Learning Creators’ Lab(LCL)という教育者が集う探究の学び場で例年長野県の伊那小の実践や理念についてお話いただいており、今年は4年目となります。先日、元伊那小学校の研究主任、その後同校教頭、他校の校長職を歴任された馬淵勝己先生に、2022年に引き続きお話を頂きました。現在馬淵先生は、信濃教育会で教科用図書研究部・生涯学習センター部長をされつつ、伊那小学校の小学校2年生のクラスの研究指導に携わられています。4年前にお話いただいたときには、他の実践と共に概要を教えていただくことにとどまったのですが、今年は牛のせいちゃんとの3年間の生活を通じて、子どもたちが何をつくり、学んだのかをじっくりと伺いました。
※当団体は、教育者育成を中核事業に据えています。伊那小学校の理念や思想に共感し、各地域で、子どもたちの「内から育つ」ことを大切にする教育者が増えていくことが私の願いです。公教育は地域とともにつくりあげていくものだ、ということを一緒に考えていただけますと幸いです。
<子どもの一日は、一編の詩である。きょう一日が、はたして詩足りえたか>
伊那小のホームページにいくと、教育理念は「学校は子どもたちにとって こころゆく生活の場、詩境でなければならない」と書かれています。
4年前にはじめて伊那小を訪れたときに、いただいた資料の冒頭と最後のページに詩が置かれており、そのことに心の底から驚いたことについて書いたのですが、馬淵先生のお話も、「詩境」の話からはじまりました。実際に伊那小には学校の入口に詩境の像があり、子どもたちは毎日、詩の境を超えるかのように校舎に入ります。学校の教育目標は、哲学者の唐木順三に送られた「眞事、眞言、誠」と定められています。
伊那小といえば、総合学習・総合活動、チャイムがならない、時間割がない、通知表がないなどの特徴が挙げられますが、これらはあくまで特徴であり、それぞれに理念と背景があります。
たとえば、総合学習・総合活動を教育課程の中核としていますが、その背景には子どもを主体的生活者として捉える「子ども観」があります。伊那小の子ども観は「子どもは、自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す力を持っている存在である」というものです。学習は、教師(大人)から与えられるものではなく、子どもの求めや願いから立ち上がるものであり、子どもの事実によって捉えることができると考えています。
教師は、自らの授業実践を積み上げるにあたって、多くの学校でとられているような「仮説実証」ではなく、子どもの事実に立った事例研究を研究方法としてとっています。つまり、教えるべき「見方・考え方」があって、いくつかの教育方法を試し、どこまで「できるようになったか」「分かるようになったか」という実証をしません。大人の「求め」にどれだけ「応えたか」ではなく、あくまで子どもが、自ら学び、その学びを物語れるかを大切にします。
また、「チャイムがならない」ということについても、昭和51年に伊那小に校長として赴任し、現在に続く総合学習の礎を築いた酒井源次校長の『内から育つ子ら』のあとがき[1]にあるように、酒井先生が「チャイムで活動が始まるのではない、チャイムは自分自身で鳴らすのである。自分がチャイムなのだ。これが子どもと共に創りだす授業。これが子どもと共に構成する教科。生きてる学校の創造的な姿である。」と、伊那小の「子ども観」がベースとなっていることが分かります。
ところで、酒井源次校長は、赴任した翌年に1年生の学年主任の三輪先生と若い溝上先生を校長室に呼び、「今年の1年生は総合でいく」「何をやっても構わない。結果については校長が全部責任を取る。ただし、やってはいけないことが3つある」と言って、以下を提示したそうです。
その1:天気のいい日には、教師も子どもも、学校にいるな。
その2:教科書はできるだけ使うな。
その3:学習指導要領の拘束は、当分の間考えるな。
困った三輪先生は、子どもたちが草原であそびまわる中、「まん中にすわりこんで、これから何をしたらいいのかを考えつづけ」ました。そして、「一週間くらいそんな日が続いたころ、草原にタンポポが一面に咲き始め」、「子どもたちはその花に夢中になり、お花屋さんごっこを始めたり、花びらをちぎって、その数を数えようとする子がでてきた」とき、先生は「あ、これだ!」と思ったといいます。(引用『羊も鳩も、ぼくらの教科書』宮崎聡子 小松恒夫 新潮社 p211~212)
三輪先生が感じていたのは、「待ち時間の苦しさ」。しかし、「待ちきれずにこちらがでて」しまうと、「子どもたちの学習の芽をつぶしてしまう」。しかし、「待っていれば、子どものうちに、何かがかならず醸成されてくる」。「そして、それが教師の期待と一致したときに、子どもと一緒になって展開しようという喜びが湧いてくる。そこで、はじめて学習が成立する」ということを三輪先生は掴みます。
