民主主義のつくりかたー市民教育から学校文化の醸成へ。Ron Bergerからのメッセージ

アメリカの教育者、ロン・バーガーの主著 ”An Ethic of Excellence”の日本語訳『子どもの心に灯をともす』(英治出版)が2023年3月に出版されてから、もうすぐ丸2年となります。昨年夏には、ロンの来日が実現しました。米国サンディエゴにあるハイ・テック・ハイの教育大学院が2013年から実施している国際的教育カンファレンス、Deeper Learningの日本版(Deeper Learning Japan 2024) を同校とMOU締結の上スタートし、初代キーノートスピーカーとして招聘しました。

 

Deeper Learning Japanはハイ・テック・ハイ教育大学院を卒業した芦田加奈さんをリーダーに、『子どもの心に灯をともす』の翻訳者、塚越悦子さん、High Tech Highに留学した岡佑夏さん、そして同書の企画と解説を担当した私の4名がコアチームとして運営し、その後もロンと緩やかに交流を続けています。今年は、ロンから驚きのオファーをいただき、サンディエゴで開催されるDeeper Learning 2025 (4/2-4) で、塚越悦子さん、私、そして昨夏ロンの通訳を担当した私たちの子どもたちが一緒にカンファレンスのDen Talkに登壇することになりました。(来年度のDeeper Learning Japan(DLJ2025) は2026年1月5-6日を予定しています)

 

そうしたやりとりの中で、ある仕事の関連で教育と民主主義について、ロンにコメントを求めたところ、びっくりするほど丁寧な長文のメッセージをもらいました(本人はRambling Thoughtsと言っていましたが・・)。プライベートでもらったものでしたが、極めて重要なことが書かれており、私の仕事としてのアウトプットは少し先であり、トランプのアメリカ大統領就任というタイミングであることから、もらったメッセージを私だけに留めないほうがいいと考えました。そこで、全文をそのまま、現時点で日本の教育者にシェアしたいとロンに伝えたところ、快諾をもらいましたので、このブログで共有したいと思います。


なお、メッセージでは、パレスチナの民主主義について言及されていますが、どの国の民主主義も不完全です。そして、教育によって民主主義の土台が培われるという考えとその理由については、私も深く共感しています。デューイは、集団的生命の維持のためには「教育、ただ教育だけ」が必要と訴えました(『民主主義と教育(上)p14)。そんなデューイの声が聞こえてきそうなメッセージです。また、デューイの『経験としての芸術』とロンのクラフトマンシップの思想が強く響き合っていることも感じ取れる、論考と言ってもいいものだと思います。ぜひお読みいただけると嬉しいです。


【ロンからのメッセージ(Jan5,2025) 】

 

現代の安定した民主主義の国に暮らしていると、私たちは、民主主義という統治形態がいかに新しく、そして脆弱であるかを簡単に忘れてしまいます。集落や町、都市で共に生活してきた人類の約1万年の歴史の中で、民主主義が成功していたのは最近の数百年に過ぎず、しかもそれは特定の国々に住む世界の一部の市民に限られていました。例えば、ドイツやスペインのような最も民主主義が成功した国々でも、過去1世紀の間には民主主義が独裁政治に陥りました。


最近では、「アラブの春」と共に、アジア、中南米、中東の多くの国々で次々と民主主義国家が生まれ、民主主義的自由と正義の潮流が世界的に広がっているように感じられました。ソビエト連邦の崩壊以来、民主主義が世界規模でこれほど明るい展望を示したことはありません。


しかし残念ながら、これらの新しい民主主義国家の多くは、民主主義国家として持続することができませんでした。その大半が、かつての右派または場合によっては左派の軍事勢力に率いられた権威主義的な独裁政権に陥りました。一度政府が権威主義的になると、右派と左派の指導者の区別は困難になり、いずれも権力の維持と反対意見や言論の弾圧に執着するようになりました。


今日、こうした傾向が世界中で見られます。より多くの政府が権威主義に傾き、特定の人種、民族、文化に対する不寛容を示しています。権威主義的な政府は勢いを増し、領土を拡大しています。民主主義国家は、権威主義、差別主義、不寛容に惹かれ、怒れる市民に攻撃されています。立法機関や議会は、権威主義的な価値観を支持する当選議員に対応するのに苦慮しています。


人々がニュース(地域、国内、そして世界のニュース)を受け取り、他者と交流する方法は、インターネットやソーシャルメディアによって大きく変わりました。その結果、民主主義の世界でも歴史的に権威主義国家でそうであったように、真実そのものが今や脆弱になり、とても危ない現状です。


