デンマークの「生のための学校」フォルケホイスコーレってどんなところ?(インタビュー)



藤原さとです。朝などは少し暑さも和らいできたでしょうか。

さて、名前だけは知っていたけど、この数ヶ月気になって仕方がなかったフォルケホイスコーレ。フォルケホイスコーレはデンマーク発祥で「人生の学校」とも呼ばれる、17歳半以上ならだれでも通える教育機関です。人生の中で立ち止まり、生徒と先生が共に暮らしながら共に対話しながら学ぶ場所で、北欧に150校、デンマークに70校あるそうです。

フォルケホイスコーレ運動をはじめたグルントヴィは「デンマーク近代教育の父」「成人教育の父」とも呼ばれています。この人物の詳しいことはまたと思っていますが、北海道東川町へ移住し、「日本にフォルケホイスコーレをモデルにした人生の学校を作ろうプロジェクト」と株式会社Compathを立ち上げた 安井早紀さん、遠又香さん、にフォルケホイスコーレのお話をうかがいました。

 

安井早紀さん、遠又香さんは、3年前にフォルケホイスコーレを訪れた時に、人生の寄り道のような豊かな時間に触れ、この時間が社会で許される寛容さに感動したそうです。物語が対話を通して交差して学びが生まれていく空間。そして”民主主義”のあり方を育む場所としてのフォルケホイスコーレ。

Compathという名前は、旅のお供の方位磁針コンパスの”人生の旅のお供”という響きに、綴りを文字って造語。com(共に)path(歩む小道)という語意を込めたそうです。

人生の寄り道、
共にはじめること、
境界を越えて共につくること、
手をつなぐこと。

では、インタビューをスタートします!



藤原:
お二人は一緒にフォルケホイスコーレを立ち上げられますが、もともとどこで知り合ったのですか?


安井早紀さん(以下敬称略):
大学が一緒でした。慶応大学だったのですが、学部生や大学院生、社会人が混ざり合って対話と議論をする福沢諭吉記念文明塾というのがあって、そこで一緒でした。その時はそこまでの仲ではなかったのですが、社会人5年目くらいの時、(遠又)香が外資系コンサルティングファーム、私が人材系企業に勤めていて、両方もバリバリの会社だったわけですが、「マッチョでなんだかちょっと疲れたね。」みたいな話になりました。「このまま私は人生やキャリアを進めていっていいのだろうか?」というモヤモヤを抱えていました。香も、そうだったかしら?


遠又香さん(以下敬称略):
そうですね。外資系企業の前は教育系企業でその時よりも競争が激しかったし、「ああ、この人には絶対に追いつけないな」と思うこともありました。仕事は楽しかったのですが、とても忙しく、結婚したタイミングで犠牲にするものも多く、家族を大事にするイメージが持てませんでした。そんな中で、どう仕事に向き合えば良いのか、悩んでいました。

 

藤原: 今、中高生たちと社会を接続するプロジェクトに関わっていて、ネクストステップをどうしようかという相談をちょうど昨日していたのですが、その時にも、「今の社会、そして企業はマッチョ過ぎる」という話が出ました(笑)。中高生と社会を接続することは問題ないのだけれども、今、どうしても企業は「勝つ」ことを求められています。その価値観を中高生にそのまま求めるのであれば、それってどうなんだろうと。学校でも「勝て」と言われて、社会人からも「勝つ方法」についてレクチャーされるのでは、逃げ場がなくなってしまうのではないかと。

勧められた「生のための学校」(清水満著)という本を読みました。当然「勝つ・負ける」の価値観とは対極の教育ですが、痺れました!グルントヴィ(フォルケホイスコーレの創始者)の生き様ももちろんですが、対話を中心に生そのものを学んでいくこと、つまり「生きた言葉で語り合う」ということにとても共感しました。フォルケホイスコーレの存在はいつ知ったのですか?

 

安井: 3年前(2017年)に二人とも同じタイミングで少し長めのお休みをとることができたんです。その時に、旅をしよう!となりました。教育視察の旅とは思っていて、バリのグリーンスクールや他の選択肢もあったのですが、その中の選択肢の一つがフォルケホイスコーレでした。


遠又: 
たまたま共通の知り合いがフォルケホイスコーレに行っていたこともあって、そこに決めました。

 

安井・遠又:そこで、2つのフォルケホイスコーレを視察しました。一つはノーフュンスという福祉系の学校で、千葉忠夫さんという日本人がはじめて作られた学校でもありました。年齢層も高めで、おじいちゃん、おばあちゃんもいました。アルコール中毒などの問題を抱えた人が回復していく過程で通うことも多いし、福祉を学びたい人やさまざまな人たちが学んでいました。もう一つはブランビアというフォルケホイスコーレでそちらは年齢層も18歳から29歳と若く、大学入学までのギャップイヤーを使ってきていたり、大学の専攻を変えようと大学を休学している学生が中心でした。


(写真:ブランビアフォルケホイスコーレの様子)



藤原: 
フォスケホイスコーレのどんなところが刺さったのですか?


