地域とともにある教育(2)ー奥能登を柔らかく良くしていく

昨年5月、震災の傷跡が大きく残る奥能登(特に珠洲市)を訪れました。金沢大学能登学舎をはじめ、当時まだ避難者の方が生活されていた飯田小学校(震災初日には800人超が避難)や、市内被災各地(飯田~正院~折戸~狼煙~寺家~蛸島~宝立)を巡り、最後に宝立町鵜飼にある本町ステーションを訪れましたが、中には水道復旧も不十分で、電気すら通っていないところもありました。瓦礫だらけの道も、倒壊した家屋もたくさんあり、撤去のクレーンはほとんど見ず、放置状態でした。(当時の訪問ブログはこちら

 

それから約1年間が経ちました。当時案内してくださった杉盛啓明さん(LCL本科3期生でもあります)と地域おこし協力隊として、2022年12月に家族3人で東京から移住した森田貴志さんと一緒に一ヶ月に一回くらいをペースに能登を訪れたメンバーとともに、オンラインのお話会を続けてきました。そのなかで今年に入ってから再訪するメンバーもいたのですが、今回私も縁あって6月17日・18日と珠洲市と能登町を訪れました。

「一緒にいきましょうよー」と誘ってくださったのは、お話会にも参加くださっている、横山弘美さん。2024年元旦の震災の6年前から能登のファシリテーションの学びの場に関わっていらっしゃり、震災後も何度も珠洲市、能登町の学校を中心に、授業やサポートをされてきました。横山さんはご両親が、石川ご出身。金沢に向かう七尾線の中で、お父様がお母様にひとめぼれされたとのことで、石川県は第二のふるさとなのだそうです。また、昨年度から準備を始め、今年度から「ていねいな復興のためのプロジェクト〜みんなでファシリテーターになろう」というホワイトボード・ミーティング®︎の体験会(JICA北陸・株式会社ひとまち主催)がスタートしていてその講師も務めています。日曜日は第2回目が珠洲で開催されました。

今回、田植えも終わって、本当に緑が美しく、解体撤去も進んで、街並みが落ち着いたものになっていました。美味しいご飯が食べれたり、お菓子屋さん、本屋さん、カフェなどだんだんとできています。鵜飼や大谷のあたり、そして道も橋もまだまだのところがあり、心が痛みますが、奥能登の素晴らしさに触れる人たちが増えればいいのにな、と思いました。

昨年伺ったときには、「なんて美しい場所なんだろう!」と思いつつも、どうしても震災の傷跡に目が行ってしまいましたが、今回あらためてこの土地のもつ力のようなものを感じました。漁業、農業、酪農、塩田、酒造が小さな地域に集まっていて、顔が見える関係をつくることも可能です。実際に多様な一次産業、景観、祭礼文化などが総合的に評価され、「能登の里山里海」として世界農業遺産に認定されています。しかし、高齢化も進み、日本の一番美しいところも課題も凝縮されたような奥能登。記録に残しておきたいと思います。

<1日目:田んぼの風景ーすずなり食堂ー正院小学校ー能登町へ>

能登空港からバスに乗って、道の駅すずなりまで一時間ほど。バスの窓から見えるのは、田植えを終えたばかりの一面の田んぼ。光をまとった緑がとても美しい。一昨年5月の震災、昨年1月の震災に続き、昨年9月には大雨にも見舞われ、能登全体で水田は2023年の2,800haから2024年は1,800haへ激減。用水路の埋没や農道の崩壊、豪雨による土砂災害、後継者不足など、さまざまな困難を乗り越え、ここまできたのだと思うと本当に尊敬の念しかありません。

 

珠洲市中心部にある、「道の駅すずなり」に到着。昨年伺った時には、4月28日に営業再開されたばかりで、ボランティアの人たちが、お弁当を配っていましたが、今はすずなり食堂が隣にできて、地域の人たちや仕事、ボランティアで訪れている人などで賑わってました。去年の震災でお店を失った飲食店の人たちが様々な協力を得てひとつのお店をオープンしたそう。厨房にはいろんなお店の料理人が調理に携わっています。私は定食でアジを頂きましたが、ふっくらとして美味。いつもお話している杉盛さん、森田さん(上述。写真撮るの忘れました)がきてくださって一緒に食べれたのが嬉しかったです。