民主主義は私たちが想像するよりはるかに脆いのです。

民主主義を守る上で教育は我々が信じる以上に重要なのです。


1990年代、私はガザとパレスチナの西岸地区にある国連の学校を訪問し、パレスチナの指導者たちと会う機会がありました。数千年にわたる君主制や一族による統治が続いた後、アメリカはパレスチナを民主国家へと変革する試みに投資していました。パレスチナの人たちは立法機関を設立し、選挙を行い、議会の手続きを通じて意思決定を進めていました。


パレスチナ自治政府とパレスチナ解放機構(PLO)の議長であったヤーセル・アラファトは、世界の多くの国々から独裁者と見なされていました。しかし、アメリカ政府は彼が少なくとも新しいパレスチナ議会と協力し、意思決定を行っていることを評価していました。これにより、民主主義への進展が期待されました。それはアメリカ、そして世界にとっても良い知らせでした。そして、その成功に投資する意義があると考えられたのです。


私は、アメリカ政府を代表してパレスチナ立法機関と協力し、彼らにとって全く新しいものであった民主的な立法手続きに関する専門的な教育指導をしている友人を訪ねました。私は新たに選出されたパレスチナ議員たちに会いましたが、彼らは皆礼儀正しく、親切に歓迎してくれました。しかし、私は結局民主主義への移行がいかに困難であり、時には不可能に思えるかを改めて強く突きつけられ、パレスチナを後にしました。


新たに選出された議員の多くは、教育をほとんど受けていませんでした。その代わり、彼らにはさまざまな人生経験があり、インティファーダ(パレスチナ反乱)の英雄(捉え方によっては「自由の戦士」または「テロリスト」)として知られていました。彼らは、イスラエル人を殺害し、イスラエル政府を弱体化させたことで得た名声により選ばれたのです。選出後、一部の議員は手元に渡った資金を使い、豪華な新居を建てました。私はある新議員の小さな城のような新居を訪れ、彼のパティオでコーヒーを飲みました。周囲にはセミオートマチックライフルを持った甥たちによる警備が配置されていました。彼の手元にある公的資金のほとんどは、彼の一族や親族が雇用されるプロジェクトに使われていました。これらの市民プロジェクトはしばしば公益に役立つものであったため、議員たちは自分たちの仕事を賞賛に値するものと見なしていました。


縁故主義やえこひいきが問題になり得るという考えは、彼らには全く理解できませんでした。彼らの考え方では、自分たちの一族、そして最近では家族が何百年、あるいは何千年にもわたり貧困と闘ってきたのだから、幸運にも今、自分たちが多額の資金を手にできるようになったのは当然のことです。その資金を見知らぬ人々に分け与えるべきだという考えは、全く理解できませんでした。「家族に新たな財産を分け与えないような利己的で恩知らずな人間がどこにいるだろうか?」というのが彼らの考え方でした。これは人間として当然のことであり、常識的な行為だったのです。こうして新しいリーダーたちは一方的に意思決定を行い、政府契約は家族や一族に渡されるか、賄賂を通じて売られ、さらに多くの個人的な富を集め、それを家族と共有するために使われました。各立法区は、ある意味で小さな君主国のようになっていました。


私がパレスチナでの経験から痛感したのは、すべての市民に対し、読み書き能力と批判的思考を育む教育システムがなければ、民主主義は不可能だということです。過去に多くの人々が読み書きできなかった時代、民主主義を実現するのは困難でした。そして、今日でも、生徒が自由に考えや価値観を問い直すことが許されない文化では、民主主義を実現するのは依然として難しいのです。


アメリカ合衆国の建国において、教育と識字への取り組み、そして学校の設立が初期から行われたこと(特にニューイングランドと呼ばれる地域で)は、イギリスやヨーロッパの入植者たちが革命運動を組織し、アメリカ合衆国を独立した民主国家として建国することができた主な理由の一つです。ヨーロッパからの入植者たちによる民主主義への取り組みは、今日の基準から見れば広範なものではありませんでした。先住民インディアン、奴隷にされたアフリカ人、そしてすべての女性は学校や民主的な政府に含まれていませんでした。しかし、いかなる形であれ民主主義を実現することができたのは、ニューイングランドの入植者たちが、たとえ農民の家系であっても、少年(白人少年に限られていましたが)に読み書きを教えることに尽力したからです。


