。また、少し前に読んだジェイムズの「プラグマティズム」は私の「空」の考え方に彩りを添え、苦手だったイデア論や目に見えているものは影であるという感覚を手触りをもって感じることが出来るように導いてくれました。そして、私に「色即是空」「空即是色」を教えてくれる人がいます。人との出会いによって私は学びます。ありがたいことです。


<参考文献>

「チベット仏教からの幸せの処方箋」Dr.バリー・カーズィン(オープンセンス)

「ブッダの<気づき>の瞑想」ティク・ナット・ハン(新泉社)

「ティク・ナット・ハンの般若心経」ティク・ナット・ハン他(新泉社)

「ティク・ナット・ハン詩集 私を本当の名前で呼んでください」(新泉社)

藤原 さと