home > Blog > 藤原 さと > 日本人の「個」と教育について考える(3)~仏教と信念対立 仏教の上陸から鎌倉時代まで

 

藤原さとです。

代表的日本人→日蓮法華経ときた本ブログですが、次は日本でどのように仏教が導入され、広がっていったか、それがどのように日蓮が憂うような状況になっていったのか、メモを続けていきたいと思います。

 

<仏教の日本上陸から鎌倉時代まで>

ここでまた「代表的日本人」に戻り、内村鑑三による日本における仏教についての説明を要約してまとめておきたいと思います。

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日本には、中央アジアの故郷から伴ってきた可能性の強い宗教がもともとあったが、そこに中国から仏教が伝わります。日本への伝来時期は西暦551年とされ、早くも587年には、聖徳太子により天王寺の大伽藍が建立されました。7世紀には全国で仏教への改宗が活発にみられ、歴代の天皇はみずから率先して改宗を進めました。

同じころ中国では唐の名僧玄奘(三蔵法師)が仏教の大復興を行っていました。この時期に日本からも遣唐使として学者が海を渡り、玄奘と会っています。その後最澄と空海が中国に留学し、787年に最澄が叡山(天台宗)、816年に空海が高野山(真言宗)を建立します。

こうして9世紀初頭には、「仏教八宗(三論、法相、華厳、律、成実、倶舎、天台、真言)がこの国にしっかり根を下ろします。しかし、空海没後4世紀にわたり日本には新しい宗派は伝来もしなければ形成も理ませんでした。八宗はそれぞれ勢力も影響も大きくなりましたが、主流は最澄の天台宗でした。教団が権力を掌握するとそれにともなってあらゆる腐敗が生じるのはどこも同じです。

12世紀の終わり近くになり、長期にわたる殺戮の戦いが終わると源の頼朝は僧侶から世俗的な権力をとりあげました。頼朝のあとを継承した北条氏の多くも仏教の篤信者であり、当時の仏教が華美虚飾に流れているのを厭い、中国から禅を導入し、上層の知識階層に歓迎されました。

高度な知的性格をもつ禅哲学や、荘厳にして近寄りがたい旧仏教に対して、民衆にも別の信仰が必要でした。こうした中、法然がただ仏陀の名前をとなえるだけ(南無阿弥陀仏)で浄土に行くことができるという浄土宗を民衆に広めます。

この分派が親鸞による真宗で、一生不犯の禁を解き、僧俗を問わず同じ生活を享受できるとし、仏教は世俗化され民衆により一層近づきます。

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こうした中で、生まれた日蓮。まず叡山で、華厳経、阿含経、方等経、般若経、法華経(妙法蓮華経)を学び、各分派が信念対立を起こす中で、法華経に立ち戻ることを説いた・・というのが元の流れとなります。

 

 

<一度大乗仏教に戻ります>

「法華経」から入ったこのブログですが、一度大乗仏教に戻ってみたいと思います。日本に残る仏教のほとんどは、禅、華厳宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗などふくめ、大乗仏教が主流です※。

さて、大乗仏教といっても、広大な海のように膨大な量の経典があり、どこからとっかかっていいのかわかりませんので、次回はまず有名な「般若心経」をまとめておきたいと思います。

今日はこの辺で。

※余談ですが、仕事で何度もミャンマーを訪れ、寺院もたくさん行きましたが、市中を沢山の僧侶が歩き、富裕層も貧困層もみな熱心に信心し、街中に仏教が溶け込んでいる姿を見ると、素人目には大乗仏教が批判するような上座部仏教(小乗仏教)の敷居の高さは感じないです。むしろ日本のお寺のほうが近寄りがたい感じがするかも。

 

<関連ブログ>

1)仏教の「個」と教育

http://kotaenonai.org/blog/satolog/2775/

2)「法華経」と「個」

http://kotaenonai.org/blog/satolog/2780/

3)仏教と信念対立 仏教の上陸から鎌倉時代まで

http://kotaenonai.org/blog/satolog/2787/

4)般若心経と「個」

http://kotaenonai.org/blog/satolog/2795/

5)キリスト教と仏教と「個」

http://kotaenonai.org/blog/satolog/2798/


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