世界で一番成功した音楽教育とは?ーエル・システマとホワイトハンドコーラス

5月末に鈴木款著『音楽の見える瞬間ーホワイトハンドコーラスNIPPONのきせき』(アルテスパブリッシング)が出版となりました。「ホワイトハンドコーラス」とは、音の聞こえない人も、手話をまじえながら、自分たちで考えた表現(手歌/しゅか)で、音楽をパフォーマンスすることができるものです。

この本の出版に先立ち、私は著者の鈴木さんにホワイトハンドコーラスの存在を教えていただき、3月中旬にはじめて練習現場を訪れました。四ツ谷駅から歩いて五分程度のところにある施設では、子どもたちが、やなせたかしさんの合唱曲のパフォーマンスをしていました。聴覚障害のある子たちはもちろんのこと、視覚障害、知的障害があったり、車椅子ユーザー、障害のない子もいます。いずれにしても、一番驚いたのが、そのクオリティの高さです。

声隊といって実際に歌唱するメンバーと、サイン隊といって、白い手袋をして手で歌の表現をするチームがいます。サイン隊の子は、やなせたかしさんの「ひざっこぞうのうた」や「オランウータン」などの曲に併せて、さまざまな振り付けを考えながら行っていて、ミュージカルと合唱の間のように感じました。ちなみに、ホワイトハンドコーラスNIPPONはやなせたかし文化賞を2025年に受賞しています。(オランウータンの歌は、ホワイトハンドコーラスのものではありませんが、こんな合唱曲です)

 

トレーナーとなっているのはプロの声楽家。指導もしっかりされており、みんなの声も本当に美しく、「障害者」のためのレクリエーションや福祉活動ではないことがはっきりと見とれました。

 

わたしたちは、「すべての子どもが子どもたちの中で育つ世界を」をミッションに、FOX プロジェクトというインクルーシブ教育のプロジェクトを進めています。アプローチは、「モデル」「システム」や「フレームワーク」の構築や分析というよりは、障害のある人もない人も、民族や人種、認知的な違い、性のあり方が違っていても、一緒に”何かをすること”によって「ともだち」になろうという「ともだちプロジェクト」です。ホワイトハンドコーラスはまさにこうしたFOXプロジェクトの考え方と響き合うものだと感じて、その日は帰ってきました。

 

【エル・システマ/ホワイトハンドコーラスとは何か】

 

音楽や芸術が多様な背景のある私たちを繋げる非常に強い力があることは以前からひしひしと感じていました。一方で、「ホワイトハンドコーラス」は恥ずかしながら知りませんでした。ホワイトハンドコーラスは、グローバルレベルでの、音楽教育のモデルともなるものであり、大きな可能性を感じましたので、こちらでもメモを共有しておきたいと思います。(詳細は本をお読みください)

 

まず、「ホワイトハンドコーラス」は南米のベネズエラで生まれました。ベネズエラといえば、南米の中でも政治・経済の不安定さが目立つ国の一つです。とくに2010年代以降は深刻な経済危機や物資不足、インフレ、貧困、国外流出が大きな社会問題となっています。今年の1月に、トランプ政権が電撃的な軍事作戦により、ベネズエラのマドゥロ大統領を拘束したことを覚えている人も多いでしょう。

 

私は、2014年夏から2017年夏までの3年間、アメリカのテキサス州に済んでいましたが、いつかベネズエラのエンジェルフォールを見に行きたいと思っているあいだに、マドゥロ政権を批判する大規模デモが現地で行われるようになりました。そのため、ベネズエラ行きを断念し、かわりにペルー、ボリビアに行き先を変えました。2017年の大規模反政府デモでは、娘のベネズエラ人のテニスコーチの”brother”がデモで亡くなりました。また、同年、アメリカでは第一次トランプ政権がスタートしており、米国ビザを失い、強制的に帰国しなければならなくなったベネズエラの人たちは取り乱していました。

 

そんなベネズエラですが、家族のうちの誰かが楽器が弾けるような、豊かな音楽文化があるそう。ホローポや、クアトロ、ガイタを知る人もいるかもしれません。そんな音楽の土壌のもとに、1975年、音楽家、経済学者、教育学者、戦略家など複数の顔をもつホセ・アントニオ・アブレウ博士が、犯罪や貧困の連鎖に巻き込まれる子どもたちを救おうと立ち上がって創設したのが、世界に名だたる音楽教育プログラムのエル・システマ。

 