 

その後、横山さんが授業に入られている正院小学校へ(横山さんは、その前に飯田小学校、大谷小中学校でも授業をされてます)。正院地区では 8割以上の建物が半壊以上の被害を受け、道路にも亀裂や隆起が生じて交通にも支障がありました。校舎もまだ窓などが補修されたまま使われていますが、子どもたちは元気いっぱいでした。横山さんは、5月以来、約1か月ぶりの授業。5限目、1~3年生は国語、「すきなことなあに?」をテーマに、互いに質問し合い、聞いたことをホワイトボードにまとめていました。6限目、5年生は国語、「お出かけするなら山と海、どっちがおすすめ?」をテーマにディベートに取り組みました。いわゆる超小規模校となっているのですが、とても大切にされている子どもたちはキラキラしていました。

 

(正院小学校ホームページより。1-3年生のクラス。左が横山さん、右が藤原)

 

その日は、イカの駅つくモールを経由して(九十九湾が綺麗です)、能登町の宇出津港から少し入った路地にある「風来坊」で夕食。店主は生まれも育ちも能登町、京都や金沢で修行して、逆に地元の魚種のすごさを知り、漁師の元に通い詰めて魚を学び、時には船に同乗もするとか。イカのお刺身が絶品でした。この地域は、あばれ祭りが有名で、今年は7月4日と5日となります。寛文年間(1661–1672年)、宇出津で疫病が流行した際、京都・祇園社(牛頭天王)を勧請し祈祷を行ったところ、「青蜂」が悪疫を癒したという伝説が祭りの起源で、感謝の意を込めて、キリコ(大灯籠)を担ぎ町を練り歩いたことが始まりだそうです。初日夜には約40本のキリコが高さ7mの松明の周囲を乱舞し、火の粉が飛び散る中を練り歩き、二日目には2基の神輿を海・川・火の中に投げ込んだり、地面に叩きつけたりして壊しながら練り歩き、神を喜ばせるとされています。JICA北陸の中西なほさんに色々お話を聞けたのですが、ここから、金沢まで仕事で来ていたプロファシリテーターの青木マーキーさんが合流。(なぜか法螺貝を持ってました笑)

 

あばれ祭りHPより)

 

そして、夜はのとじ荘に宿泊。もともと観光の中心だった宿。津波で一階の各部屋が割れて、土砂が流れ込んだそう。私は一階に泊まりましたが、多くの部屋のガラスの張り替えはまだで、他の部屋にはブルーシートがかかっていました。でも本当に綺麗な宿で、ここまで戻すなんてすごいです。見附島が目の前の海岸から見えます。夜に到着したのですが、マーキーが外を散歩するというので、海岸のほうまで横山さんと一緒に出てみたら、周りも暗い成果、溢れるような星空でした。見附島もうっすら見え、忘れられない光景でした。

 

<2日目:朝日ー酒造宗玄ーメルヘン日進堂ーいろは書店ー珠洲製塩ー西出牧場>

次の日の朝は、4:30頃に目が覚めてしまって、外を見てみると日の出が!慌てて海岸のほうに出て、ずっと見ていました。内浦は本当に静かで、さまざまな鳥がやってきては飛び立っていきます。静かに打ち寄せては引いていく波の音を聞いているだけで、地球を大切にしなければならないなぁ、と心の底から思うひとときでした。朝、出航していく小型船もちらほら見えました。

 

 

