こどもの野心と親の野心

さとです。 こんにちは。 今日はこどもの野心をどう養うか、について書いてみたいと思います。

子供に「野心」を持たせたい。そう思っても、どうやったらいいのか、なかなか難しいものです。

卒園式のアルバムに、娘は将来の夢として「病院の院長になりたい」と書いておりました。

でも、昨日の卒園式では、卒業証書を手に持って、「パティシエになりたいです♪」と宣言していました。

昨年の七夕には、「お肌がつるつるになりたい」に併せて「生徒会長になりたい」とありました。。

これは一見「野心的回答」ですが、一言で言うと、全部「みんなが素敵だと思うこと」になりたいと言っているだけですよね。

本人からしてみれば、興味もないし、なんでこんなことを大人は聞くんだろうと思いつつ、適当に答えているだけかもしれません。

さて、、こういった「自分がなりたいもの」と「野心」はセットになって、頑張りに結びつき、結果につながるのだと思いますが、

そもそも「野心がどこから来るのか」について、ある本を読んでいたらこんなフレーズにぶつかりました。

「つきつめれば野心とは自分の親を喜ばせようとする試みである」

自分を振り返ってみると、どれだけ自分が親に好かれたいと思って行動してきたかを思い知らされます。

-親が成績が良い子を望めば、子供はその期待に応えようとする。

-親がどの分野でもまんべんなく良いパフォーマンスを出すことを期待すれば、子供も頑張る。

-親が、世間的成功を望めば、子供は失敗を恐れるようになる。

-(でも)親が、人と違うことを望めば、子供は違うことをしようとする。

そして、「親の願い」は社会人をして何年も経ち、いい年になった私でも、私を縛ります。

私は今でも、失敗が怖い。なぜかというと、失敗した姿を誰でもない、親に見られたくないから。

子供からみれば、わたしなんていい年のおばさんなのでしょうが、おばさんになっても私は母のことが大好きで、母に認められたくて、ほぼそれだけで人生を生きているような気がすることがあるんです。

最近私は、自分が自覚している以上に、母を向いて生きていた、と思うようになりました。

加えて、母親が何気なく言ったことを勝手に拡大解釈して、自分を制限してしまっていたとも思います。母にしてみれば、「そんなつもりで言ったんじゃないのに、そんなに真に受けないでよ」くらいな感じかもしれません。

実際私の母は、とても保守的で私が海外に出ることも大反対だったし、品の良い女子大を出て会社経営者の妻になり、子育てに専念するのが一番だと公言して憚らない人でしたが、結局それに反発して、全然違う道を歩んでいる娘を見ても、結果オーライなれば、「そういうのもいいわね」くらいで、至って大らかなのです。私の若き日の葛藤はなんだったのか・・・。私が未だに失敗したら母に怒られると思っているのも単なる妄想なのかもしれません。

「親の自覚」と言いますが、要はここなのかな・・思います。自分の顕在しているもしくは非顕在の望みが、自分が思った以上に子供に影響を与えることの自覚を持つこと。子供は親に愛されたい気持ちがあまりに強いので、口では「野心を持て」「失敗していいよ」と行っていても、心の奥底で「失敗しない無難な人生でいい」と思っていれば、それを読み取ってしまうので、それに気づくこと。

結局親自身が自分の影響力を自覚し、マインドセットを変えていくことしかないのかもしれません。

娘の卒園式で思ったことでした。

140314 卒園式

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