エル・システマは、「すべての子どもたちに音楽を平等に与える」という理念をもち、子どもたちに無償で音楽教育を行うプログラムをスタート。それまで音楽教育は、経済力がある層に限られていましたが、今、エル・システマの子どもの約7割は、貧困層。子どもたちは音楽を通じて、規律・尊重・調和、そして自分が愛される存在であることを学んでいきます。2021年に、エル・システマはベネズエラ教育省と協定を結び、全国に音楽教育を展開できるようになりました。

 

エル・システマ出身の有名な音楽家の筆頭といえば、なんといっても世界的指揮者のグスターボ・ドゥダメル。バルキシメト出身のドゥダメルは、エル・システマで頭角を現しました。創立者のアブレウ博士は、自ら指揮を彼に教えます。ドゥダメルの軌跡は映画『ビバ・マエストロ』で見ることができます(DVDで見ましたが、無茶苦茶おすすめです)。18歳のときには、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの音楽監督になり、2004年にドイツのグスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝し、国際的に一気に注目されます。2017年、35歳のときには、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで史上最年少で指揮、ロサンゼルス・フィル、フランスのパリ・オペラなどで音楽監督をつとめ、今年9月からはニューヨーク・フィルハーモニックの音楽・芸術監督に就任予定のまさに天才です。(ドゥダメルについては、こちらのyoutubeがすごくわかりやすいので是非)

 

ホワイトハンドコーラスは、エル・システマの特別教育プログラムとして1995年に創設され、現在、5つの州で活動をしています。コールドプレイのFeels Like I’m Falling in Loveのミュージックビデオでは、ホワイトハンドコーラスのサインがフィーチャーされ、ホワイトハンドコーラスのメンバーも出演しています。

 

また、ホワイトハンドコーラスからは、視覚障害者を中心とするヴォーカル・アンサンブルグループ「ララ・ソモス」が生まれました。こちらのビデオも素敵なので是非

 

【ホワイトハンドコーラスが日本でスタートした経緯】


『音楽の見える瞬間』では、そんなエル・システマ、およびホワイトハンドコーラスの日本導入の経緯が詳細に書かれていますが、偶然が重なり合い、導かれるように現在に至っているストーリーが心に響くものでした。

 

エル・システマが日本にやってきたきっかけは、2011年の東日本大震災。ベルリン・フィルが復興支援のコンサートで来日したときに、メンバーの一人が「エル・システマを日本でも」と、緊急支援コーディネーターの菊川穣さんに提案したことだそう。菊川さんは、「日本にはとてもめぐまれた音楽教育の環境がある」からと導入に懐疑的でしたが、なんとドイツ現地の勘違いで「日本にエル・システマが立ち上がった」と発表され、すでに寄付も集めることになっているとの連絡を受けます。後にひけなくなった菊川さんは、覚悟を決めて、エル・システマジャパンを創設、相馬市の小学校の支援からスタートし、ベネズエラから講師を招いたワークショップなども開催するようになります。

その活動が広がる中で、ホワイトハンドコーラス日本版の構想がでてきて、そこに関わったのが、声楽家のコロンえりか(以下コロン)さん、「日本ろう者劇団」の井崎哲也さん。現在、コロンさんはホワイトハンドコーラスの芸術監督、井崎さんは、サイン隊の講師、手歌監修をしています。

 

コロンさんは、作曲家であるベルギー人の父(エリック・コロン/ベネズエラ国立音楽大学元学長)と声楽家の日本人の母との間にベネズエラで生まれました。10歳のときに内戦が勃発し、一家は日本に脱出、日本で教育を受けるようになります。学生時代、東京都内のろう学校に教育実習にいったときに、耳が聞こえないはずの子どもたちが、コロンさんの歌で表情が変わり、「聞こえない子どもにとって音楽とはなにか」ということを問い直すことになったそうです。

 

エリック・コロン氏は、アブレウ博士と同期だったことから、エル・システマの設立に関わっていました。コロンさんもエル・システマについて調べる中でホワイトハンドコーラスの存在を知り、「これだ!」と思います。コロンさんは、2013年、父が作曲した「被爆のマリアに捧げる賛歌」のコンサート企画で「ろう者とともにステージをつくりたい」と井崎哲也さんを訪ねます。コロンさんの歌声を聞いた井崎さんは協力を承諾、一緒に手歌をつくることを含め、活動をともにしていきます。

コロンさんの歌




2015年には、ベネズエラからエル・システマのツアーが来日、2017年には、来日したドゥダメルにコロンさんが日本でホワイトハンドコーラスをはじめたことを報告。ドゥダメルは、「いつかベートヴェンのオペラ<フィデリオ>を一緒に」と語り、コロンさんは、<第九>をやりたいと応じました。

 

【ホワイトハンドコーラス、ウィーンで<第九>を歌う】

 