世界の多くの地域とは異なり、農民や労働者階級の少年たち、そしてやがて少女たちにも、公教育が提供されました。この新たに識字能力を得た農民や労働者たちは、文書を共有し、地元の民主的な会合に参加することで、革命を組織することができたのです。


教育と民主主義の直接的なつながりは、アメリカの歴史の中で特に明確に示されています。それは、多くの州で奴隷に読み書きや数学を教えることを法律で禁じたことから垣間見えます。もし奴隷とされたアフリカ人が読み書きを学べば、奴隷制度に対抗するために組織化し、彼らの市民権が認められる民主主義のあり方を訴え始めると考えられていたのです。


私自身は教育者として成長する中、民主主義と教育の関係性についての理解は、20世紀初頭の
ジョン・デューイと、20世紀後半のデボラ・マイヤーの研究に大きく影響を受けました。


ジョン・デューイの著書『民主主義と教育』(1916年)は、健全な民主主義において教育が果たす中心的な役割を説明しています。それは、若者たちを一堂に集めることを通じて実現されます。デューイは次のように述べています。「異なる人種、異なる宗教、異なる習慣を持つ若者たちが学校で混ざり合うことで、すべての人々にとって新しく広い環境が生まれる」。


デューイは、学校が民主主義の価値観や構造(例:市民教育ーcivics education)に関連する知識を教えるだけでなく、学生の思考を引き上げ、声を受け止め、学びを現実の世界や積極的な市民活動、貢献と結びつける教育法を採用する必要性を強調しています。学生たちは、学びの一環として民主主義を共に体験することで、理解を深め、その大切さを学びます。彼は「教育は直接的な指導ではなく、『環境を通じて間接的に』行われるべきだ」と主張しています。そこでは、コミュニティのメンバーが意義ある課題に取り組むことが重要です。アメリカ社会がますます修辞的操作やイデオロギー的過激主義にさらされる中で、デューイは
「混乱を引き起こさないで、社会変化をもたらせるような心の習慣を身につけるような教育」の可能性を提唱しました。


アメリカで「進歩的教育」と呼ばれているものの多くは、あるいは最近では「プロジェクト・ベースド(PBL)」「プロブレム・ベースド(課題解決型)」「インクワイアリー・ベースド(探究)」「体験型」「地域密着型」「ポートフォリオベースド」「生徒中心(の学び)」「全人教育」「より深い学び」の教育として知られているものの多くは、ジョン・デューイの研究の遺産から生まれています。


このデューイの遺産を基にした進歩的な教育者の一人が、ニューヨーク市ハーレムで教師や学校指導者を務めた
デボラ・マイヤーです。彼女は、アメリカにおける小規模で進歩的な学校のモデルとなるセントラル・パーク・イースト公立学校を設立しました。彼女の学校は、アメリカで課題の多いと考えられていた(低所得のアフリカ系アメリカ人学生)生徒層に対して、非常に高い成果を上げました。


1980年代初頭に私はデボラのセントラル・パーク・イースト高校を訪れ、学生がポートフォリオに基づくプロジェクトや成果を専門家のパネルに提示することで卒業資格を取得する様子を目にしました。このアイデアは教育者のテッド・サイザーから借りたものでした。私はこの実践を自分の学校や仕事に取り入れ、その後もデボラがさまざまな場所で学校を設立する活動を追い続けました。彼女は私の教育における指導者の一人でした。


デボラ・マイヤーが最も考え、執筆し、語ったテーマは、民主主義と教育でした。彼女が設立した学校で最も重要だった点は、民主的な価値観と考え方を育むコミュニティとしての機能でした。それは、すべての年齢の生徒があらゆる教科で深い批判的思考を促され、意見の違いや議論、論争を受け入れることにより実現すると彼女は考えていました。


彼女にとって、学校における民主主義とは、高校生が生徒会の選挙で選ばれ、学校のダンスパーティーについて決定することではありませんでした。それは、6歳の子どもと16歳の若者が、真実や正義、生命の本質のような根本的な問題について議論し、学校や社会でどのような歴史や考えがなぜ優遇されているのか解明することでした。彼女の学校では、廊下は散らかり、壁には生徒の考えを記したチャートが貼られ、生徒たちは毎日、何が真実で何が正しいのかを一緒に考え、議論しました。デボラは、多文化社会や民主主義の中で共存するためには、幼い頃から敬意をもって議論し、自分とは違う考えを尊重することを学ぶ必要があると感じていました。


