英語力の前に論理力、その前にできることがあることが重要

藤原さとです。

さて、今まであまりグローバルコミュニケーションや英語について書いたことがありませんでした。

私は英語教師ではないので、どうやったら効率的に英語を教えられるかとか、学校教育にどの段階からどれだけ英語を取り入れるべきかという議論をすることはできません。

ただ、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの海外の人たちと一緒に仕事をし、今もアメリカに住んでいる中で、「英語」は使ってきたので、コミュニケーションとしての「英語」がどのように有用で、どの順番で重要なのかについては思うところがあります。

今回、私の経験からの話となります。そちらをご承知おきの上、あくまで一意見として読んでいただければと思います。

 

<その1:英語力の前に論理力である>

私自身は帰国子女ではなく、日本の大学を卒業後、20代中盤でアメリカの大学院に留学し、20代後半から海外との仕事をするようになりました。その時に実感したのは、英語の前に「論理」があること。筋道だった論理展開をしないと、書いたものは誰も読んでくれないし、話しても聞いてくれません。

実はビジネスでは話すことも重要ですが、まず論理的に書けることが特に重要です。たとえば、日系企業の立場から海外企業とのコミュニケーションをとったり、グローバルプロジェクトを進める際には、事前にメールなど文書でやりとりすることが多く、ここで理解してもらうことが必須です。また、どんなプロジェクトも、たいてい契約が絡みますから、契約書をきちんと読めて、骨格を書けることが必要です。

私がよく感じていたのは、日本人は「あ、うん」の呼吸でやりとりが成立するからか、言葉の定義やプロジェクトの概念について突き詰めない傾向があることでした。しかし、これらについてしっかり設定しないまま言葉を使うのは、非常に危険です。なぜなら、みんな違った文化背景で育ってきて、同じ言葉でも違ったイメージを持つ可能性があるからです。クローバルコミュニティでは言葉の定義と共通概念を非常に大切にしますが、それは多様な人たちが議論に参加するための必然でもあるのです。

「何のためにこのプロジェクトをするのか」「お互いどんなメリットがあるのか」「お互い気持ちよくプロジェクトを遂行するにはどのような条件が必要なのか」こういったことを、いろいろなケースを想像しながら、決めていきます。逆にこういったことが書面できちんと表されていたら、下手な英語でも通じるようになるし、ミーティングでも関連する言葉が多く出てくるので、コミュニケーションをとる事が格段に楽になります。

「論理」はグローバルコミュニケーションの共通ツールです。これはまずは日本語を母国語とするのであれば、英語の前に日本語でこれが出来ることが必要です。

 

<その2:チームの一員として何が出来るかが重要>

そして、もっと言うと、海外で仕事をする上で必須なのは、「チームの一員として何かができること」です。一緒に仕事をする他の国のメンバーは、私が優しいとか、面白い話をするとはどうでもよく、基本「私ができること」にしか興味を持っていません。英語の運用能力はコミュニケーションの一部でしかありません。

日本の企業で海外企業との提携事業に携わっていた時に印象的だったことがありました。英語がそれほど出来なくても、優秀なエンジニアの話はみんな、耳を傾けて必死になって理解しようとするのですが、役割がはっきりしない人の場合は、どんなに英語が出来ても、無視されたりメールのコミュニケーションから外されたりするのです。役職も関係ありません。逆に私自身、よくわからない技術分野でのプロジェクトに入って右往左往した結果、メールからアドレスを外されてとても悔しく悲しい思いをしたことがあります。

極端な話、英語なんて全然できなくても、とびきりのすし職人だったら、世界中どこでも仕事ができるというのが本当のところだと思います。

もう一つ言えば、自分が好きで、コミットしている仕事であれば、おのずと言葉の定義も丁寧に扱いますし、論理も緻密で構成もしっかりしたものになるものです。

 

<ではどうすればいいのか?>

ということで、英語の順番は私の中では「出来ることがあること」「論理的に考えられること」の次・・なのですが、とはいっても、たかが英語、されど英語です。となると、次の質問は、「どこまで英語を勉強すればいいの?」でしょうか。

もちろん国民全員がバイリンガル(ペラペラ?)になればそれに越したことはありません。しかし、バイリンガル教育については、すでにデータが出ており、なんとか学校生活を送るために必要な時間数2000時間、ネイティブスピーカー同等になるために必要な時間は5000時間と言われています。海外でフルタイムで現地校に通っても、年間授業時間は1000時間はいかないので、2年から5年が必要となる計算です※。

そうなると、現実的に下記のどのレベルを目指すかということになります。

1:バイリンガルレベル

2:バイリンガルではないが、インターナショナルな環境であれば、海外で主体的に仕事が出来るレベル(藤原のレベルはレベル2の中レベルだとします)