手歌(しゅか)は、手話とは違います。当初は手話歌だったのですが、翻訳を工夫するうちに、新しい表現(手歌)だと感じるようになったと井崎さんはいいます。サイン隊に声隊が加わり、サイン隊の表現力も格段にあがっていきます。

 

声隊の講師をつとめる中坂文香さんは「知的障害のあるメンバーは楽譜を読むのではなく、耳で聴いて覚えるのですが、その記憶力がすごいのです」「ホワイトハンドコーラスが世界のさまざまな人に訴える力をもつには、”障害のある人ががんばっている”ではなく、芸術としての価値、芸術性を高める必要があります。同時に誰もが無償で参加できる活動である以上、そこから得られる充実感もたいせつです」と語ります。

 

このプロフェッショナリズムと緊張感が、まさに私が3月に練習場所にお伺いした時に感じたことでした。現場が「福祉」っぽくないのです。障害があるから80%、50%でいいという話ではなく、全ての人(子どもたちが)自分の100%、200%を超えようとする様子に心を動かされるのです。鈴木さんも、「芸術としての価値を高めつつ、誰もが安心して参加できる場を保ちつづけること。その両立がホワイトハンドコーラスの活動に託された使命なのだ(p117)」と書かれていますが、まさにこのことは公教育、そしてインクルーシブ教育の根幹にあるものではないでしょうか。

 

こうした、真摯な活動は、実を結んでいきます。国連障害者権利条約にもとづき2008年にスタートしたゼロ・プロジェクトにおいて、2024年2月、国連ウィーン事務局で「ゼロ・プロジェクト・カンファレンス2024」が開催されました。ホワイトハンドコーラス NIPPONは、ゼロ・プロジェクト・アワードを受賞し、75人のコーラスメンバーがオーストリア国会議事堂と、国連ウィーン事務局でパフォーマンスをします。

 

以下のビデオは、2月20日にオーストリア国会議事堂で行われた特別コンサートの様子です。

 

このウィーンでのパフォーマンスの詳細については、是非本を読んでいただければと思いますが、上のビデオの冒頭で歌われた<にじふらい>の曲は、コピーライターの米村大介さんが練習風景に感動して一挙に歌詞を書き上げ、サイン隊が手歌をつけ、その手歌を見て、上田真樹さんが作曲した、メンバーみんなが大好きな歌だそうです。とても素敵なので、聞いてみてください。

 


【音楽のつなげる力】

 

話が変わりますが、3月から4月にかけて、私は、エドワード・サイードの本を次から次へと読んでいました。

 

サイードは、1935年にエルサレムでキリスト教徒のパレスチナ人として生まれます。1948年、12歳のときにナクバを経験し、当時カイロに住んでいましたが、エルサレムの家は接収されてしまいます。エドワード・サイードといえば、ポストコロニアル批評の代表的思想家と認識されていますが、平和のための活動家でもありました。サイードは若くしてアメリカに渡り、アメリカにいながらして、パレスチナ国民評議会の議員となり、パレスチナのための言論活動を展開していきます。

最終的にはアラファトと決裂し、オスロ合意を激しく批判するようになりますが、読書の中で知ったのが、サイードが1999年にバレンボイムと、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を設立したことでした。え!あのバレンボイムと!!!(無知とはこのこと)

 

世界的な指揮者でありピアニストのバレンボイムは、音楽好きの方なら知らない人はいないと思いますが(クラシックファンというほどではない私ですら好き)、ロシア系のユダヤ人で、祖父母の代にアルゼンチンに移住し、それから新生国家のイスラエルに移住しました。そのバレンボイムとサイードが一緒に管弦楽団を作るのです。(サイードも優れたアマチュアピアニストでした)

 

しかも、まさかの私も大好きな世界的なピアニスト、アルゲリッチとバレンボイムはアルゼンチンでの幼馴染で、アルゲリッチは、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団に何度も出演・共演しています。また、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団にはヨー・ヨー・マもゲスト出演しています。

 

この管弦楽団の名前は、ゲーテの『西東詩集』からとられています。ゲーテは、晩年にペルシアの詩人ハーフィズに強く感銘を受けてこの詩集を編みました。バレンボイムとサイードは、ゲーテ生誕250周年の記念の祝賀の一環として、ドイツのワイマールに、イスラエルとアラブの音楽たちを集結させました。今も、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団は続いています。

 

さまざまな過去を引きずり、本来憎しみあってもおかしくない人間が集まって、奏でられる音楽は、AIが作曲したものとは別格の意味があります。エル・システマ/ホワイトハンドコーラス、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のような活動こそが、これからの私たちの方向性を指し示すもののように思えてならないのです。

 

 


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