安井: 
私が個人として魅力に思ったのは、「人生で立ち止まり、自分と社会をよりよく知る時間」が持てることでした。日本だとつねに走らされていて、自分のことをしっかり振り返る時間がないけれども、こういう時間こそ今必要なのではないかと。また、フォルケホイスコーレの大事な理念に「民主主義」があるのですが、日本で民主主義というと、選挙や政治のことになってしまいます。でも、彼らは民主主義は家族や職場の中にもある日常であるという考え方をします。自分のことをしっかり振り返った上で、一人ひとりが自分らしく社会に働きかけることができたらいいのに、と思いました。


遠又: 
「そもそも人はでこぼこでさまざまな個性があるのだから、その人の可能性を信じきって、不完全でもよいからその前提でアップデートする社会があってもいい」という考え方に触れた時、「本当にそんなことができるんだ!」「そうやって私たちが社会システムを作っていいんだ!」と思えたことは本当に衝撃でした。そうだとしたら私たちの小さな問いから社会は変わることができるかもしれない。問いという一歩を踏み出す余白のような場を作ってみたいと思うようになりました。


藤原: 
場所は北海道の東川町でスタートしました。なぜ東川町にしましたか?


遠又: 日本と一口に言っても、人口も多いし、その内容は多様。なので1−2年前くらいからあまりあれこれ考える前に、場所を探してみよう、となりました。そこで色々な人に面白い場所がないか聞いていました。ある時、北海道の大雪山の麓にある東川町で養鶏をやっている新田さんご夫妻と出会うのですが、話してみたら、20年前に反原発の考えから、フォルケホイスコーレを訪れていたことがわかって。その時は、色々な人たちからフォルケホイスコーレみたいなものは日本ではできない、と言われていた時期だったのですが、初めてこの世代の人に「それ、いいね。」って言われたんです。新田さんは、自分の幸せと東川町の幸せ、地球人としての幸せがきちんと繋がっていて、こういうふうに、フォルケホイスコーレの考え方を体現している人がいるんだなぁ、と思いました。新田さんから町のさまざまな人を紹介してもらったのですが、面白い人ばかりで。人々の中に町のシステムを作り上げようという気持ちがあり、ここだったらフォルケホイスコーレが成立するのではないかと感じました。さまざまな人との繋がりの中で、今年の2月に町長にプレゼンをする機会をもらったのですが、その時に「八千人の中で二人そういう考えを持つ人がいるならいいんじゃない?」と。これまたとても民主主義的な考えから、事業をサポートいただけることになりました。


(写真:東川町は大雪山の麓にあります)


藤原:
 フォルケホイスコーレの民主主義の捉え方、一人ひとりが社会システムを作り上げていくということ、特に「問いを持ってアクションにつなげる」という考え方はとても魅力的ですね。私たちのほとんどは、現実社会を捨てて山に篭って仙人になるということはできない。そうなると、ままならない現実社会と交渉しつつも、なんらかの活動をすることによって閉塞感を切り開いていくというようなことは、人が自由になるためにも不可欠ではないか、というのは私も強く感じています。ちなみに「問い」ってどうやって捉えていますか?人生の問いって、そんなに簡単に見つからないのかな、と。


安井:
 これが問いでこれが問いではない、とかはあまり考えていないかもしれません。たとえば、昨日友人が「だんだん私が私らしくなくなっているような気がするんだけど、それって本当かな?」と言ったんですけど、それだって充分に問いではないかと。タイミングによって大切な問いは変わってくるかもしれない。また、自分の問いは他の人にとって大事ではないと思い込んでいるケースはよくあると思うのです。そういう時に、問いそのものを大事にする場があるといいのではないかな?と。自分の問いを思い切って外気に触れさせた時に、その問いを一緒に愛でてくれる人がいたら、素敵だな、と思っています。

 

遠又: 「問い」もそうだけど、どちらかというと、日々忙殺されていることに対する懸念を持っています。ゆったりとした時間や非日常の中で自分の言葉が愛でられる、という体験を重要視したいと考えています。


藤原:
 そうだとすると、対話も志向性をもっているというよりも、もっと違うアプローチをしているかんじかしら?


安井:
 まだまだ実験的、なんですけど、なんらかの目的を置くというよりは、緩やかな環境の中で、自分はもしかしたらこんな前提をおいてしまっていたのかもしれない、というようなことに気づくというようなことができたらと思っています。そういう意味では自分を知る、というような方向性はなんとなく持っているかもしれません。


遠又:
 もう一つ。私たちは紛争解決ファシリテーターのアダムカヘンの本を参考にすることがよくあるのですが、彼は著書内でLove と Powerはどちらも重要であると言っています。受容や愛だけでは全てを解決することはできず、社会システムのためにコンフリクト(争い)やストレッチ(少し難しいことに挑戦すること)が必要な時もある、と考えています。一旦「愛でられ」たら、次は「対話」でパワーを発揮していかなければならないのかもしれないと思っています。