デボラは、自分の学校がすべての学校の模範であるべきだとは考えていませんでした。彼女は、健全な民主主義とは、多様な教育スタイルの選択を意味し、地方教育委員会を通じた学校の地域管理がアメリカの民主主義の基盤であると考えていました。彼女は、教育委員会が「教育の専門家」ではなく、一般市民によって構成されていることを好んでいました。彼女は、自分が若い頃、アメリカには約20万の教育委員会があったのに、晩年には約1万3千にまで減少したことを嘆いていました。彼女は、地域社会が学校を運営し支援するプロセスこそが、健全な民主主義の最も重要な特徴の一つであると感じていました。


私がデューイとデボラ・マイヤーから受け取った最も大切なものは、すべての生徒が重要なアイデアや洞察を持っており、それに注意を払い、真剣に受け止めるべきだという信念の深まりです。民主主義とは、富裕層や権力者、「専門家」だけでなく、すべての人に重要な声があることを意味します。そして、その価値を生徒たちに浸透させる最良の方法は、生徒の声やアイデアを真剣に受け止め、彼らが市民としての責任や教育課程における主体性とリーダーシップを育む学校文化を創ることです。

 


49年間の教育者としての仕事の中で、民主主義的な統治構造に関連する内容を教える「市民教育」に焦点を当てた時期もありましたが、教育と民主主義を結びつける私の中心的な仕事は、コンテンツではなく学校文化や教授法を通じて行われました。私は、様々な背景を持つ全ての生徒が「自分はここに属している」「自分には価値がある」「自分には選択肢と影響力がある」と感じられる学校文化を促進するために尽力しました。これこそが、私にとって民主主義的価値観の基盤です。また、生徒が自らの学びに主体性を持ち、「自分自身の学びのリーダー」となり、「学びを生かして善をなす」という理念を実現できるような教授法を推進してきました。

 

私は25年以上にわたり、主に10歳から12歳の小学生を教えました。毎日の学校生活は、生徒たちと私がカーペットの上に円を作って座り、当日の学びの計画について話し合うことからスタートしました。その中では、彼らの個人的な生活や人格の成長、教室のコミュニティ、そして私たち全員が公平で、互いの最高の部分を引き出せているかどうかについても話し合いました。この朝の「クルー」ミーティングは、すべての声が重要であるという民主主義的価値観の強力な確認でした。多くの場合、生徒たちからの提案が決定に結び付き、合意によって実行されました。


私たちの長期的なプロジェクトは多くの場合、科学的または歴史的な調査による地域社会貢献を目的としていました。そのようなプロジェクトの計画は事前に私が用意していましたが、プロジェクトが始まると、生徒たちは自然とその方向性についてますます多くの責任を持つようになりました。よって、しばしば生徒たちの合意によって私たちの作業は全く新しい方向へと進んで行くこともありました。これらの話し合いや意思決定は常に簡単なものではありませんでした。しかし、私はデボラ・マイヤーから、意見の違いやアイデアの議論を大切にし、それを軽視しないことを学びました。最終的な決定は、すべての人が第一希望として選んだものではないかもしれませんが、それは独裁的なプロセスや価値観ではなく、民主的なプロセスと価値観によるものでした。


現在、私は小さな田舎町に住んでいます。その住民のほとんどが私の元生徒です。中には私より保守的な生徒もいれば、私よりリベラルな生徒もいます。私たちは全国選挙で同じ候補に投票するわけではありません。しかし、私が町の年次タウンミーティングに出席するとき、その会議では「一人一票」の純粋な民主主義に基づいて意思決定が行われており、会議を主導するのは私の元生徒たちです。町として、私たちは議論し、意見が合わず、怒り、笑い、そして議論します。それでも、最終的には決定が下され、少なくとも私にとっては、問題についてどう投票したかにかかわらず、元生徒たちとの握手やハグで会議を終えます。私たちは互いの違いを尊重します。


もし世界に民主主義の未来があるとすれば、こうした情景こそが最大の希望だと思います。それは、生徒の考えを尊重し、それを高める学校であり、寛容(Tolerance)、公正(Fairness)、正義(Justice)を促進する学校です。論理的で批評的な思考を促し、議論とさまざまな差異を受け入れ、民主主義の価値を組織として体現する学び場です。(了)

 

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2024年8月、ロン・バーガー来日時のワークショップ『美しい作品』ビデオはこちらです。

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