ホテルを出て、まず向かったのが、奥能登最古の酒蔵で、250年以上の歴史のある宗玄さん。地震のあった元日は、蔵人13人が作業中だったそう。製造用の蔵2棟のうち、1棟が裏手からの土砂崩れの被害を受けました。土砂が蔵になだれ込んだほかに樹木が倒れ、電柱も巻き込まれて電源を失い、機械が動かず、酒造りを止めざるを得なかったとのこと。でも、宗玄さんは、生産が復活し、東京の八重洲いしかわテラスでも購入できますので、是非。なお、奥能登にある11蔵は、9蔵が全壊、2蔵が半壊しました。被災により数年間酒造りが出来なくなった能登の酒蔵に代わり、全国の蔵元で委託醸造、共同醸造することによりお酒を造ってもらうような取り組みもありますが、やはり応援が必要です。

 

 

宗玄のあとは、きへえどんさんでモーニングを。生活介護、短期入所のほか、放課後デイサービス、就労継続支援などを担っている、多機能型事業所とするさざなみに併設されています。その後、大正2年創業のメルヘン日進堂さんへ。あっと驚くような斬新なバームクーヘンが本当に美味しいのですが、四代目の社長の石塚愛子さんもほんとすごい。自宅が流されて、ご自身は今も仮設住宅に住んでます。震災直後にはお菓子をみんなに配り、避難所で「みんな被災者同士なのに、心の余裕がなくなってきている」と思って、自宅避難の人もボランティアの人も避難所の人も分け隔てなくお話のできる場所を店舗にしたそう。

 

(左から石塚さん、横山さん、藤原、マーキーさん)

 

次は、いろは書店。明治時代に醤油屋として創業。戦後間もない1949年に、貸本業を開始。以来、町の人に長年愛される本屋を営んでいましたが、2024年1月1日帰郷者のために店舗を開いていたところに地震がおきました。懐中電灯を取りに行った店主の後を追い、家族みんなが物置に入った瞬間、住居兼店舗の1階部分が崩れ落ちましたが、物置だけが崩れず、奇跡的に皆下敷きを免れたそうです。地元の子どもたちへ教科書を届けねばと3月21日に、店の斜め向かいにあったタクシー会社の事務所だった空き店舗を仮店舗として再開。ブックカフェもほっこりだし、店舗の店構えがすごく素敵。ここでしか買えない能登の本特集、地元の人たちに寄り添った本のラインナップ。素敵でした。(こちらの記事をぜひ)

 

​​珠洲といえば塩!その後外浦に向かい、珠洲製塩さんを訪れました。平安時代から1,000年続く、塩づくりの技術を確立し現在に継承されています。昭和全盛期の塩づくりは、国策により電気透析法が台頭したものの、揚げ浜式製塩法は無形文化財として保護され、現代に引き継がれているそう。1月の地震で、塗浜にヒビが入り、修復して塩作りを再開した矢先に、9月の豪雨で塗浜に大量の土砂が押し寄せて、塩作りが再び危機的状況になったとのことですが、その後土砂の除去も進み、少しずつ営業を再開してきているそうです。

 

大谷は大きな被害を受け、震災のときには孤立した地域でもありました。珠洲市立大谷小中学校は、能登半島地震を経て、全校児童生徒が5名(うち1名は三月に卒業)になってしまいましたが「珠洲市の復興のために自分たちにできることがしたい」と児童生徒が自ら立ち上がりました。「多くの人々に大谷地区の魅力を伝えるため、大谷地区でしか作れない商品をガチャガチャに入れて販売し、その収益を寄付する」という仕組みを考えました。大谷ガチャは、メディアでも取り上げられ、販売を予定していた500個は即完売になったそうです。私もタッセルキーホルダーを頂きました。

 

(大谷小中学校。校舎が素敵です)

 