3:最低限の生活ができたり、お友達を作ったりすることが出来るレベル

結論から言うと、私は、公教育としては、2のレベルを目指すのが妥当なのではないかと思っています。そして、そのためには、技術的には中学からしっかり勉強するのでも実は十分間に合う、と私自身の経験、そして海外プロジェクトの仕事仲間、アメリカで出会う英語を第二外国語として使う人たちを見ていて思います。(もちろん、論理力と出来ることがある事が前提です。念のため。)ただ、小学校からの英語教育が次の学習指導要領に向けて動いているようですし、小学校から英語をするのであれば、こういうことが必要ではないか、こういう内容だったらいいな、と私見を述べてみます。

 

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<幼少期・小学校時代にすることは?~私の子供時代を振り返る>

私は中高時代、英語が好きで大学受験では得意科目でした。そのルーツは私の小学生時代にあります。

私の祖父は事業をしていたこともあって、その時代には珍しく海外によく行っていました。そして、祖父の家の応接間には、大きな棚があり、昔の人らしいですが、各国のお土産を陳列していたのです。その中にはロシアのマトリョーシカ、ケニアの動物の置物、インドネシアの人形、スイスの人形や時計などがありました。夕日の差すだれもいない応接室で、食い入るようにお土産の陳列を見ていた自分を思い出します。

また、アメリカに留学した14歳違いの叔母にかわいがってもらいましたが、彼女の部屋はスヌーピーやバービー人形など、アメリカンポップカルチャーのおもちゃ箱をひっくり返したような感じで、私は大変憧れたものでした。

そんなわけで、四国の片田舎にいた小学生の私は、海外旅行番組を好んで視聴し、いつかアメリカに行くんだとお小遣いを貯めるような子になっていきました。

中高時代にはポップスターに憧れて、実際に話してみたくて、歌詞を必死で覚え、インタビューの録音をよく聞いていました。もはや勉強とすら思っていなかったと思います。

私にとってのグローバルは今でも、ロシアのマトリョーシカとスイスの人形と、ケニアの動物の木彫りが一緒に並んでいたあの棚です。今でも社会主義かどうかとか、途上国だから下だ、とかそんな意識がなく、いろいろな国やそこで生きる人たちに対しての興味の持ち方が人より格段に強いのはこの棚のおかげだと思っています。

もし、幼児期や小学校時代に英語を学ぶのであれば、「英語」そのものの習得にこだわるのではなく、いろいろな文化や宗教、肌の色の人がいて、面白い事、大変なことが地球に溢れていることに気付くこと、そして、コミュニケーションの楽しさを実感するようなプログラムがいいのではないかな、と思います。これだけ、世の中がグローバル化しているのに、今の小学生は、世界について知る機会が少なすぎるように思います。まず、世界に対して興味を持つこと。そうしたら、ある程度の年になったときに自然に前向きに英語を勉強しよう、と思うのではないでしょうか。そして、私が見る、良いな、と思うプログラムはたいていその辺のことを抑えられているなぁ、と感じます。

確かに英語をベースとするインドや一部の東南アジア諸国の追い上げ、韓国や中国の状況も気になります。でも、特に小学校のうちは、闇雲に英語技術を追わなくてもいいと思っています。私の意見は穏健すぎるのかもしれません。でも、子どもの時間は有限です。何かを増やせば何かを減らさないと、どんどん子どもは息苦しくなります。確固たる自己がなくて英語だけで来ても、それはAIにとってかわられるかもしれません。あれもこれもではなくて、そこを見極めたうえでの、次期学習指導要領を私は期待しています。私の意見が正しいとも限りません。みなさんの考えるきっかけになれば幸いです。

 

(追記)

本ブログは、私学、もしくは私的英語教育事業におけるバイリンガル教育、もしくはイマージョン教育を否定するものではありません。こうした教育については、時間的・金銭的なものを含めた全体的なコストと得られるであろう効果をそれぞれの子どもの個性も含めて、保護者が個別に判断すべきものと考えます。今回、公教育の場での英語教育として、人材や環境的になかなか制約の多い日本という国の中で、現実な落としどころでありつつも、意味合いのあるアウトプットを出そうとすれば、こんなことが考えられるのではないかと書かせていただきました。いずれにしても、形式的な導入ではなく、「何のために英語を学ぶのか」という本質を踏まえた、意義・意味のある導入を期待・希望する次第です。

 

※バイリンガル教育、イマージョン教育のデータについては、下記参考文献をご確認ください。2か国語を同時に習得する場合、バランスに留意しないと、年齢によっては相当な負担があるにもかかわらずどちらの言語も中途半端になり、どの言語でも抽象思考・論理思考が育たないセミリンガルという状況に陥るリスクがあることがエビデンスとして出ています。こうなると海外はおろか、日本国内でもパフォーマンスを出していくことができません。なお、上述の最低限のコミュニケーションをとるのに2000時間、ネイティブスピーカーと同等になるのに5000時間というのは、アメリカ現地校に通う娘をみていても、周りのお子さんをみていてもあまり外れていない数値であると思います。

 

<参考図書>

「バイリンガル教育の方法~12歳までに親と教師ができること」中島和子著

「英語を子どもに教えるな」市川力著

「フィンランドの小学校英語教育」伊東治己著

 

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