安井:
 Loveといっても、自分のことを開示するにも勇気はいるし、責任や痛み、面倒臭さというようなものを超えてでも一緒に何かを作り上げていくことも必要。


遠又:
 人と考えが違う場合、自分の思いだけを伝えてもうまくいかないのだけど、そういう経験を私たちは積めていないので、そこは一緒に作り上げていきたいと思っています。



(写真:安井さん(左)と遠又さん(右)デンマークにて)


藤原:
 さっき、少し「時間」の話がでたけれども、「時間」を整えることって大事だ、という感覚はありますか? フォルケホイスコーレに来る、という判断をする時には、そもそも自分の「時間」をどうやって使うのか、という判断が必要な気がします。


安井:
 そうですね。昨今は時間を大事にできていない、ということについての葛藤すらなくなっているように思います。前職時代に新卒採用に関わっていたのだけど、誰よりも早く、より上に登ることが成功だと思い込まされて、就活偏差値に振り回される子たちがたくさんいました。そして、面接で受け入れられるための鎧を纏った自分を見せて、それっぽい言葉で未来を語る。でも、本当の心の声を聴いてくれる大人がいないし、そんな時間が許されていない仕組みだからしょうがないんです。こうやって、「他の誰かになること」を求められて入社すると、自分に嘘をつき続ける。その結果心が追いつかなくなってしまう子をたくさん見てきました。でも、都会を離れて、島根に移住してみたら、ぜんぜんそういうものさしで生きていない子がたくさんいて。そして「君たちは自分のペースで人生を生きている」って大人はその子たちを称えるんです。どっちも大人が作りだしてるのに、なんだかちょっとずるいですよね。


遠又:
 みんな違っていい、という前提が本当は必要なのだけれども、日本は結婚の時期までこのくらいが望ましいというような暗黙知がある。こんな閉塞感のある社会ってなかなかないのではないかと思ってしまう。いつから社会がペースを決めるようになったのだろう。


藤原:
 わたしたちは、なぜかゴールがあると思わされていて、しかもそこに早く到達するのが優れたことだと言われているけれど、早く到達してなんなんだろう?と、思い当たる必要はあるかと思います。また、勝って、勝って勝ちまくった先に幸福なんてないのは明らか。ちょっと立ち止まって考えれば済むことなのにそれができないというところに社会の闇がありますよね。私たちはなんのために生きているのか、改めて考える必要があるように思います。フォルケホイスコーレでは「生きている言葉」が大事、とのことですが、どのように大事にされているのでしょうか。


安井:
 フォルケホイスコーレ、そしてデンマークの教育者にはOplysning(オプリュスニング)という言葉があり、「一人ひとりが心に灯りを灯し、その灯で互いに照らしあうこと」という考え方をとても大事にしており、その「一人ひとりの灯を灯すことが教育者の役目」と捉えていました。それが「生きている言葉」につながるかもしれません。


遠又: 
フォルケホイスコーレの思想では、だれしも灯りを持っていると本気に思うことが大事なのだけど、それは自分で自分の灯りが大事と思うだけではなく、みんながそう思うことが大事で、自分の灯りを人がみつけてくれることも大事にされています。


安井:
 グルントヴィは、「あなたには生きた言葉がある」というその一言だけで教育改革をしてきた人です。宗教家であり哲学者なのだけど、当時の農家の人たちは自分たちに価値があるなんて思っていなかったところに、彼らに宝を見出し、「生きた言葉」を与えた人。今の日本では、それが農民ではなくて、サラリーマンなのかもしれない、と感じます。


藤原:
 たしかに自分の価値って、自分ではわからないことが多い。それに加えて、今の時代は「違う自分になれ」と常に言われ続けるわけで、そこで、「あなたにも価値(灯り)がある」と言ってあげることはすごく大事なことなのかもしれない。


安井:
 そうなんです。そして、最後はその価値を社会に還元するということにもフォルケホイスコーレはとても大事にしています。単なる自分探しではなくて、社会へ寄与するように促していくことになるんです。デンマークだって理想卿ではないので、大変なことだってあります。そうした現実の中ででも、やっていけるようなマインドセットや力のようなものを蓄えることが、compathです。将来的に立ち上げる3ヶ月や半年のプログラムで、そうしたことができるようになっていけばと思っています。


藤原:
 今年一年のプランはどんなかんじですか?


安井・遠又:
 ショートコースをいくつか始めています。まず、「森100年、人100年」のコースを9月に開講します※。その後、「東川町を見つめる」写真の町と言われているので、それとアートを連携させたプログラムや、大雪山の麓にあるのでその食にかかわるようなものも考えています。新型コロナウイルスの件が落ち着いたら、本場のように春夏秋冬で3ヶ月程度のものをやっていきたいのですが、まずはできることから今年はやっていきます

(写真:「森100年、人100年」コース内容)

 

藤原: お話をお伺いして、ますます意味のある活動だと感じました。頑張ってください!これからもどうぞよろしくお願いします。


※秋のショートコースはこちらからの申し込みで、申し込み期限が9月6日(日)だそうです。今の時点で残り3枠のみとのことで、もし埋まってしまったらすみません。



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