『内から育つら』の中扉のなかにある言葉で、馬淵先生が好きな言葉を集めたものを紹介いただきました。
子どもの一日は一編の詩である
子どもの体と心で綴られる一編の詩である
それをつくりだすのは子どもたちであり
それを奏でるのは教師である
詩は作られるものではない
子どもの内から生まれ出るものである
生まれ出ることによって
子どもを新しくしていくものである
<ホルスタインのせいちゃんはどうやって受け入れたのか>
ここからは、馬淵先生が伊那小で、小学校1年生から3年生まで、雌のホルスタイン、せいちゃんを迎え、子牛の未来を出産し、搾乳をしてミルクを頂き、3年生の12月にせいちゃんを牧場に返すまでのエピソードを振り返ります。全体の流れは、一度こちらに書いており、詳細は次回のブログにありますので、今回はそこでは描けなかったことを中心に書いてみたいと思います。
伊那小では、牛だけではなく、やぎや、チャボを飼ったり、大豆や米を育てることがあります。そして、伊那小の子ども観は上述のとおり「子どもは、自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す力を持っている存在」。なので、伊那小の実践紹介をすると、ほぼ例外なく「どうやって牛(という材)に決まったのですか?」という質問がでます。「子どもの求め」といっても、バラバラだったり、なかなか求めが明確にならないこともありそうだと想像するため、多くの教師は気になるようです。
そのことに対して、馬淵先生は、伊那小の教師も材の立ち上げの方法はいろいろあって、こういう材を立ち上げたい!という教師もいるし、子どもたちの生活をまずは見たいという人もいるとのこと。馬淵先生の場合は、毎日当たり前のように飲んでいる牛乳がどのような過程で自分の目の前に来るのかということを知らなくていいのかとは感じていたそうです。これは、子どもたちだけのことではなく、自分自身にも当てはまることだと思っていました。ただ、もちろん子どもたちが求めなければ始まりません。
実際に、大きく牛飼育に向かっていったきっかけとなったのは、1年生の5月の遠足のときに、ある黒牛と出会った翌日の振り返りだったそうです。「牛もらってさ、ここで育てたら牛の乳を搾れるよ」と突然一人の男の子が言い出しました。実は、その子のお父さんは農業指導員で、牛を飼うことができると分かっていたそうです。自分が予期しないところで子どもから牛を飼う話が出てきて、馬淵先生は、そのままその日の放課後に伊那小学校の周辺の牧場を回っていろいろなところにアタックします。
馬淵先生は、過去に伊那小に牛を貸したという牧場も聞き、 そこにも行って牧場主の方に 子どもたちと一緒に牛の飼育に挑戦したいと話します。しかし、その牧場主さんから、牛は出産しないとお乳が出ないから 毎年毎年妊娠させて出産の繰り返しの中で搾乳に取り組んでいることを教えられます。雌ばかりが生まれてくるわけではなく、乳牛として役立つ雌牛はとても貴重なもの。「俺たち牛飼いでさえも雌の子牛を買ってきてるんだ」と言われたとき、自分は教育のために子どものためにこのことに取り組もうと真剣にやってきたし、準備もしたし、正しいことだと思って突き進もうとしたけれども、ここまでのことを牧場主の方に強いて、負担をかけてやることが本当に教育なんだろうかと思い悩みます。
しかし、馬淵先生は、その話を正直に子どもたちに伝えてみたところ、純粋な気持ちで受け止めつつも、諦めるかと思ったら牛をやっぱり飼いたいと言う。そこで馬淵先生も 「世間知らずで迷惑かけちゃうかもしれないけどやろう」と腹が決まります。大人が判断する正しさや、教師として判断していく正しさに閉ざされることなく、子どものことを信じて 一緒に子どもと切り出していこうとする姿勢の大切さを馬淵先生は学びます。
<学習の種は与えられても、芽を与えることはできない>
伊那小の研究テーマ「内から育つ」は、30年以上変わりません。(平成3年から「内から育つ」 それ以前は「学ぶ力を育てる」です)伊那小の実践の源流は、大正6年(1917年)からスタートした、長野県師範学校附属小学校の淀川茂重先生の研究学級にあります。(こちらのブログ参照)「児童の教育は、児童にたちかえり、児童によって児童のうちに建設されなくてはならない。そとからではない、うちからである。児童のうちから構成されるべきものである」という淀川先生の言葉には、「子どもは、自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す力を持っている存在である」という子ども観から一切のぶれがありません。
