home > Blog > 藤原 さと > こどもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?(2)

前回ご紹介した「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」おおたとしまさ編(日経BP社)ですが、

まず、前提としてどんな子どもに対しての答えにもなるものを考えたいと思います。

子どもにはいろいろな子がいます。勉強が得意な子もいるでしょうし、スポーツが万能な子、ゲームが得意な子、病気やハンディキャップを抱えている子、セクシュアルマイノリティーの子もいるでしょうし、感受性が鋭くて人の気持ちを強すぎるほど受けてしまう子もいるでしょう。そうしたみんなに対しての「勉強」は汎用性をもつものであってほしいと私は思っています。

そうした中で私の出した答えは以下の2つです。

1)「コミュニケーションの基盤を築く」ために勉強をしたほうがいい

2)「自分を知るため」に勉強をしたほうがいい

「コミュニケーションの基盤を築く」については、坂東眞理子先生が、とてもわかりやすく書いてくださっていました。

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「人と人との関係は共通の言語だけでなく、共通の知識がコミュニケーションの基盤になります。そして自分の中にいろいろな引き出しがある人ほど共通項が見つけやすくいろいろな人とコミュニケーションを取れ、共感できるようになります。音楽や美術のような、一部の人が趣味でやっていればいいのではないかというようなことまで学校で習うのは引き出しを多くするためです。(中略)コミュニケーションの基礎となるのは共感力です。そのような素地があってこそ信用を得たり、力を合わせて仕事を成し遂げたり、愛する人と出会ったりして自分の人生を豊かにすることができるようになります。」

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そしてもう一つ、勉強の便利な点は、「自分を知るための強力なツールとなる」ところです。

「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」に出てくるような人たちは、早期に自分の能力を発見し、そこに向かって自分のリソースを集中投下させた方が多いようで、逆にそこに注意を払っている方が少なかったような気がします。しかし、多くの人にとって、「自分を知る」「自分を客観的に把握する」という作業はひと仕事です。

想像するに天才は、自己の中から突き上げるような衝動があるのかもしれませんが、そうでもない場合、自分を知るには、まず行動すること、色々試してみることからはじめるしかないように思います。そうしながら「音楽をやってみたら楽しい」「私は計算をしていると退屈してしまう」「人助けをすると嬉しい」と感じる。そこがスタートではないでしょうか。ただ、「得意」「不得意」については留意が必要で大人のサポートが必要かとは思います。理由は簡単で、「得意」「不得意」はあくまで自己相対評価なので、属する集団のレベルが高いか低いかによって、間違った判断になる可能性が高いからです。

私は、教育とはその時代その時代にあった生き抜く力(スキル)をつける職業訓練のようなものだと思っています。たとえば、江戸時代に武士のうちに生まれた男の子だったら武道を習ったり、農家の家に生まれたら、植物の育て方を習ったでしょう。それと基本は変わらないのではないでしょうか。たとえば今の時代であれば、「非常に多様な沢山の職業選択ができる」しかも「変化のスピードが早くそれがどのような職業なのか見通しがつきにくい」が社会の特徴なので、それにあった勉強が必要です。

もし将来の不確実性が増せば、それだけ分かりやすいスキルだけではなく、根本的なコミュニケーション能力、自分を知る力、ポジティブに窮地を乗り切る精神力などが必要になると考えます。

皆さんはいかがおもわれるでしょうか。

さと

藤原 さと