最後に訪れたのが、乳牛を中心に約50頭を飼育する西出牧場さん。3代目の西出稔さんは、まだ30代後半の若手酪農家です。牧草も自分たちで作っていて、訪れたときも、牧草地から、トラクターに乗って颯爽と現れました。震災のときには、二棟ある牛舎のうち1棟が全壊。夕方のごはんを食べていたときに、揺れがきました。幸い牛の命は守ることができたけれども、多くの生乳を廃棄しなければなりませんでした。断水していたため、川の水を運び、1週間なんとかつないで、井戸水の配管を修理して、生乳の生産を再開したそう。奥能登の酪農家さんは、12戸から9戸まで減少。西出さんのところは、震災前の水準まで生産量を戻すことができたそうですが、酪農家の離農も課題で、仲間の酪農家さんの牧草地を荒れないように管理しており、牛舎もあるので、酪農したい方は能登ウエルカム!だそうです。

 

 

<さいごに>

今回、金沢大学が2007年にスタートした金沢大学能登里山里海SDGsマイスタープログラムの修了生のJICA北陸の中西さん、メルヘン日進堂の石塚愛子さんにお会いし、こうしたプログラムからイノベーターが育つということがあるのだなぁと思いました。このプログラムは、もう18年続いており、2024年度までに 262名 を輩出しています。

昨年にお伺いした時には、金沢大学能登学舎も訪れてお話を伺いました。ホームページには以下のように紹介されています。

世界農業遺産である「能登の里山里海」には、長い歴史の中で人々と自然の間で培われてきた知恵と経験があります。過疎化が叫ばれる昨今の時代、失われつつある里山里海に新たな価値を見出し、地域の宝として育て後世につながるための「チャレンジ」がまさに必要とされています。

そして、石塚さんに教えていただいた、SDGsのウェディングケーキモデルの話が印象に残りました。SDGsの全17目標はそれぞれ大きく3つの階層「経済圏」「社会圏」「生物圏」によって構成されているというものです。(知りませんでした!)

この3つの階層の並び方はそれぞれ意味があり、「経済」の発展は、生活や教育などの社会条件によって成り立ち、「社会」は最下層の「生物圏」、つまりは人々が生活するために必要な自然の環境によって支えられていることを表しているといいます。

 

SDGsウェディングケーキの最下層である「生物圏」には、17の目標のうち下記の4つが含まれています。

 

目標6.安全な水とトイレを世界中に

目標13.気候変動に具体的な対策を

目標14.海の豊かさを守ろう

目標15.陸の豊かさも守ろう


次の中間層である「社会圏」には、17の目標のうち下記の8つが含まれています。

目標1.貧困をなくそう

目標2.飢餓をゼロに

目標3.すべての人に健康と福祉を

目標4.質の高い教育をみんなに

目標5.ジェンダー平等を実現しよう 

目標7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに

目標11.住み続けられるまちづくりを

目標16.平和と公正をすべての人に


「生物圏」「社会圏」の2層によって支えられているSDGsウェディングケーキの「経済圏」には、17の目標のうち下記の4つが含まれています。

 

目標8.働きがいも経済成長も

目標9.産業と技術革新の基盤をつくろう

目標10.人や国の不平等をなくそう

目標12.つくる責任 つかう責任

 

そして、その頂点には目標17 「パートナーシップで目標を達成しよう」が設定されています。

 

世の中みんな「経済圏」の話ばかりしがちです。震災の復興だったら、なおさらです。もちろん、社会で働く人々の働きやすさや、産業と技術革新の基盤を整えることで、経済発展が推進されます。でも、そのためには「生物圏」「社会圏」のそれぞれの目標を達成することが必要不可欠だし、経済の発展は環境と社会の上に成り立つことによって実現が可能になりります。しかもなるほどなぁとおもったのが、この3層が、カチッとした固いものではなく、ウエディング(!)ケーキのような柔らかいものだということ。

 

環境なくして社会は成り立たず、社会なくして経済の発展はなく、そしてその土台は柔らかく、パートナーシップが大切というメッセージ。どうしても復興支援というと、「経済圏」から物事を短期で解決しようと思ってしまいますが、「生物圏」が整わなければなんの意味もありません。奥能登に行くとそのことがよく分かります。柔らかく、より良い社会を創るということについて、私も考えていきたいと思いました。

 

そして、この訪問は横山さんが企画してくださりました。本当にありがとうございました!