ところで、馬淵先生は、実は長野県出身ではありません。奈良出身で、奈良教育大学に在学していましたが、当時偏差値教育、 落ちこぼれ、 校内暴力など 学校内外で起こる子どもに関わる事件が連日報道されていたそうです。そんな中、昭和58年NHK特集「日本の条件」という番組の最後に、これからの学校教育に希望を抱くことができる実践例として 伊那学校の1年文組の様子が紹介されます。伊野小の子どもたちにとっては 学ぶことは感動であり喜びだということ、学校自体が 感動や喜びに満ちているということに馬淵先生は大きな衝撃を受けました。信州にこそ本物の教育がある、信州にこそ教育の夢がある、信州にこそ教師としての自分の未来があると思って、信州の教師になりました。
そんな馬淵先生は、学習が立ち上がっていく過程そのものを子どもたちのなかに見出すのが伊那小の教師の役割だと言います。「学習のたねは子どもたちの生活のなかに不断に存在している」といいます。教師がそうした学習のたねと出会う場をつくっていくこともできます。しかし、「学習のたねは子どもに与えることができても、学習の芽は子どもに与えることはできない」と伊那小では考えるのだと言います。大人が与えた「めあて」に子どもを従わせるのではなく、子どものめあてで活動が展開していくなかで、教師の願いが実現していくように学習の構想はたてられなければなりません。学習の展開には、子どもの「喜び」と「意欲」そして、発想し、構想し、実践していくなかで自分で自分を高めていく姿が捉えられなければなりません[2]。
教師は、「自分は教師であるというとらわれ、教科というものが本来的に存在しているというとらわれ、教科書の内容を逐一教えこまなければならないと思うとらわれ」を捨てること、つまり、「こうでなければならない」という固定的な観念を捨て、子どもの内につくりあげられる教科をみつめていかなければならないと考えます。この過程は、何もしないで子どもを放置するということでもないし、成り行きにまかせるということでもありません。そうではなく、子どもの中にある学習の芽を育て、学習活動に練り上げていこうとする教師の心が絶えず働いていなければならないし、その芽を慈しみ育てようという覚悟が種をまいた教師には必要です[3]。
伊那小では、子どもたちの中に生まれてきた学習の芽を捉えて、学習を構想していきます。子どもたちが作り出していこうとする学びを思い描きつつも、子どもの学習の可能性を材の価値という視点で、教師が吟味します。そこから生まれてくる活動を思い描き、そのなかで獲得されるであろう力を計画していきます。
しかし、構想は設計図ではないので、子どもの物語によって、いつでも破棄され、変わっていく可能性があります。
伊那小で大切にされている詩、昭和53年に伊那小に赴任し研究主任となられた大槻武治先生の『未完の姿で完結している』は、伊那小の教師たちの子ども観と、教師としてのあり方が同時に描かれた詩として、伊那小の教師たちの指針としてずっと大切にされています。
ああでなければならない
こうでなければならないと
いろいろに思いめぐらしながら子どもを見るとき
子どもはじつに不完全なものであり
鍛えて一人前にしなければならないもののようである
いろいろなとらわれを棄て
柔らかな心で子どもをよく見るとき
そのしぐさのひとつひとつがじつにおもしろく
はじける生命のあかしとして目に映ってくる
「生きたい、生きたい」と言い
「伸びたい、伸びたい」と全身で言いながら
子どもは今そこに未完の姿で完結している
『未完の姿で完結している』大槻武治
なお、いままで伊那小については、6本ブログを書いていますので、ぜひ併せてお読みいただけますと幸いです。
生活科・総合的な学習 (その1:伊那小学校の源流)〜私たちの教育のルーツをたどる(17)
生活科・総合的な学習 (その2:伊那小学校の実践)〜私たちの教育のルーツをたどる(18)
生活科・総合的な学習 (その3:伊那小・中の学校経営)〜私たちの教育のルーツをたどる(19)
生活科・総合的な学習 (その4:伊那小・中質疑応答)〜私たちの教育のルーツをたどる(20)
「60年間通知表のない」伊那小学校訪問(後半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(5)
「60年以上通知表のない」伊那小学校訪問(前半)〜わたしたちの教育のルーツを辿る(4)
***
後半につづきます。
[1] 『内から育つ子らー小学校低学年における総合学習の展開』伊那小学校 一般社団法人 信州教育出版社 p346
[2]「学ぶ力を育てる」伊那小学校 明治図書 p36 p40
[3] 「学ぶ力を育てる」伊那小学校 明治図書 p23
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